大泊御嶽由来(共通語)

概要

大泊(ウプドゥマラ)御嶽は支那の神様である。昔、支那から7人兄弟が難を逃れるために、ミャーラン船でやって来て浜に着いた。そこに自分たちで家を作り寝泊りした。この家のことを大(ウプ)屋敷という。そこから兄弟たちが方々へ広がって行ったが、西の方のミャーカは、次男の墓だということで、旧暦8月にプーズといって、神酒を持っていく。この次男の墓には、何年生まれの誰が行け、と部落で決められ、その人でなければ神酒を持っていけない。話者も一度選ばれて神酒を持って行った。大屋敷はミャーカのように石垣で囲まれており、屋敷はなく門だけが残っている。この門は幅を広げたり、狭くしたりすることができない。今は久松公民館のスーパーの後ろにその門があって、スーパーの人たちが神の家を作って、沖縄へ引っ越して行った。この家の屋号をスイニャーというが、スイニャーを起点として、大泊の祭りや御願が始まる。大きな御願は月に3,4回ある。内容は虫払い、神酒、麦、井戸などの御願である。また大浜の大浜山(ウパーマ山)には兄弟が祭られていて、節々の御願には勇士や神かかり人、ユタが集まって、歌や踊りをして、そのあと神酒を上げる。これらの人たちが久松部落を作ったと言っても過言ではなく、昔2,3名しかいなかったであろう部落の人たちに、農業や漁業を教えて、今の人たちは半農半漁の生活になった。これは大泊の神のお陰であるとしている。大泊の神は唐の人であるということから、唐の主ともいわれている。支那の風俗をそのまま残しているので、神酒皿も中国のものと同じものを使う。神酒皿を持つ者は死ぬまでそれを持ち続け、亡くなったら次の人を神様に聞いて決めるという。神酒は方言でンクスという。唐の主の他に、世の主という、一年の豊作を天の神と相談してくれる神と、龍宮天、島の離れにあるパナリ島のパナリブヤ、久貝、松原の龍宮、そしてカズヌユという船の船頭をした神などがいる。唐のきょうだいは全て男だったか、女が混じっていたかは分からない。

再生時間:14:14

民話詳細DATA

レコード番号 47O233205
CD番号 47O23C152
決定題名 大泊御嶽由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 垣花昌美
話者名かな かきのはなまさみ
生年月日 19110620
性別
出身地 不明
記録日 19960226
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 平良T26A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 大泊御嶽,支那の神様,龍宮天
梗概(こうがい) 大泊(ウプドゥマラ)御嶽は支那の神様である。昔、支那から7人兄弟が難を逃れるために、ミャーラン船でやって来て浜に着いた。そこに自分たちで家を作り寝泊りした。この家のことを大(ウプ)屋敷という。そこから兄弟たちが方々へ広がって行ったが、西の方のミャーカは、次男の墓だということで、旧暦8月にプーズといって、神酒を持っていく。この次男の墓には、何年生まれの誰が行け、と部落で決められ、その人でなければ神酒を持っていけない。話者も一度選ばれて神酒を持って行った。大屋敷はミャーカのように石垣で囲まれており、屋敷はなく門だけが残っている。この門は幅を広げたり、狭くしたりすることができない。今は久松公民館のスーパーの後ろにその門があって、スーパーの人たちが神の家を作って、沖縄へ引っ越して行った。この家の屋号をスイニャーというが、スイニャーを起点として、大泊の祭りや御願が始まる。大きな御願は月に3,4回ある。内容は虫払い、神酒、麦、井戸などの御願である。また大浜の大浜山(ウパーマ山)には兄弟が祭られていて、節々の御願には勇士や神かかり人、ユタが集まって、歌や踊りをして、そのあと神酒を上げる。これらの人たちが久松部落を作ったと言っても過言ではなく、昔2,3名しかいなかったであろう部落の人たちに、農業や漁業を教えて、今の人たちは半農半漁の生活になった。これは大泊の神のお陰であるとしている。大泊の神は唐の人であるということから、唐の主ともいわれている。支那の風俗をそのまま残しているので、神酒皿も中国のものと同じものを使う。神酒皿を持つ者は死ぬまでそれを持ち続け、亡くなったら次の人を神様に聞いて決めるという。神酒は方言でンクスという。唐の主の他に、世の主という、一年の豊作を天の神と相談してくれる神と、龍宮天、島の離れにあるパナリ島のパナリブヤ、久貝、松原の龍宮、そしてカズヌユという船の船頭をした神などがいる。唐のきょうだいは全て男だったか、女が混じっていたかは分からない。
全体の記録時間数 14:14
物語の時間数 14:14
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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