カンジェークー由来(シマグチ)

概要

このカンジェークーという屋号は、沖縄のあっちこっちにたくさんあるが。カンジェークーという屋号の家は昔は鍛冶屋(かじや)だから、免税されていたらしい。免税というのは、税金が出なかったわけだ。だから、だいたいカンジェークーという屋号をもっている家は、富着(ふちち)カンジェークーとか、源河 (じんか)カンジェークーとかいって、ほとんどが金持ちになっているわけだよね。この金持ちの家からだいたい首里への奉公人が出たらしい。首里奉公というのは、首里の御殿(うどぅん)や殿内(とぅんち)に奉公することだよ。カンジェークーのカナーが首里奉公に行って知念殿内(ちにんどぅんち)というところに奉公入りしたそうだが。このカナーは大変ほがらか者で、また、おどけ者なもんだから、主人に気に入られて、それで、主人のお供をして、よく那覇の辻(ちーじ)、ジュリの家などに行ったらしい。そうしたら、カナーはハンサムで、ほがらか者だから、ジュリたちはみんなカナーの側に近づいて行ったということであるが‥‥。ところで、ちょうどこの知念殿内には、年頃の娘がおって、この娘はカナーを思っていたらしいんだな。そうしたら、主人がそのことに気づき、びっくりして、「ああ、これは一大事だ。百姓の男と、自分の娘をいっしょにすることはできない。」と。なぜなら、娘の方は殿内だし、カナーは田舎からきている百姓だからな。それにまた、この娘には、すでに許婚(いいなずけ)がいたらしい。まもなく結婚させなければならない相手がね。そういうことで主人はこれは大変だと思ったわけだ。ところが、ちようど幸いに、知念からここに女中奉公にきている娘がいたらしいんだな。それで、「さあ、お前たち二人は、もう夫婦になりなさいね知念の志喜屋に、家、屋敷も造ってあげるから、いっしょになって、そこで暮らしなさい。」といって、主人は二人を志喜屋に行かせたという話なんだがね。大正時代になってからだと思うが、志喜屋からカナーの遺骨を伊波に持ってきたのは。今はクビリ墓に葬られているという話なんだ。金細工節という歌があるよな。この金細工節が踊られたのは、だいたい明治の二、三十年頃といわれているよね。その頃、辻遊郭(つじゆうかく)に、この話が残っていたわけだな。辻のジュリを連れて伊波まできたのが、カナーのしわざだろう。金細工節(かんじぇーくぶし)は、カナーとジュリは、伊波から首里まで行くまでの道行(みちゆ)きが歌われているから、その話が辻(ちーじ)に残っていたんだろう。その話をもとにして、カーラー玉城(たまぐしく)。カーラというのは瓦のこと。瓦玉城(かーらたまぐしく)という人が、その歌は作ったんだって。そして、それを、玉城盛重(たまぐすくせいじゅう)という有名な舞踊家が振り付けしたのが、今の金細工)という踊りになっているという話。

再生時間:4:45

民話詳細DATA

レコード番号 47O412935
CD番号 47O41C117
決定題名 カンジェークー由来(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 伊波信光
話者名かな いはしんこう
生年月日 19010221
性別
出身地 石川市伊波
記録日 19820803
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石川市T33A06
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 いしかわの民話伝説編P144
キーワード このカンジェークー,鍛冶屋,富着カンジェークー,源河カンジェークー,金持ち,首里奉公,知念殿内,カナー,ジュリ
梗概(こうがい) このカンジェークーという屋号は、沖縄のあっちこっちにたくさんあるが。カンジェークーという屋号の家は昔は鍛冶屋(かじや)だから、免税されていたらしい。免税というのは、税金が出なかったわけだ。だから、だいたいカンジェークーという屋号をもっている家は、富着(ふちち)カンジェークーとか、源河 (じんか)カンジェークーとかいって、ほとんどが金持ちになっているわけだよね。この金持ちの家からだいたい首里への奉公人が出たらしい。首里奉公というのは、首里の御殿(うどぅん)や殿内(とぅんち)に奉公することだよ。カンジェークーのカナーが首里奉公に行って知念殿内(ちにんどぅんち)というところに奉公入りしたそうだが。このカナーは大変ほがらか者で、また、おどけ者なもんだから、主人に気に入られて、それで、主人のお供をして、よく那覇の辻(ちーじ)、ジュリの家などに行ったらしい。そうしたら、カナーはハンサムで、ほがらか者だから、ジュリたちはみんなカナーの側に近づいて行ったということであるが‥‥。ところで、ちょうどこの知念殿内には、年頃の娘がおって、この娘はカナーを思っていたらしいんだな。そうしたら、主人がそのことに気づき、びっくりして、「ああ、これは一大事だ。百姓の男と、自分の娘をいっしょにすることはできない。」と。なぜなら、娘の方は殿内だし、カナーは田舎からきている百姓だからな。それにまた、この娘には、すでに許婚(いいなずけ)がいたらしい。まもなく結婚させなければならない相手がね。そういうことで主人はこれは大変だと思ったわけだ。ところが、ちようど幸いに、知念からここに女中奉公にきている娘がいたらしいんだな。それで、「さあ、お前たち二人は、もう夫婦になりなさいね知念の志喜屋に、家、屋敷も造ってあげるから、いっしょになって、そこで暮らしなさい。」といって、主人は二人を志喜屋に行かせたという話なんだがね。大正時代になってからだと思うが、志喜屋からカナーの遺骨を伊波に持ってきたのは。今はクビリ墓に葬られているという話なんだ。金細工節という歌があるよな。この金細工節が踊られたのは、だいたい明治の二、三十年頃といわれているよね。その頃、辻遊郭(つじゆうかく)に、この話が残っていたわけだな。辻のジュリを連れて伊波まできたのが、カナーのしわざだろう。金細工節(かんじぇーくぶし)は、カナーとジュリは、伊波から首里まで行くまでの道行(みちゆ)きが歌われているから、その話が辻(ちーじ)に残っていたんだろう。その話をもとにして、カーラー玉城(たまぐしく)。カーラというのは瓦のこと。瓦玉城(かーらたまぐしく)という人が、その歌は作ったんだって。そして、それを、玉城盛重(たまぐすくせいじゅう)という有名な舞踊家が振り付けしたのが、今の金細工)という踊りになっているという話。
全体の記録時間数 4:54
物語の時間数 4:45
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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