名刀治金丸(共通語)

概要

尚家にね、現在所有されている治金丸、これは、今から約600、580年ぐらい前の話だけどさ。これは攀安知がね、所有してたらしい。その治金丸(じがねまる)の最初はね、北谷ハーチラーといってね、山刀だったらしいんだよ。その山刀をね、ある北谷の百姓のね、山行ったりなんかしてね、女が持っとったらしいんだよ。どこ行ったのか、何かヒーラしたんですけど。短い山刀だったらしいんだよ。それで、ある日ね、そこの二、三歳ぐらいなる娘を連れてね、山刀持ってさ、何か木小でも切ろうと思ってやったんじゃないかな。で、あんまり、その娘が泣くもんだからね、ちょっと離れたとこによ、「何で泣くのか。早くこっちに来なさい、来なさい。」と、その刀持っといてね、山刀を振ったら、娘の顔が切れたらしいんだよ。それがもう有名になっちゃってね、それを北山の攀安知が話を聞いてね、その刀を取り上げてね、鍛冶屋もどこの鍛冶屋か知らんけど、鍛冶屋に持ってって、その刀打たしたんだよ。その刀が治金丸。で、尚巴志が、護佐丸、名護按司、羽地按司と連合軍で、攀安知を攻める時にね、あん時に攀安知が滅ぼされた。そんで、連合軍があんまりもう強くて、本部大原も裏切ったっちゅうたからね、あれもたっ切って捨てた。ほんで、上下、腹を切って、上下、半分から切ってね、城壁のそれ投げたんだよ。それで、投げたら、下が川なんだよね。あそこは、今帰仁の川だけど何川かなあ。その川に投げたわけさあ。その川に投げたもんだからね。大正か明治時代に、ある伊江島の人がそこで、何か泳いでいたらしい。何か引っかけたもんだから上げてみたら、刀だった。水に漬かっていて、ほんで錆はしてるけど、中までは錆していない。刀が上等もんだから、県庁に持っていったら、「これは、所有者はもう尚家ですからね。」と言って、で、尚家に渡して、現在の治金丸になった。

再生時間:3:44

民話詳細DATA

レコード番号 47O416217
CD番号 47O41C330
決定題名 名刀治金丸(共通語)
話者がつけた題名
話者名 沢岻安徳
話者名かな たくしあんとく
生年月日 19220826
性別
出身地 嘉手納町野国
記録日 19940718
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T33A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P66
キーワード 尚家,治金丸,攀安知,北谷ハーチラー,山刀,鍛冶屋
梗概(こうがい) 尚家にね、現在所有されている治金丸、これは、今から約600、580年ぐらい前の話だけどさ。これは攀安知がね、所有してたらしい。その治金丸(じがねまる)の最初はね、北谷ハーチラーといってね、山刀だったらしいんだよ。その山刀をね、ある北谷の百姓のね、山行ったりなんかしてね、女が持っとったらしいんだよ。どこ行ったのか、何かヒーラしたんですけど。短い山刀だったらしいんだよ。それで、ある日ね、そこの二、三歳ぐらいなる娘を連れてね、山刀持ってさ、何か木小でも切ろうと思ってやったんじゃないかな。で、あんまり、その娘が泣くもんだからね、ちょっと離れたとこによ、「何で泣くのか。早くこっちに来なさい、来なさい。」と、その刀持っといてね、山刀を振ったら、娘の顔が切れたらしいんだよ。それがもう有名になっちゃってね、それを北山の攀安知が話を聞いてね、その刀を取り上げてね、鍛冶屋もどこの鍛冶屋か知らんけど、鍛冶屋に持ってって、その刀打たしたんだよ。その刀が治金丸。で、尚巴志が、護佐丸、名護按司、羽地按司と連合軍で、攀安知を攻める時にね、あん時に攀安知が滅ぼされた。そんで、連合軍があんまりもう強くて、本部大原も裏切ったっちゅうたからね、あれもたっ切って捨てた。ほんで、上下、腹を切って、上下、半分から切ってね、城壁のそれ投げたんだよ。それで、投げたら、下が川なんだよね。あそこは、今帰仁の川だけど何川かなあ。その川に投げたわけさあ。その川に投げたもんだからね。大正か明治時代に、ある伊江島の人がそこで、何か泳いでいたらしい。何か引っかけたもんだから上げてみたら、刀だった。水に漬かっていて、ほんで錆はしてるけど、中までは錆していない。刀が上等もんだから、県庁に持っていったら、「これは、所有者はもう尚家ですからね。」と言って、で、尚家に渡して、現在の治金丸になった。
全体の記録時間数 3:50
物語の時間数 3:44
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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