三津武御嶽(シマグチ)

概要

ミチン嶽の由来は久高ノロ津堅ノロ御殿の長男長女その三名が亡くなられたのを記念してつけられた。12月24日(御願解き)三人のノロが久高へ御願しにいく馬天から船を出した。冬カジマーイ(突風)に遭遇し久高沖へ流された。遭難の途中、大和の天草のカツオ船に拾われ、天草へ上陸した。熊本へ行き一カ月ここで過ごした。そこから鹿児島へ行きそこで三年間過ごした。御殿のウミナイは鹿児島の殿と鹿児島の殿とクウェータイしたので、琉球王はクンジャンサマノカミ江戸からの帰り連れ戻して来るように頼んだ。クンジャンサマノカミは鹿児島へつくと帰すのを嫌がり、鹿児島の王を琉球王からの命令だと説きふせて連れ帰った。ウミナイは孕んでいたのでいたので沖縄島が見える所で子を産んだ。クンジャンノカミはこれは大和人の子だからと言って、その子を海へ投げこんだ。(?)の下にハナビラー石という所があった。そこに上陸した。そこから御殿へ上がった。ウミナイビは「私の産んだ子はタッキーは聞こえたが、今はいないがどうしたのか」とクンジャミノカミみ尋ねた。しかしクンジャンノカミは舟に乗って今帰仁へ帰って行った。ウナイビは二人のノロを連れて自分が産んだ子供を探すため海へ飛び込んで溺誌した。二、三日後、ハナビラー石の近くへその三人が打ち上げられた。三人と容姿が似ていた。津堅ノロは鼻の右付根にアザがあるので判別でき、久高ノロはヒラゲーに毛があったので地元の人々を連れて来て判別させた。その三人は玉御殿に葬ることができなかった。現在の三津武嶽の所に墓をつくり海に向けておけばその三人も極楽するだろうといってここに葬った。これは500年も昔のことである。以上が三津武嶽由来の話である。

再生時間:5:56

民話詳細DATA

レコード番号 47O360029
CD番号 47O36C002
決定題名 三津武御嶽(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 泉川寛三
話者名かな いずみかわかんぞう
生年月日 19030310
性別
出身地 沖縄県西原町仲伊保
記録日 19810614
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 西原町字兼久調査14班T02A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『西原町史 別巻 西原の民話』P325
キーワード
梗概(こうがい) ミチン嶽の由来は久高ノロ津堅ノロ御殿の長男長女その三名が亡くなられたのを記念してつけられた。12月24日(御願解き)三人のノロが久高へ御願しにいく馬天から船を出した。冬カジマーイ(突風)に遭遇し久高沖へ流された。遭難の途中、大和の天草のカツオ船に拾われ、天草へ上陸した。熊本へ行き一カ月ここで過ごした。そこから鹿児島へ行きそこで三年間過ごした。御殿のウミナイは鹿児島の殿と鹿児島の殿とクウェータイしたので、琉球王はクンジャンサマノカミ江戸からの帰り連れ戻して来るように頼んだ。クンジャンサマノカミは鹿児島へつくと帰すのを嫌がり、鹿児島の王を琉球王からの命令だと説きふせて連れ帰った。ウミナイは孕んでいたのでいたので沖縄島が見える所で子を産んだ。クンジャンノカミはこれは大和人の子だからと言って、その子を海へ投げこんだ。(?)の下にハナビラー石という所があった。そこに上陸した。そこから御殿へ上がった。ウミナイビは「私の産んだ子はタッキーは聞こえたが、今はいないがどうしたのか」とクンジャミノカミみ尋ねた。しかしクンジャンノカミは舟に乗って今帰仁へ帰って行った。ウナイビは二人のノロを連れて自分が産んだ子供を探すため海へ飛び込んで溺誌した。二、三日後、ハナビラー石の近くへその三人が打ち上げられた。三人と容姿が似ていた。津堅ノロは鼻の右付根にアザがあるので判別でき、久高ノロはヒラゲーに毛があったので地元の人々を連れて来て判別させた。その三人は玉御殿に葬ることができなかった。現在の三津武嶽の所に墓をつくり海に向けておけばその三人も極楽するだろうといってここに葬った。これは500年も昔のことである。以上が三津武嶽由来の話である。
全体の記録時間数 6:17
物語の時間数 5:56
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP