下庫埋(共通語混)

概要

「下庫理(しちゃぐり)ぐゎーぬ宿(やどぅ)ぐゎーに ヨンサー 下庫理(しちゃぐり)ぐゎーぬ宿 (やどぅ)ぐゎーに 美童子(みやらび)三人連(そー)てぃ イヤサヌサー 揃(すり)よーぬ下庫理 (しちゃぐり)ぐゎー アリ、マク。」という歌があるんだよ。それが下庫理(したぐり)ぐゎーという歌なんだよ。昔はその歌もあったんだがよう、しばらくは無くなってよう、またこの頃ラジオなんかでやっているのを聞いたことがあるよ。これは薩摩時代のことだからよ。ソーコーリ、下庫理(したぐり)ぐゎー、その上がね、大庫理(だいこーり)。軍隊でもこれはあるんだよ。昔の三力月(みちちゃー)という兵隊よー、三力月(みちちゃー)いゆうて、三力月兵隊に行って、それが任務なんだよ。これは食料運ぶ役目なんだよ。ここに闘牛場があるでしょう。そこにクランタナカといって、米倉があったところだが、そこに下庫理(しちゃぐり)という屋号があるんだよ。なんで下庫理(しちゃぐり)かというと、ずっと昔、部落は山の方にあったんだが寒いし、それに、水の近くの方がいいということで、そこから今の闘牛場の前にきた。その屋敷は今もあるけれど。そこに下庫理(しちゃぐり)という倉庫を作ってあるんだよ。その倉庫というのはね、今はコンクリートで立派に作った柱があるけれど、当時は倉庫といっても簡単なもんよ。四メーター真四角ぐらいの四すみに石の柱を四本建てたもので、その石はこっちには、沖縄にはないんだよ。鳥島 (とりしま)いうて、山原の山から取れるセメントに使う石のような、固まりになったものを薩摩から持ってきてそれで建ててよ。その下庫理(したぐり)というのは、どうするかというたらよ、ここら辺一帯の人民から穀物集めるんだよ。その穀物を首里まで持って行くんだよ。ちょうど、その当時は薩摩に支配されているからよ。首里では琉球全島から集めて、それをまた薩摩に持って行くんだよ。こっちから首里まで持って行くのがソーコーリ、下庫理(しちゃぐり)の役目。また、首里から薩摩まで持って行くのが大庫理(うふぐり)、大庫理(うふぐり)ゆうて、あそこが大庫理になっているんだよ。だから、あんたはこの役目をやりなさいと、王様からちゃんと石川に指名してよう。百姓には、まあ、それぐらいしかできない。侍であったら、どんどん地頭(じとぅー)とか何とか出世もできるけど、百姓がいくら頭がよくても、それ以上にはなれない。だが、その人はちよっと頭もいいし、三味線もうまいからよう、石川のどこそこに、わしが倉庫を作ってあげるから、あんたはそこを番して、穀物を集めて首里まで持ってくるようにしなさいと。それが、その役目が下倉庫(しちゃぐり)という。それは薩摩時代のことだが、何で、私がさっき歌ったような歌になったかというと、その人は知能も発達しているし、また好男子でもあるからよ、もう毎晩いろんなところから、若い女がくるんだよ。それで、宿というのは、今のアサギとか何とかあるけどよう。家と別に納屋みたいな所を作ってよう、普通の人間には、そんなことできませんよ。納屋みたいな、納屋といっても、たいしたもんだよ。そこは遊ぷ所なので、女が集まってきて、その人だけを皆でねらって、毎晩々取り合いしているからよう、だから、そのいわれで、その歌はできたらしいよ。

