
山城ウナーは体も大きくて武芸も達者だった。生まれは山城の大屋という家である。ウナーという名は鬼みたいに大きくて力強いことから山城ウナーというあだ名をつけられた。本当の名は山城次郎という。この人は伊波の若按司の指南役で武芸のけい古をみていた。山城ウナーは三山統一時代の人で、伊波の按司に弓のけい古をさせていたところは伊波城の西の平たんな所であった。山城ウナーは、その西のほうの山の中に石を持って行き弓の台にした。そこから矢を射ると伊波按司は矢をまともに歯でくいとめることができたが山城ウナーは年をとっていたので矢を横からくわえてとめた。伊波にモートゥンジャーという所がある。矢で射り飛ばされた石が落ちた所がモートゥンジャーと呼ばれている。その石も戦前まであった。そこにはクンパジモーという所がある。弓のけい古を見るために村人達が来てみんなでふみつけてモー(原っぱ)になった。山城ウナーは三山統一のあと、首里に務めに行くようになり馬に乗って牧港まで行き、潮が満ちて渡れなくなり、橋もないので大きな石を持ってきて、ならべて馬をおとした。牧港から坂をのぼって行くと、馬がヒヒーンと鳴き、首里の王様はそれを聞くと、「山城ウナーがくるから、やかんを火にかけろ」と言って湯を沸かさせたが、山城ウナーは湯が沸かないうちに牧港にかけてきた。山城ウナーは七間切の見張り役を命じられ、馬に乗ってかけまわっていたがその間に石川の浜にという海賊がきて伊波城に攻めてきた。伊波の按司は海賊と戦い山城の桃原から楚南の川まできたときにようやく全員殺したと思って髪を洗っていたがそのときに殺したと思っていた大和人が起き上がって。伊波の按司は後ろから切り殺されて、楚南の川で亡くなった。山城ウナーが伊波城に戻ってわけを聞き馬に乗って山城桃原にきて、そして楚南の川にくると按司が倒れていた。そして、按司を殺した大和人のあとを追って行きトゥイグチという所でかたきをとった。そのあと六ヶ月間雨が降らず、大和人の死体をかたづけ大和人墓に葬ると七ヶ月間か降った。今度は雨が長続きして飯が食えなくなって、乾竹を焼かして牧のかわりにした。大和人墓は清明・十六日に拝んでいる。伊波の若按司は山城の後の方に葬むられている。伊波の大按司は伊波のサージュービラという所に葬られている。
| レコード番号 | 47O412970 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C119 |
| 決定題名 | 山城ウナー(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 山城好増 |
| 話者名かな | やましろこうぞう |
| 生年月日 | 19081130 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 石川市山城 |
| 記録日 | 19820803 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石川市T35A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 山城ウナー,武芸,山城の大屋,力強い,伊波の若按司の指南役,弓,モートゥンジャー,クンパジモー,馬 |
| 梗概(こうがい) | 山城ウナーは体も大きくて武芸も達者だった。生まれは山城の大屋という家である。ウナーという名は鬼みたいに大きくて力強いことから山城ウナーというあだ名をつけられた。本当の名は山城次郎という。この人は伊波の若按司の指南役で武芸のけい古をみていた。山城ウナーは三山統一時代の人で、伊波の按司に弓のけい古をさせていたところは伊波城の西の平たんな所であった。山城ウナーは、その西のほうの山の中に石を持って行き弓の台にした。そこから矢を射ると伊波按司は矢をまともに歯でくいとめることができたが山城ウナーは年をとっていたので矢を横からくわえてとめた。伊波にモートゥンジャーという所がある。矢で射り飛ばされた石が落ちた所がモートゥンジャーと呼ばれている。その石も戦前まであった。そこにはクンパジモーという所がある。弓のけい古を見るために村人達が来てみんなでふみつけてモー(原っぱ)になった。山城ウナーは三山統一のあと、首里に務めに行くようになり馬に乗って牧港まで行き、潮が満ちて渡れなくなり、橋もないので大きな石を持ってきて、ならべて馬をおとした。牧港から坂をのぼって行くと、馬がヒヒーンと鳴き、首里の王様はそれを聞くと、「山城ウナーがくるから、やかんを火にかけろ」と言って湯を沸かさせたが、山城ウナーは湯が沸かないうちに牧港にかけてきた。山城ウナーは七間切の見張り役を命じられ、馬に乗ってかけまわっていたがその間に石川の浜にという海賊がきて伊波城に攻めてきた。伊波の按司は海賊と戦い山城の桃原から楚南の川まできたときにようやく全員殺したと思って髪を洗っていたがそのときに殺したと思っていた大和人が起き上がって。伊波の按司は後ろから切り殺されて、楚南の川で亡くなった。山城ウナーが伊波城に戻ってわけを聞き馬に乗って山城桃原にきて、そして楚南の川にくると按司が倒れていた。そして、按司を殺した大和人のあとを追って行きトゥイグチという所でかたきをとった。そのあと六ヶ月間雨が降らず、大和人の死体をかたづけ大和人墓に葬ると七ヶ月間か降った。今度は雨が長続きして飯が食えなくなって、乾竹を焼かして牧のかわりにした。大和人墓は清明・十六日に拝んでいる。伊波の若按司は山城の後の方に葬むられている。伊波の大按司は伊波のサージュービラという所に葬られている。 |
| 全体の記録時間数 | 11:36 |
| 物語の時間数 | 11:19 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |