
吉屋が読谷あたりからね、読谷あたりの御出身だったかわ13:23からんけど、辻ね。遊廓さあね。男の人達が行って遊ぶところね、その遊廓に売られて。まあ、あの時は、貧しいところはね、男の子は糸満に売ってきて、糸満売いってするわけね。娘さんは、辻に売るもんだから辻 売いというわけね。売られてね、行くときに、吉屋チルーの歌の始まりはここでしょ。けど、そこでもう、「恨む比謝橋や 情けねん人ぬ 私渡さ思てぃ 架けるてぃうちゃら〔恨む比謝橋は、きっと、情けの無い人が、私を渡そうと思って、架けておいたのでしょう〕」ということでね。ここで歌ったんだね。「この比謝川にね、橋が架けられていなければね、自分は向こうに渡れないからね、いかんでもすみよったのにと、情けのない人がね、これ、架けておいたんだな。」っていうふうにね、それで、恨む比謝橋って歌ったみたいね。吉屋チルーの出身地は、読谷のね、喜名を越えたところねえ、親志辺りじゃないかなあと思う。座喜味と喜名のね、あの一帯だと思うんだね。吉屋っていうものは、歌人として有名でしょ。まあ美人であったかどうかは分からんけれども、普通、こう遊廓に売られるということは、もういろいろね、身も心もね、普通ボロボロになるんだがね。あの吉屋の場合には、すごくその辺もかたいものがあったと思うと、本当に天才的なものがあったと。そして、自分が本当に遊びの相手にするにはね、自分が歌をね、上句を自分が歌ったら、下句をね、きちんとつけてくれるね、その人としか、まあ遊ばないとかね、そういういわれのあるまあ、こう遊女の中では、もう非常にまあ変わったね、存在として描かれているんじゃないかな。が、しかし、あれだけの歌を現実に残しているからね。これもうすごかったんだと思うよ。それから成長していって、向こうでいろいろな歌を残していると思うけどね。あまりにも、その歌が有名であるわけ。まあ遊廓での物語とね、沖縄のこういった時代背景そのものと、それから首里城のね、仲里里主か、仲里とは役人さあね。今で言えば、里主ってなあ、県でね、局長か部長クラスだと思うが、役人だかね。そのかたは、なかなかこの歌がね、うまが合いよったということでね、描かれているんだよね。そして、この仲里という若い里主とね、恋に落ちるわけね。しかし、仲里というのには、もう立派な奥さんがいるしね。歌で歌って、歌のやりとりだけだよというふうにやるんだけど、吉屋も、まだ一七、八で若いからね、恋がこう燃えてくわけね。まあ、そういう中でいろいろ、こう苦しむわけだ。で、そういう一つの背景として、仲里里主とのね、もう非常にこうきれいな恋の物語。そして、非常に出来のいいね、仲里里主のね、奥さんがね、やはり、女の心、女でしか分からないというね、その吉屋に対するね、最初は誤解も偏見もあったけれども、「やな、遊女小がぬぅやるばーが(一体なんなの)。」ということであったけど、こうやはり、接して、この歌なんかを見ているうちにね、吉屋という遊女がね、ただものではないということに気づいて、慰めるわけね。奥さんも慰めたと、これ芝居の筋として慰める。しかし、吉屋チルーが、果てるのはね、やはり遊廓のね、女将がね、高い金を貰ってね、そんなに身ぎれいな人ではない男性に、身をゆだねさせるということで、これが、もう嫌われ者に相手にされたもんだから、これは嫌われ者というふうに分かったもんだから、この吉屋はね、「もう自分はね、もうこんなしても生きることはない。もう身も全部けがれてしまった。」とね、いうことで、このあんまりよからぬ人をね、あやめてしまうわけね。こう、ジーファー持ってね、、ジーファーって分かるでしょ、カンプーにやるね、かんざしでこの男を殺してしまうわけ。そして、殺して、自分は海で今でいう入水自殺を計るわけだね。そういうふうに、入水自殺を計ったっていうのが、この吉屋の最期であるわけ。で、そのあと、こう歌人としてのね、吉屋の歌人としての、素晴らしい所はどこだったかということが、また後なわけね。遺骨なって、兄弟がね、引き取ることになったというわけね。遊女はね、亡くなったらね、親元に戻るというわけさ。で、親元のお墓に持って帰るとき、それは、ほんとに歌ったかどうかは、ただ、物語として、この一つの教えとしてね、こういうふうにつくっている。そこで、こう遊女アンマー(遊女母親)ね、女将がね、墓参りに行って、そこで、泣いたらね、これに対するね、吉屋の墓からね、この人に対する、恨みつらみの歌が返ってきたというわけ。ま、どんな内容か分からんけどね、生きてる時はね、人をね、こうすごく使っていながらね、亡くなってからね、ここに泣いてくるとは、どういうことかというね、そういう恨みの歌を歌ったということ、なんだよね、そういうだけ、歌人として、まあ、吉屋チルーは、有名だったと、いうこと。また、比謝橋ってね、ここを7、8才の頃、渡って行って、それから10年後にの19才に遺骨になって帰って行くわけね。そういう、道になっているのは間違いない。これはね、今、ビデオのほうにも、なっていると思うんだけ。吉屋の歌碑があるっていうことも、昔からの事実だしね、だからもう屋良のムルチから、ここに渡ってきて、吉屋の歌碑がですね、イユミーバンタ、向こうはよく、何があるか分からない。向こうも割りと、みんなが怖がったところだけどね、なんか、いま考えるとね、一年忌だったんじゃないかしらね。こう白骨化してね、普通は、白骨化するまではね、その棺箱に入れてね、それを綺麗にまた洗骨してね、瓶に入れてそれからお墓に入れるわけだね。その亡くなって恐らく一年とか、そんなもんじゃないかな、この歌を誰が聞いたかというと、この仲里里主の夫婦が聞いたと言ってね、瓶に移して、兄さんと従兄弟かな、担いでね、渡るときにね、どこの地域か分からんけど、どの辺に来た時か分からんけど、もうあまりにもこう重くてね、で、「あの少し休もうや。」と、「しかし、これはもう日が暮れたらどうするか。」ということでね、いうけど、「ちょっと休もう。」という形で休んだというわけね。そしたらこの休んでこうおいていた時にね、この兄弟には歌は聞こえないわけだよ。しかし、今日、そういう遺骨のね、向こうに移す日だということで、まあ仲里里主が聞いたのかわからんけど、で、その見送りっていうのかな、いう感じで恐らく来たんじゃない。その時に、仲里里主が、歌をが聞こえて、この吉屋の歌が聞こえてね、「どこに、今、いるんだ。」ということで、そこに歌の元を聞いたら、ここでね、瓶が休んでいたということで、そこがまた、亡くなってからも、歌をうたったということがあるわけね。
| レコード番号 | 47O416277 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C333 |
| 決定題名 | 吉屋チルー(シマグチ混) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 花城康勝 |
| 話者名かな | はなしろやすかつ |
| 生年月日 | 19380201 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 嘉手納町千原 |
| 記録日 | 19940916 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 嘉手納T36A10 T36B01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | かでなの民話P173 |
| キーワード | 吉屋,遊廓,比謝橋,仲里里主,入水自殺,吉屋の墓,歌人 |
| 梗概(こうがい) | 吉屋が読谷あたりからね、読谷あたりの御出身だったかわ13:23からんけど、辻ね。遊廓さあね。男の人達が行って遊ぶところね、その遊廓に売られて。まあ、あの時は、貧しいところはね、男の子は糸満に売ってきて、糸満売いってするわけね。娘さんは、辻に売るもんだから辻 売いというわけね。売られてね、行くときに、吉屋チルーの歌の始まりはここでしょ。けど、そこでもう、「恨む比謝橋や 情けねん人ぬ 私渡さ思てぃ 架けるてぃうちゃら〔恨む比謝橋は、きっと、情けの無い人が、私を渡そうと思って、架けておいたのでしょう〕」ということでね。ここで歌ったんだね。「この比謝川にね、橋が架けられていなければね、自分は向こうに渡れないからね、いかんでもすみよったのにと、情けのない人がね、これ、架けておいたんだな。」っていうふうにね、それで、恨む比謝橋って歌ったみたいね。吉屋チルーの出身地は、読谷のね、喜名を越えたところねえ、親志辺りじゃないかなあと思う。座喜味と喜名のね、あの一帯だと思うんだね。吉屋っていうものは、歌人として有名でしょ。まあ美人であったかどうかは分からんけれども、普通、こう遊廓に売られるということは、もういろいろね、身も心もね、普通ボロボロになるんだがね。あの吉屋の場合には、すごくその辺もかたいものがあったと思うと、本当に天才的なものがあったと。そして、自分が本当に遊びの相手にするにはね、自分が歌をね、上句を自分が歌ったら、下句をね、きちんとつけてくれるね、その人としか、まあ遊ばないとかね、そういういわれのあるまあ、こう遊女の中では、もう非常にまあ変わったね、存在として描かれているんじゃないかな。が、しかし、あれだけの歌を現実に残しているからね。これもうすごかったんだと思うよ。それから成長していって、向こうでいろいろな歌を残していると思うけどね。あまりにも、その歌が有名であるわけ。まあ遊廓での物語とね、沖縄のこういった時代背景そのものと、それから首里城のね、仲里里主か、仲里とは役人さあね。今で言えば、里主ってなあ、県でね、局長か部長クラスだと思うが、役人だかね。そのかたは、なかなかこの歌がね、うまが合いよったということでね、描かれているんだよね。そして、この仲里という若い里主とね、恋に落ちるわけね。しかし、仲里というのには、もう立派な奥さんがいるしね。歌で歌って、歌のやりとりだけだよというふうにやるんだけど、吉屋も、まだ一七、八で若いからね、恋がこう燃えてくわけね。まあ、そういう中でいろいろ、こう苦しむわけだ。で、そういう一つの背景として、仲里里主とのね、もう非常にこうきれいな恋の物語。そして、非常に出来のいいね、仲里里主のね、奥さんがね、やはり、女の心、女でしか分からないというね、その吉屋に対するね、最初は誤解も偏見もあったけれども、「やな、遊女小がぬぅやるばーが(一体なんなの)。」ということであったけど、こうやはり、接して、この歌なんかを見ているうちにね、吉屋という遊女がね、ただものではないということに気づいて、慰めるわけね。奥さんも慰めたと、これ芝居の筋として慰める。しかし、吉屋チルーが、果てるのはね、やはり遊廓のね、女将がね、高い金を貰ってね、そんなに身ぎれいな人ではない男性に、身をゆだねさせるということで、これが、もう嫌われ者に相手にされたもんだから、これは嫌われ者というふうに分かったもんだから、この吉屋はね、「もう自分はね、もうこんなしても生きることはない。もう身も全部けがれてしまった。」とね、いうことで、このあんまりよからぬ人をね、あやめてしまうわけね。こう、ジーファー持ってね、、ジーファーって分かるでしょ、カンプーにやるね、かんざしでこの男を殺してしまうわけ。そして、殺して、自分は海で今でいう入水自殺を計るわけだね。そういうふうに、入水自殺を計ったっていうのが、この吉屋の最期であるわけ。で、そのあと、こう歌人としてのね、吉屋の歌人としての、素晴らしい所はどこだったかということが、また後なわけね。遺骨なって、兄弟がね、引き取ることになったというわけね。遊女はね、亡くなったらね、親元に戻るというわけさ。で、親元のお墓に持って帰るとき、それは、ほんとに歌ったかどうかは、ただ、物語として、この一つの教えとしてね、こういうふうにつくっている。そこで、こう遊女アンマー(遊女母親)ね、女将がね、墓参りに行って、そこで、泣いたらね、これに対するね、吉屋の墓からね、この人に対する、恨みつらみの歌が返ってきたというわけ。ま、どんな内容か分からんけどね、生きてる時はね、人をね、こうすごく使っていながらね、亡くなってからね、ここに泣いてくるとは、どういうことかというね、そういう恨みの歌を歌ったということ、なんだよね、そういうだけ、歌人として、まあ、吉屋チルーは、有名だったと、いうこと。また、比謝橋ってね、ここを7、8才の頃、渡って行って、それから10年後にの19才に遺骨になって帰って行くわけね。そういう、道になっているのは間違いない。これはね、今、ビデオのほうにも、なっていると思うんだけ。吉屋の歌碑があるっていうことも、昔からの事実だしね、だからもう屋良のムルチから、ここに渡ってきて、吉屋の歌碑がですね、イユミーバンタ、向こうはよく、何があるか分からない。向こうも割りと、みんなが怖がったところだけどね、なんか、いま考えるとね、一年忌だったんじゃないかしらね。こう白骨化してね、普通は、白骨化するまではね、その棺箱に入れてね、それを綺麗にまた洗骨してね、瓶に入れてそれからお墓に入れるわけだね。その亡くなって恐らく一年とか、そんなもんじゃないかな、この歌を誰が聞いたかというと、この仲里里主の夫婦が聞いたと言ってね、瓶に移して、兄さんと従兄弟かな、担いでね、渡るときにね、どこの地域か分からんけど、どの辺に来た時か分からんけど、もうあまりにもこう重くてね、で、「あの少し休もうや。」と、「しかし、これはもう日が暮れたらどうするか。」ということでね、いうけど、「ちょっと休もう。」という形で休んだというわけね。そしたらこの休んでこうおいていた時にね、この兄弟には歌は聞こえないわけだよ。しかし、今日、そういう遺骨のね、向こうに移す日だということで、まあ仲里里主が聞いたのかわからんけど、で、その見送りっていうのかな、いう感じで恐らく来たんじゃない。その時に、仲里里主が、歌をが聞こえて、この吉屋の歌が聞こえてね、「どこに、今、いるんだ。」ということで、そこに歌の元を聞いたら、ここでね、瓶が休んでいたということで、そこがまた、亡くなってからも、歌をうたったということがあるわけね。 |
| 全体の記録時間数 | 13:24 |
| 物語の時間数 | 13:23 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |