
昔、何月かわからないが、18日に勝連村で3組の夫婦から3人の子供が生まれた。その子供たちが7才のとき母親に「いついつは台風がくるから父親に屋根のかやを直させなさい」というと叱られたが、その日になると言ったように台風がきた。10才になると海の近くにある芋畑を「ここまで津波がくるからここは早く掘りなさい」と10日前にいったが子供の言うことだと聞こうとしなかった。子供が言うように子供が言ったところまで津波がきた。そのことが村の御主に知られて10才の時に3人とも御主に仕えるように命令された。今年は何回台風が来るか、どんな病気がはやるかということを占った。それがいつもあたるので「この人達は普通の人間じゃない」と13才の時に母親からひき離れて、18才の時から御殿で教育を受けて18才で唐旅に出た。唐に4年位いて帰って来た。沖縄に帰ってくると泊港にきれいな娘が迎えに来ていた。娘3人が手まねきしていた。舟から降りてみると娘たちはいなくなっていた。それから生まれ村に帰ると村の入り口でまた、娘3人が手まねきをした。3か月すると着物の1枚だけもって「こんにちは」といってすぐ家に入ってきた。この男たちも「おまえは私の家に何をしに来たのか」とも言わなかった。そしてそのまま女たちを妻にした。この妻たちは同じ日に男の子を生んだ。男たちは城勤めはしていても貧乏だった。女たちは「アティンタカ ブルナウシナティンナクア アトーシナスバヌ ダシドゥナイル」といった。この言葉の意味は「実の入っている稲の穂はたれるが実の入ってないのはまっすぐになっている。人間はどう生きても土になってしまう」ということだ。その子供たちが7才の12月24日に城に呼ばれて来年の天気や作物のできぐあいをきいた。道の途中である家がかやをふていたので「あなたたちは4時か5時までにおりて煙草をすいなさい」といった。全然知らない人に言われたので聞かなかった。もう一軒かやをふいている家があったので「4時か5時頃休みなさい」というとこの家の人はこれを聞いて休んだ。この人たちが三日目に帰る時にこの家に寄って「おまえたちは休まなかったな」というと[休んでも休まなくても私たちの勝手だ」と言った。「この家は3年すると火事になるから」と言った。もう一軒の家に行くと馬がその家に向かって笑った。その家の人に「おまえたちは私の言うように休んだな」というと「はい、休みました」と言った。「米があるか」ときくと「米はありません」といったので「隣でもらってきなさい」と言って隣からもらってくると「これを門の外で炊きなさい」といって のなかに三粒入れて拝んで「このコメは水を入れないですぐ炊きなさい」と教えた。家のまわりを七回まわって米を少しずつまきながらとなえた。 クヌ トゥンチヌ ユーエー ユーチヌシンバイ ヤーチヌナカバイ イーティサダミティ イーティカタミティ チーウーマーウーネー イーヌクジラワ クニサバ ウネーフカトゥクウチ このことばをかやをふく時にとなえるようになった。
| レコード番号 | 47O360055 |
|---|---|
| CD番号 | 47O36C003 |
| 決定題名 | 屋根葺きのとなえごとの話(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 泉川寛三 |
| 話者名かな | いずみかわかんぞう |
| 生年月日 | 19030310 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県西原町仲伊保 |
| 記録日 | 19820219 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 西原町字兼久調査12班T03A16 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 『西原町史 別巻 西原の民話』P561 |
| キーワード | 屋根葺き,三組の夫婦,予言,かやふき,茅,萱,三人 |
| 梗概(こうがい) | 昔、何月かわからないが、18日に勝連村で3組の夫婦から3人の子供が生まれた。その子供たちが7才のとき母親に「いついつは台風がくるから父親に屋根のかやを直させなさい」というと叱られたが、その日になると言ったように台風がきた。10才になると海の近くにある芋畑を「ここまで津波がくるからここは早く掘りなさい」と10日前にいったが子供の言うことだと聞こうとしなかった。子供が言うように子供が言ったところまで津波がきた。そのことが村の御主に知られて10才の時に3人とも御主に仕えるように命令された。今年は何回台風が来るか、どんな病気がはやるかということを占った。それがいつもあたるので「この人達は普通の人間じゃない」と13才の時に母親からひき離れて、18才の時から御殿で教育を受けて18才で唐旅に出た。唐に4年位いて帰って来た。沖縄に帰ってくると泊港にきれいな娘が迎えに来ていた。娘3人が手まねきしていた。舟から降りてみると娘たちはいなくなっていた。それから生まれ村に帰ると村の入り口でまた、娘3人が手まねきをした。3か月すると着物の1枚だけもって「こんにちは」といってすぐ家に入ってきた。この男たちも「おまえは私の家に何をしに来たのか」とも言わなかった。そしてそのまま女たちを妻にした。この妻たちは同じ日に男の子を生んだ。男たちは城勤めはしていても貧乏だった。女たちは「アティンタカ ブルナウシナティンナクア アトーシナスバヌ ダシドゥナイル」といった。この言葉の意味は「実の入っている稲の穂はたれるが実の入ってないのはまっすぐになっている。人間はどう生きても土になってしまう」ということだ。その子供たちが7才の12月24日に城に呼ばれて来年の天気や作物のできぐあいをきいた。道の途中である家がかやをふていたので「あなたたちは4時か5時までにおりて煙草をすいなさい」といった。全然知らない人に言われたので聞かなかった。もう一軒かやをふいている家があったので「4時か5時頃休みなさい」というとこの家の人はこれを聞いて休んだ。この人たちが三日目に帰る時にこの家に寄って「おまえたちは休まなかったな」というと[休んでも休まなくても私たちの勝手だ」と言った。「この家は3年すると火事になるから」と言った。もう一軒の家に行くと馬がその家に向かって笑った。その家の人に「おまえたちは私の言うように休んだな」というと「はい、休みました」と言った。「米があるか」ときくと「米はありません」といったので「隣でもらってきなさい」と言って隣からもらってくると「これを門の外で炊きなさい」といって のなかに三粒入れて拝んで「このコメは水を入れないですぐ炊きなさい」と教えた。家のまわりを七回まわって米を少しずつまきながらとなえた。 クヌ トゥンチヌ ユーエー ユーチヌシンバイ ヤーチヌナカバイ イーティサダミティ イーティカタミティ チーウーマーウーネー イーヌクジラワ クニサバ ウネーフカトゥクウチ このことばをかやをふく時にとなえるようになった。 |
| 全体の記録時間数 | 16:28 |
| 物語の時間数 | 15:57 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |