チョーフグン親方 生きて千人死んで千人(シマグチ)

概要

この人が18才の時に鹿児島から戦をよせてきた。そのときは今帰仁からせめられた。そのときに、泊の港にチョーフグンが立っていたので弓を引くが、矢は全くたたなかった。それで矢もみんな使い果たして鹿児島の大将がチョーフグンのところにきて礼をした。チョーフグンはその人の手をつかまえてひねった。大将は、鉄につかまえられてひねられたので「これはどうしようもない」と思った。それで、沖縄に来た鹿児島の人たちはほとんどチョーフグンに殺されて15名だけが帰っていった。そのときに殺されたのは千人だった。そしてチョーフグン親方も年をとって27か37の年頃に、また鹿児島から戦をよせて那覇の港から上陸した。そのときにはチョーフグンは死んでいた。鹿児島から金を貰った人がチョーフグンのひげのはえているところを「ひげをそりましょう」といって、のどを押し切って殺してしまった。それでチョーフグンは死んだ。そしたのでチョーフグンは「おまえは誰に命令されてこのようなことをしたのか」とのどを切った人の足をつかまえて二つに裂いて、首里城から西の森と東の森に投げた。そしてその人が死んではじめて鹿児島のしわざだったことがわかり、そのあと鹿児島から戦がよせられてきた。そのとき観音堂の側で口からウジのわいているチョーフグンを後ろから支えて立てて、「チョーフグン親方はまだいきているよ」といった。すると観音堂の下にある唐人墓の方で鹿児島の人たち2,300人は「チョーフグン親方はまだ生きている」といって自分で切腹して死んだ。

再生時間:4:41

民話詳細DATA

レコード番号 47O360062
CD番号 47O36C004
決定題名 チョーフグン親方 生きて千人死んで千人(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 泉川寛三
話者名かな いずみかわかんぞう
生年月日 19030310
性別
出身地 沖縄県西原町仲伊保
記録日 19820219
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 西原町字兼久調査12班T03B05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『西原町史 別巻 西原の民話』P603
キーワード チョーフグン,戦,鹿児島,観音堂,唐人墓
梗概(こうがい) この人が18才の時に鹿児島から戦をよせてきた。そのときは今帰仁からせめられた。そのときに、泊の港にチョーフグンが立っていたので弓を引くが、矢は全くたたなかった。それで矢もみんな使い果たして鹿児島の大将がチョーフグンのところにきて礼をした。チョーフグンはその人の手をつかまえてひねった。大将は、鉄につかまえられてひねられたので「これはどうしようもない」と思った。それで、沖縄に来た鹿児島の人たちはほとんどチョーフグンに殺されて15名だけが帰っていった。そのときに殺されたのは千人だった。そしてチョーフグン親方も年をとって27か37の年頃に、また鹿児島から戦をよせて那覇の港から上陸した。そのときにはチョーフグンは死んでいた。鹿児島から金を貰った人がチョーフグンのひげのはえているところを「ひげをそりましょう」といって、のどを押し切って殺してしまった。それでチョーフグンは死んだ。そしたのでチョーフグンは「おまえは誰に命令されてこのようなことをしたのか」とのどを切った人の足をつかまえて二つに裂いて、首里城から西の森と東の森に投げた。そしてその人が死んではじめて鹿児島のしわざだったことがわかり、そのあと鹿児島から戦がよせられてきた。そのとき観音堂の側で口からウジのわいているチョーフグンを後ろから支えて立てて、「チョーフグン親方はまだいきているよ」といった。すると観音堂の下にある唐人墓の方で鹿児島の人たち2,300人は「チョーフグン親方はまだ生きている」といって自分で切腹して死んだ。
全体の記録時間数 4:54
物語の時間数 4:41
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP