
石川市の戦前、美里村のイハホー部落として、美里の農村部落だった時代かの嘉手苅という部落に大変剛力のタンメーがいた。この人は石原タンメーといったが、身体も大きく背丈も六尺ぐらいで、体重もはっきり分らないが200斤ぐらいはあったと思う。このタンメーは剛力だから嘉手苅の家でおかしな話で笑う場合には伊波の部落まで聞えたそうだ。非常に太っ腹な大声で笑った。この人の若い時分、美里村の東方、中方、西方で、農業のさいわけ式、共進会の勝負に各学校区の頑強者が相撲の勝負で美里間切りには石原タンメーを負かす者はいなかった。またその人は馬を飼っていて、大きな馬も、小さな馬も雑草馬、宮古馬をよく飼っていた。何時の時か、宮古馬に砂糖を二樽を背中に負わせて田舎から那覇に行く途中、狭い道で前から来る馬車とすれ違いさせようとして、馬を傍らから歩かそうとしたら突っかかり、畔から田に馬ごと砂糖をひっくり返した。すると馬はバタバタして起きれないので、タンメーが「ハイヒャー馬グヮー」と、馬も砂糖樽も一緒に引き起こして畔の上にあげた。それぐらいの剛力の人が嘉手苅にいたが、戦前、子供の頃にタンメーを見た。
| レコード番号 | 47O412354 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C091 |
| 決定題名 | 石原小タンメー(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 喜瀬守栄 |
| 話者名かな | きせしゅえい |
| 生年月日 | 19141201 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 石川市東恩納 |
| 記録日 | 19820613 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石川市T07A22 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 母親や祖父母から聞いた。 |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 美里村のイハホー部落,嘉手苅,剛力のタンメー,石原タンメー,宮古馬,砂糖を二樽 |
| 梗概(こうがい) | 石川市の戦前、美里村のイハホー部落として、美里の農村部落だった時代かの嘉手苅という部落に大変剛力のタンメーがいた。この人は石原タンメーといったが、身体も大きく背丈も六尺ぐらいで、体重もはっきり分らないが200斤ぐらいはあったと思う。このタンメーは剛力だから嘉手苅の家でおかしな話で笑う場合には伊波の部落まで聞えたそうだ。非常に太っ腹な大声で笑った。この人の若い時分、美里村の東方、中方、西方で、農業のさいわけ式、共進会の勝負に各学校区の頑強者が相撲の勝負で美里間切りには石原タンメーを負かす者はいなかった。またその人は馬を飼っていて、大きな馬も、小さな馬も雑草馬、宮古馬をよく飼っていた。何時の時か、宮古馬に砂糖を二樽を背中に負わせて田舎から那覇に行く途中、狭い道で前から来る馬車とすれ違いさせようとして、馬を傍らから歩かそうとしたら突っかかり、畔から田に馬ごと砂糖をひっくり返した。すると馬はバタバタして起きれないので、タンメーが「ハイヒャー馬グヮー」と、馬も砂糖樽も一緒に引き起こして畔の上にあげた。それぐらいの剛力の人が嘉手苅にいたが、戦前、子供の頃にタンメーを見た。 |
| 全体の記録時間数 | 4:17 |
| 物語の時間数 | 3:59 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |