千貫田の名の由来(シマグチ混)

概要

元々屋良の千貫田とぅくま、あれ百坪ぐらいしかないですよ。こっちにのこのすぐそこに嘉手納の人が、琉球王の時代に自由に開墾してこっちは田んぼ作ったらしいですよ。そして、廃幡置県なって、屋良とか何とか境界が分からない時に、こっちからは屋良、あっちから向こうから嘉手納ちって、地分けして、土地を分けたそうですよ。あん時に、「これは私が開墾してる、私の物 だ。嘉手納の物だ。」って言って、「これ屋良の境界にあるから屋良の物である。」って言うこの紛争して、紛争の経費に千貫掛かって、ようやく屋良が取り戻したって。だから、「この田小の田なかい千貫掛かとーんどー。千貫すんどーん。」って言う。もうあの時千貫でたら、千坪も、二千坪も買う時代に百坪の田はね、千貫掛かたんでぃ。そういう経緯から、それから、千貫田になった。本当はあっちは下仁原と言うんですよ。地名は、千貫田になったんです。ずっとコエイダバルの所まで千貫田になっている。あの停留場なんかがコエイダバルなんですよ。

再生時間:2:26

民話詳細DATA

レコード番号 47O416601
CD番号 47O41C351
決定題名 千貫田の名の由来(シマグチ混)
話者がつけた題名
話者名 津波古清助
話者名かな つはこせいすけ
生年月日 19200918
性別
出身地 嘉手納町屋良
記録日 19940919
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T53A13
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P58
キーワード 屋良の千貫田,千貫,百坪の田
梗概(こうがい) 元々屋良の千貫田とぅくま、あれ百坪ぐらいしかないですよ。こっちにのこのすぐそこに嘉手納の人が、琉球王の時代に自由に開墾してこっちは田んぼ作ったらしいですよ。そして、廃幡置県なって、屋良とか何とか境界が分からない時に、こっちからは屋良、あっちから向こうから嘉手納ちって、地分けして、土地を分けたそうですよ。あん時に、「これは私が開墾してる、私の物 だ。嘉手納の物だ。」って言って、「これ屋良の境界にあるから屋良の物である。」って言うこの紛争して、紛争の経費に千貫掛かって、ようやく屋良が取り戻したって。だから、「この田小の田なかい千貫掛かとーんどー。千貫すんどーん。」って言う。もうあの時千貫でたら、千坪も、二千坪も買う時代に百坪の田はね、千貫掛かたんでぃ。そういう経緯から、それから、千貫田になった。本当はあっちは下仁原と言うんですよ。地名は、千貫田になったんです。ずっとコエイダバルの所まで千貫田になっている。あの停留場なんかがコエイダバルなんですよ。
全体の記録時間数 2:34
物語の時間数 2:26
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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