再生時間:13:25

民話詳細DATA

レコード番号 47O412514
CD番号 47O41C099
決定題名 下庫埋(共通語混)
話者がつけた題名
話者名 伊波幸太郎
話者名かな いはこうたろう
生年月日 19040101
性別
出身地 石川市石川
記録日 19820805
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石川市T15A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 島袋源一郎先生から聞いた。
文字化資料 いしかわの民話伝説編P55
キーワード 下庫理,闘牛場,薩摩,琉球,大庫理,百姓,首里,歌
梗概(こうがい) 「下庫理(しちゃぐり)ぐゎーぬ宿(やどぅ)ぐゎーに ヨンサー 下庫理(しちゃぐり)ぐゎーぬ宿 (やどぅ)ぐゎーに 美童子(みやらび)三人連(そー)てぃ イヤサヌサー 揃(すり)よーぬ下庫理 (しちゃぐり)ぐゎー アリ、マク。」という歌があるんだよ。それが下庫理(したぐり)ぐゎーという歌なんだよ。昔はその歌もあったんだがよう、しばらくは無くなってよう、またこの頃ラジオなんかでやっているのを聞いたことがあるよ。これは薩摩時代のことだからよ。ソーコーリ、下庫理(したぐり)ぐゎー、その上がね、大庫理(だいこーり)。軍隊でもこれはあるんだよ。昔の三力月(みちちゃー)という兵隊よー、三力月(みちちゃー)いゆうて、三力月兵隊に行って、それが任務なんだよ。これは食料運ぶ役目なんだよ。ここに闘牛場があるでしょう。そこにクランタナカといって、米倉があったところだが、そこに下庫理(しちゃぐり)という屋号があるんだよ。なんで下庫理(しちゃぐり)かというと、ずっと昔、部落は山の方にあったんだが寒いし、それに、水の近くの方がいいということで、そこから今の闘牛場の前にきた。その屋敷は今もあるけれど。そこに下庫理(しちゃぐり)という倉庫を作ってあるんだよ。その倉庫というのはね、今はコンクリートで立派に作った柱があるけれど、当時は倉庫といっても簡単なもんよ。四メーター真四角ぐらいの四すみに石の柱を四本建てたもので、その石はこっちには、沖縄にはないんだよ。鳥島 (とりしま)いうて、山原の山から取れるセメントに使う石のような、固まりになったものを薩摩から持ってきてそれで建ててよ。その下庫理(したぐり)というのは、どうするかというたらよ、ここら辺一帯の人民から穀物集めるんだよ。その穀物を首里まで持って行くんだよ。ちょうど、その当時は薩摩に支配されているからよ。首里では琉球全島から集めて、それをまた薩摩に持って行くんだよ。こっちから首里まで持って行くのがソーコーリ、下庫理(しちゃぐり)の役目。また、首里から薩摩まで持って行くのが大庫理(うふぐり)、大庫理(うふぐり)ゆうて、あそこが大庫理になっているんだよ。だから、あんたはこの役目をやりなさいと、王様からちゃんと石川に指名してよう。百姓には、まあ、それぐらいしかできない。侍であったら、どんどん地頭(じとぅー)とか何とか出世もできるけど、百姓がいくら頭がよくても、それ以上にはなれない。だが、その人はちよっと頭もいいし、三味線もうまいからよう、石川のどこそこに、わしが倉庫を作ってあげるから、あんたはそこを番して、穀物を集めて首里まで持ってくるようにしなさいと。それが、その役目が下倉庫(しちゃぐり)という。それは薩摩時代のことだが、何で、私がさっき歌ったような歌になったかというと、その人は知能も発達しているし、また好男子でもあるからよ、もう毎晩いろんなところから、若い女がくるんだよ。それで、宿というのは、今のアサギとか何とかあるけどよう。家と別に納屋みたいな所を作ってよう、普通の人間には、そんなことできませんよ。納屋みたいな、納屋といっても、たいしたもんだよ。そこは遊ぷ所なので、女が集まってきて、その人だけを皆でねらって、毎晩々取り合いしているからよう、だから、そのいわれで、その歌はできたらしいよ。
全体の記録時間数 13:37
物語の時間数 13:25
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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