山城の当の名の由来(共通語混)

概要

昔の十代前のお爺さん。当の十代目のお爺さんは大屋(うふや)からの分家。そのお爺さんの次男だったのか、三男になっているといっていたのかねえ、ねえ。そのどっちかが御殿勤(うどぅんづと)め、首里に御殿勤めをなさっていたので、御殿(うどぅん)でいろいろと調べられてから、支那へ行かされた。支那で一年間勤めを終えて帰る時にね、イームイのウスメーという家来は、当(とー)のお爺さんの供だったらしいねえ。そうしたもんだから、支那からの帰りに、自分は親分だからその家来に支那からのお土産を全部預けて帰ってきたらしいねえ。すると、その家来が、いい品物は全部選んで取ってしまったのでね、もう爺さんはがっかりなされた。苗木は分けていたので、当のお爺さんはその苗木を庭に植えられて、そして、花木の下で、「残念だなあ。あんなにたくさんの贈り物や記念品を、ちゃんとしないで、こんなふうに自分でいいのだけを選んで、あんなにされて。」といって、お爺さんは、その花木の下で泣いていたらしいよねえ。そういうことをしたので、イリムイのウスメーという人はもう大層賢い人であられたんでしょうねえ。当のお爺さんのところへ何回もおわびにきていたらしいさあ。だから、当のお爺さんは、そういうふうにおわびにくるもんだから、許してやろうと思っていたが、神様には知られてしまったらしく、もう今ではそこの家はなんにもならないでしょう。その子孫も絶えてしまって、家はあるが、人がいない。唐旅をなされたので、当(とー)という名が、屋号がついているわけだが。大屋からの分家だよ。当の家の下、おりてすぐのところに産川(うぶがー)がある。昔、子どもが生まれて名を付ける時は、その産川(うぶがー)から水をくんできてつけていた。その産川(うぶがー)の近くにあるわけね、当の家は。泉の側にあるまた、分家した親の家は大屋(うふや)で、安平(あびや)とも呼ばれているが、泉の近くにあるので、泉大屋(いじゅんうふや)と姓が変ってしまったわけよう。それで今では泉安平(いじゅんあびや)といっているんですが。昔はもうあっちこっち、今のように、あっちにもこっちにもみんな家が造られているわけでなく、人間もわずかな数しかいないでしょう。当(とー)のお爺さんは、大屋(うふや)から嫁さんをもらったらしく、その娘は、とてもかわいがられていた。今残っている反物は、唐旅へ行かれた方の妻、その妻というのは大屋の娘で、その人にあげられたので、それが今でも立派に保存されているわけですよね立派に飾られて。昔は、戦前までは、ちゃんとあったんでしょうね。今の世の中になったので、もう七月や正月になると、仏壇にある台にのせてそなえるわけ。「これは絶対に、いつの世までも保存しておかなければいけないので、立派に保管しておきなさいね。」と、妻に預けた。自分や、男兄弟は徴用され、戦に行き死んでしまったんだが、その妻が立派に保存、保管しているので、今でも残って飾っている。

再生時間:4:34

民話詳細DATA

レコード番号 47O412949
CD番号 47O41C118
決定題名 山城の当の名の由来(共通語混)
話者がつけた題名
話者名 山城カマ
話者名かな やましろかま
生年月日 19070401
性別
出身地 石川市山城
記録日 19820803
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石川市T34A05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく) 不明
伝承事情
文字化資料 いしかわの民話昔話編P254
キーワード 大屋,首里に御殿勤め,支那,苗木,神様,産川,安平,泉大屋
梗概(こうがい) 昔の十代前のお爺さん。当の十代目のお爺さんは大屋(うふや)からの分家。そのお爺さんの次男だったのか、三男になっているといっていたのかねえ、ねえ。そのどっちかが御殿勤(うどぅんづと)め、首里に御殿勤めをなさっていたので、御殿(うどぅん)でいろいろと調べられてから、支那へ行かされた。支那で一年間勤めを終えて帰る時にね、イームイのウスメーという家来は、当(とー)のお爺さんの供だったらしいねえ。そうしたもんだから、支那からの帰りに、自分は親分だからその家来に支那からのお土産を全部預けて帰ってきたらしいねえ。すると、その家来が、いい品物は全部選んで取ってしまったのでね、もう爺さんはがっかりなされた。苗木は分けていたので、当のお爺さんはその苗木を庭に植えられて、そして、花木の下で、「残念だなあ。あんなにたくさんの贈り物や記念品を、ちゃんとしないで、こんなふうに自分でいいのだけを選んで、あんなにされて。」といって、お爺さんは、その花木の下で泣いていたらしいよねえ。そういうことをしたので、イリムイのウスメーという人はもう大層賢い人であられたんでしょうねえ。当のお爺さんのところへ何回もおわびにきていたらしいさあ。だから、当のお爺さんは、そういうふうにおわびにくるもんだから、許してやろうと思っていたが、神様には知られてしまったらしく、もう今ではそこの家はなんにもならないでしょう。その子孫も絶えてしまって、家はあるが、人がいない。唐旅をなされたので、当(とー)という名が、屋号がついているわけだが。大屋からの分家だよ。当の家の下、おりてすぐのところに産川(うぶがー)がある。昔、子どもが生まれて名を付ける時は、その産川(うぶがー)から水をくんできてつけていた。その産川(うぶがー)の近くにあるわけね、当の家は。泉の側にあるまた、分家した親の家は大屋(うふや)で、安平(あびや)とも呼ばれているが、泉の近くにあるので、泉大屋(いじゅんうふや)と姓が変ってしまったわけよう。それで今では泉安平(いじゅんあびや)といっているんですが。昔はもうあっちこっち、今のように、あっちにもこっちにもみんな家が造られているわけでなく、人間もわずかな数しかいないでしょう。当(とー)のお爺さんは、大屋(うふや)から嫁さんをもらったらしく、その娘は、とてもかわいがられていた。今残っている反物は、唐旅へ行かれた方の妻、その妻というのは大屋の娘で、その人にあげられたので、それが今でも立派に保存されているわけですよね立派に飾られて。昔は、戦前までは、ちゃんとあったんでしょうね。今の世の中になったので、もう七月や正月になると、仏壇にある台にのせてそなえるわけ。「これは絶対に、いつの世までも保存しておかなければいけないので、立派に保管しておきなさいね。」と、妻に預けた。自分や、男兄弟は徴用され、戦に行き死んでしまったんだが、その妻が立派に保存、保管しているので、今でも残って飾っている。
全体の記録時間数 4:57
物語の時間数 4:34
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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