
はっきりはしませんけどもね、私は六○○年ぐらい前からあったんじゃないかと思うんですよ。というのはですね、東恩納は、もと越来(ごえく)の管轄だったです。ところが寛文(かんふん)六年にですね、美里村が分離していますよね、越来(ごえく)から。その時に、また美里村に分割されたわけです。で、まあそれが年代調べてみると、やはり六○○年ぐらい前ですよね。その当時は七軒あったそうですよ。その時の七軒の屋号はですね、東(あがり)、門(じょー)、渡口(とぅぐち)、新屋(みーや)、大石根(おおいしね)、松門(まーちじょー)、玉元(たまむと)、これだけが村の始まりなんですよね。それから、ここに祝女(のろ)というのがおったわけですが、ここに本当に辞令をもらった祝女(のろ)はですね、万暦元年(まんれきぐわんねん)のね四月十九日に辞令もらってるんですよ。ま、その前にも祝女(のろ)はおったそうだが。その辞令は何と書いておったか、たとえばですね、「越来村(ごえくむら)、東恩納(ひじゃおんな)祝女(ぬる)に任ずる。」という辞令なんです。で、それにはちゃんと首里の判(はん)をおされておったんです。その辞令も残っておったんですが今は、今度の戦争でなくなったんですかね。そういう辞令があった。その時の勾玉(まがたま)もありますよ。伊波城は約六○○年ぐらい前に造ってあるんですがね、伊波按司(いはあんじ)が造った城なんですが、その城を造った時ですね、東恩納に三六人のですね夫割(ぶわ)りしてあるよ。いわゆる人夫を出させてあるわけ。そって、それも記録があったですよ。東恩納に三六人のですね、力役(ちからやく)を出してくれという、力夫(ちからぶー)。というのはですね、男のことをいうんですよ。男の夫役(ぶえき)を、男の人を出してくれというわけ。女じゃなくして男を出してくれということを、三六人の男を出してくれというわけでね。まあ、それは一回(いっくゎい)にじゃなくて、何回に出したか知らんけども、七戸ぐらいしか家(うち)がない頃ですからね、三六人の男の使役 (しえき)を出せということは、非常に無理だったはずですが、まあ、これは一回じゃなくて、二回、三回に分けて出したはずですからね。三六人の割りあてがあったということもあるんです。そういうことからすれば、やはり東恩納の部落はいつ頃からあったかなあということは、伊波城を造る前からあったなあということ、万暦元年(まんれきぐゎんねん)、その部落をおさめておったのは恩納大主(うんなうふすー)という。地組(じぐみ)してくれた人が松本大主(うふすー)であったというんですよ。
| レコード番号 | 47O412579 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C103 |
| 決定題名 | 東恩納の字の始まり(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 比嘉喜八 |
| 話者名かな | ひがきはち |
| 生年月日 | 19090821 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 石川市東恩納 |
| 記録日 | 19820613 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石川市T19A10 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 東恩納,越来,美里村,七軒,東,門,渡口,新屋,大石根,松門,玉元,祝女,恩納大主,地組,松本大主 |
| 梗概(こうがい) | はっきりはしませんけどもね、私は六○○年ぐらい前からあったんじゃないかと思うんですよ。というのはですね、東恩納は、もと越来(ごえく)の管轄だったです。ところが寛文(かんふん)六年にですね、美里村が分離していますよね、越来(ごえく)から。その時に、また美里村に分割されたわけです。で、まあそれが年代調べてみると、やはり六○○年ぐらい前ですよね。その当時は七軒あったそうですよ。その時の七軒の屋号はですね、東(あがり)、門(じょー)、渡口(とぅぐち)、新屋(みーや)、大石根(おおいしね)、松門(まーちじょー)、玉元(たまむと)、これだけが村の始まりなんですよね。それから、ここに祝女(のろ)というのがおったわけですが、ここに本当に辞令をもらった祝女(のろ)はですね、万暦元年(まんれきぐわんねん)のね四月十九日に辞令もらってるんですよ。ま、その前にも祝女(のろ)はおったそうだが。その辞令は何と書いておったか、たとえばですね、「越来村(ごえくむら)、東恩納(ひじゃおんな)祝女(ぬる)に任ずる。」という辞令なんです。で、それにはちゃんと首里の判(はん)をおされておったんです。その辞令も残っておったんですが今は、今度の戦争でなくなったんですかね。そういう辞令があった。その時の勾玉(まがたま)もありますよ。伊波城は約六○○年ぐらい前に造ってあるんですがね、伊波按司(いはあんじ)が造った城なんですが、その城を造った時ですね、東恩納に三六人のですね夫割(ぶわ)りしてあるよ。いわゆる人夫を出させてあるわけ。そって、それも記録があったですよ。東恩納に三六人のですね、力役(ちからやく)を出してくれという、力夫(ちからぶー)。というのはですね、男のことをいうんですよ。男の夫役(ぶえき)を、男の人を出してくれというわけ。女じゃなくして男を出してくれということを、三六人の男を出してくれというわけでね。まあ、それは一回(いっくゎい)にじゃなくて、何回に出したか知らんけども、七戸ぐらいしか家(うち)がない頃ですからね、三六人の男の使役 (しえき)を出せということは、非常に無理だったはずですが、まあ、これは一回じゃなくて、二回、三回に分けて出したはずですからね。三六人の割りあてがあったということもあるんです。そういうことからすれば、やはり東恩納の部落はいつ頃からあったかなあということは、伊波城を造る前からあったなあということ、万暦元年(まんれきぐゎんねん)、その部落をおさめておったのは恩納大主(うんなうふすー)という。地組(じぐみ)してくれた人が松本大主(うふすー)であったというんですよ。 |
| 全体の記録時間数 | 6:11 |
| 物語の時間数 | 6:01 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |