
昔、宮古島に伊佐大人(サタンプント)という人がいて、この人は2,000人の部下を率いて、久松、下地、城辺を悪事の限りを尽くして荒らしまわった。その頃、宮古を統治していたのは目黒盛豊見親だったが、伊佐大人はその目黒盛を不意討ちしようと、今の宮古警察署の所にあった屋敷を襲った。その時、目黒盛は畑で農業をしている時だったので、部下もおらず、伊佐大人に追われて司屋(漲水御嶽)に逃れた。そのうちに逃れていた部下も、荷川取からも人々が来て目黒盛を救おうとした。その時、司屋の洞窟から数匹の犬が出てきて、伊佐大人に噛み付いたので、伊佐大人は負け戦になり下地まで逃れたが、目黒盛勢に攻められて死んだ。伊佐大人はその地に今も石を5,6個置いて祀られている。この伊佐大人の部下で、その頃16歳だった真佐久という人は与那覇湾まで逃げ、他国からの応援を得ようと舟に乗ると、その舟は沖縄の泊に着いた。その頃の沖縄の王は察度王だったが、真佐久に会っても言葉が通じないので、安里のタカマサリバルに三年居住させ、言葉が通ずるようになると、真佐久が沖縄には逆らわないことが分かったので、与那覇勢頭豊見親の名を与え、宮古の長に任じて宮古に帰した。しかし、宮古はその後も目黒盛豊見親が統治していたが、その後目黒盛豊見親がどうなったのか、墓がどこにあるのかさえも分からなかった。ところが、話者の家の隣に古波蔵(コパンガー)屋敷という古い屋敷跡があり、そこには石垣やアーチ型の門が残っていた。またそこには祠があって、それをサトの御嶽といい、神名をヤリスヌスハトヌヌシと呼び、老婆達が拝んでいた。そこは目黒盛豊見親の屋敷が見下ろせる場所であり、海はすぐ近くだったので、そこが与那覇勢頭豊見親の住んだ所と思われる。このコバンガ御嶽の上には大和神も祀られていた。そこには石垣の下に骨を入れたカメが山積みされており、ある時、カンカカリヤーが夢でその骨こそ与那覇勢頭豊見親だというお告げを受けた。元々この骨は下里という人が、そこに屋敷を作ろうとすると、骨と一緒にマガ玉や沖縄本島のカラカラーなどが出たので、屋敷にすることをやめた土地だったが、このカンカカリヤーのことばで、与那覇勢頭豊見親の子孫達が遺骨などを調べ、本土にも送って分析してもらったが、分析の結果はそんなに古いものではないことが分かった。しかしその後、鶴丸会館を経営している人がその土地を利用しようとして、そこの骨を無縁仏の骨と一緒にして、そこを駐車場にすると祟りがあって、そこの夫婦は病気になり、二人とも死んでしまった。
| レコード番号 | 47O233543 |
|---|---|
| CD番号 | 47O23C178 |
| 決定題名 | 与那覇勢頭豊見親(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 羽地栄 |
| 話者名かな | はねじさかい |
| 生年月日 | 19130301 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 平良市 |
| 記録日 | 19960903 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 平良T77A03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 与那覇勢頭豊見親,目黒盛豊見親,察度王 |
| 梗概(こうがい) | 昔、宮古島に伊佐大人(サタンプント)という人がいて、この人は2,000人の部下を率いて、久松、下地、城辺を悪事の限りを尽くして荒らしまわった。その頃、宮古を統治していたのは目黒盛豊見親だったが、伊佐大人はその目黒盛を不意討ちしようと、今の宮古警察署の所にあった屋敷を襲った。その時、目黒盛は畑で農業をしている時だったので、部下もおらず、伊佐大人に追われて司屋(漲水御嶽)に逃れた。そのうちに逃れていた部下も、荷川取からも人々が来て目黒盛を救おうとした。その時、司屋の洞窟から数匹の犬が出てきて、伊佐大人に噛み付いたので、伊佐大人は負け戦になり下地まで逃れたが、目黒盛勢に攻められて死んだ。伊佐大人はその地に今も石を5,6個置いて祀られている。この伊佐大人の部下で、その頃16歳だった真佐久という人は与那覇湾まで逃げ、他国からの応援を得ようと舟に乗ると、その舟は沖縄の泊に着いた。その頃の沖縄の王は察度王だったが、真佐久に会っても言葉が通じないので、安里のタカマサリバルに三年居住させ、言葉が通ずるようになると、真佐久が沖縄には逆らわないことが分かったので、与那覇勢頭豊見親の名を与え、宮古の長に任じて宮古に帰した。しかし、宮古はその後も目黒盛豊見親が統治していたが、その後目黒盛豊見親がどうなったのか、墓がどこにあるのかさえも分からなかった。ところが、話者の家の隣に古波蔵(コパンガー)屋敷という古い屋敷跡があり、そこには石垣やアーチ型の門が残っていた。またそこには祠があって、それをサトの御嶽といい、神名をヤリスヌスハトヌヌシと呼び、老婆達が拝んでいた。そこは目黒盛豊見親の屋敷が見下ろせる場所であり、海はすぐ近くだったので、そこが与那覇勢頭豊見親の住んだ所と思われる。このコバンガ御嶽の上には大和神も祀られていた。そこには石垣の下に骨を入れたカメが山積みされており、ある時、カンカカリヤーが夢でその骨こそ与那覇勢頭豊見親だというお告げを受けた。元々この骨は下里という人が、そこに屋敷を作ろうとすると、骨と一緒にマガ玉や沖縄本島のカラカラーなどが出たので、屋敷にすることをやめた土地だったが、このカンカカリヤーのことばで、与那覇勢頭豊見親の子孫達が遺骨などを調べ、本土にも送って分析してもらったが、分析の結果はそんなに古いものではないことが分かった。しかしその後、鶴丸会館を経営している人がその土地を利用しようとして、そこの骨を無縁仏の骨と一緒にして、そこを駐車場にすると祟りがあって、そこの夫婦は病気になり、二人とも死んでしまった。 |
| 全体の記録時間数 | 8:04 |
| 物語の時間数 | 8:04 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |