
伊江盛(いーむい)カナーヒーという人が石川にいらっしゃったようですが。現在でも七○才以上の人たちは、現にこの人の行動なりを実際見られて、語りぐさになっている話のひとつですが‥‥。この人は根人武士(にっちゅぶさー)と呼ばれている人で森根(むんにー)という所の親戚で、そこのお爺さんたちは非常に尊敬していた。根人武士(にっちゅぶさー)は、女みたいに気立ての非常にやさしい性格の人であった。石川の港は、山原船の着くかっこうのいい船つき場だったので、そこにはよく山原船が着いていたようですが。ある時に、玉井新垣(たまいあらかち)という、沖縄きっての大暴れん坊、暴れ者が、山原船で石川に上陸してきて、「自分にかなう者があればかかってこい。かなう者があれば出てこい。」と、ごうまんな言い方をして、大暴れに暴れて、非常に石川は侮辱された。その時に、それを見ていた根人武士(にっちゅぶさー)が、「私が鎮めてみせようか。」と、お爺さんにいゆうたら、「できるなら、やってみなさい。」と、いわれたので、まってましたとばかりに、この玉井新垣(たまいあらかち)に、「私が相手するから。」って、玉井新垣(たまいあらかち)に合図をかけ、そして、気合いもろとも飛びかかり、もう神業(かみわざ)と思われるような早わざでな、この玉井新垣(たまいあらかち)を、あっという間にひっくり返した。そのまわりにいた人たちは、本当にその早わざにあっけにとられたという。そして、根人武士(にっちゅぶさー)が、玉井新垣(たまいあらかち)の、のど笛を指で押えて、「どうだ、まいったか。」ったら、もう「まいった。」と降参して、それで、まあ、そこでは許してもらった。玉井新垣(たまいあらかち)は、陸では根人武士(にっちゅぶさー)にかなわないので、「今度は船で勝負しよう、船で。」というと、「いいよ。」と、根人武士(にっちゅぶさー)は、今度は玉井新垣(たまいあらかち)の乗っている船に行った。根人武士(にっちゅぶさー)の武術ば、飛びわざ、木登り、逆立ちやら、なんやら、まるで猿みたいなわざをしよったらしいが‥‥。山原船の縁から逆立ちで歩いて見せて、マストにも猿が登るように、クル、クル、クルーっと早わざ的に登ってゆき、マストの先を足でかかえ、抱くようにしてカンプーを結っていたって。そして、逆立ちの姿勢でおりてくると、「さあ、きなさい。どこからでもかかってこい。」と、玉井新垣(たまいあらかち)にいった。玉井新垣(たまいあらかち)も、これには、もうほんとにあっけにとられてしまってね、戦わずして降参したという話を聞いたんだが。私の兄嫁が、・久志村(くしそん)の・安部嘉陽(あぶかよう)の出身で、その方の兄さんが妹をたよって南洋からひきあげてきた際、私らが石川の人であるということで、話してくれたんですが、「石川の根人武士(にっちゅぶさー)という人が、私たちの家に住み込みで奉公にきたことがあったよ。」って。その家の庭先に木があったらしいが、この根人武士 (にっちゅぶさー)は、家の中には絶体寝泊りはなさらなかったって。木の上に鳥が巣を作るように、ちょっとした板で雨がしのげるものを作り、木の上で寝泊りなさっておられた。そして、ある日、そこの部落の青年たちが、強い者がいるという話を聞くと、かけだめしというものをやってみたくなるようで。非常に天気のいい、ポカポカ天気の時に、根人武士(にっちゅぶさー)が草刈りを終えて、草むらの中で昼寝をしているところへ、棒の先をといだものを、投げつけたそうです。そうしたら、寝ているはずなのに、それをパッと投げ返したそうですね。それで、もうそこの青年はびっくり仰天して、「ほんとに、これはもう普通の武士じゃない。神武士だ。」ということでね、むこうでも根人武士(にっちゅぶさー)といって、うわさされていたそうですよ。根人武士(にっちゅぶさー)は、のちに重病にかかってですね。おそらくうちの兄嫁の実家から担がれてきたと思うんですが、モッコで、金武の人が伊芸に届けると、伊芸の人は屋嘉に届け、屋裏から、また石川へ届けるというような順序でですねえ、山原から部落、部落を伝わって、石川へ送り届けられたと。晩年、石川に帰ってきてからは、家にとじこもっていたらしいんですが、「その人は名をうった神武士といわれているので、どのくらい強いのか、かけだめし、してみよう。」と、わざわざ、ここにきた者があったらしい。そうしたら、「まだまだ負けないぞ。お前らには。」と、いってですね、主柱(もーやーばや)をですね、この柱をつかんで家中をゆり動かすんですね、病体にもかかわらず。そして、飛び武士ですから、飛びわざが非常に得意でしょう。音はニクブクといって、藁で編んだ穀物を干す物干しがあったんですが、それをこう背面で、背面跳びして行ってですねえ、構えて「さあ、やるなら、こい。」と。するとその人も、「根人武士(にっちゅぶさー)には勝てない。」と帰ったという。そういうことを現在健在の人が、目のあたりに見られたという話です。
| レコード番号 | 47O412227 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C085 |
| 決定題名 | 根人武士(シマグチ混) |
| 話者がつけた題名 | 江盛カナ―ヒ― |
| 話者名 | 石川実 |
| 話者名かな | いしかわみのる |
| 生年月日 | 19240518 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 石川市石川 |
| 記録日 | 19820314 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石川市T01B02 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | いしかわの民話伝説編P81 |
| キーワード | 伊江盛カナーヒー,石川,根人武士,森根,山原船,暴れ者,玉井新垣 |
| 梗概(こうがい) | 伊江盛(いーむい)カナーヒーという人が石川にいらっしゃったようですが。現在でも七○才以上の人たちは、現にこの人の行動なりを実際見られて、語りぐさになっている話のひとつですが‥‥。この人は根人武士(にっちゅぶさー)と呼ばれている人で森根(むんにー)という所の親戚で、そこのお爺さんたちは非常に尊敬していた。根人武士(にっちゅぶさー)は、女みたいに気立ての非常にやさしい性格の人であった。石川の港は、山原船の着くかっこうのいい船つき場だったので、そこにはよく山原船が着いていたようですが。ある時に、玉井新垣(たまいあらかち)という、沖縄きっての大暴れん坊、暴れ者が、山原船で石川に上陸してきて、「自分にかなう者があればかかってこい。かなう者があれば出てこい。」と、ごうまんな言い方をして、大暴れに暴れて、非常に石川は侮辱された。その時に、それを見ていた根人武士(にっちゅぶさー)が、「私が鎮めてみせようか。」と、お爺さんにいゆうたら、「できるなら、やってみなさい。」と、いわれたので、まってましたとばかりに、この玉井新垣(たまいあらかち)に、「私が相手するから。」って、玉井新垣(たまいあらかち)に合図をかけ、そして、気合いもろとも飛びかかり、もう神業(かみわざ)と思われるような早わざでな、この玉井新垣(たまいあらかち)を、あっという間にひっくり返した。そのまわりにいた人たちは、本当にその早わざにあっけにとられたという。そして、根人武士(にっちゅぶさー)が、玉井新垣(たまいあらかち)の、のど笛を指で押えて、「どうだ、まいったか。」ったら、もう「まいった。」と降参して、それで、まあ、そこでは許してもらった。玉井新垣(たまいあらかち)は、陸では根人武士(にっちゅぶさー)にかなわないので、「今度は船で勝負しよう、船で。」というと、「いいよ。」と、根人武士(にっちゅぶさー)は、今度は玉井新垣(たまいあらかち)の乗っている船に行った。根人武士(にっちゅぶさー)の武術ば、飛びわざ、木登り、逆立ちやら、なんやら、まるで猿みたいなわざをしよったらしいが‥‥。山原船の縁から逆立ちで歩いて見せて、マストにも猿が登るように、クル、クル、クルーっと早わざ的に登ってゆき、マストの先を足でかかえ、抱くようにしてカンプーを結っていたって。そして、逆立ちの姿勢でおりてくると、「さあ、きなさい。どこからでもかかってこい。」と、玉井新垣(たまいあらかち)にいった。玉井新垣(たまいあらかち)も、これには、もうほんとにあっけにとられてしまってね、戦わずして降参したという話を聞いたんだが。私の兄嫁が、・久志村(くしそん)の・安部嘉陽(あぶかよう)の出身で、その方の兄さんが妹をたよって南洋からひきあげてきた際、私らが石川の人であるということで、話してくれたんですが、「石川の根人武士(にっちゅぶさー)という人が、私たちの家に住み込みで奉公にきたことがあったよ。」って。その家の庭先に木があったらしいが、この根人武士 (にっちゅぶさー)は、家の中には絶体寝泊りはなさらなかったって。木の上に鳥が巣を作るように、ちょっとした板で雨がしのげるものを作り、木の上で寝泊りなさっておられた。そして、ある日、そこの部落の青年たちが、強い者がいるという話を聞くと、かけだめしというものをやってみたくなるようで。非常に天気のいい、ポカポカ天気の時に、根人武士(にっちゅぶさー)が草刈りを終えて、草むらの中で昼寝をしているところへ、棒の先をといだものを、投げつけたそうです。そうしたら、寝ているはずなのに、それをパッと投げ返したそうですね。それで、もうそこの青年はびっくり仰天して、「ほんとに、これはもう普通の武士じゃない。神武士だ。」ということでね、むこうでも根人武士(にっちゅぶさー)といって、うわさされていたそうですよ。根人武士(にっちゅぶさー)は、のちに重病にかかってですね。おそらくうちの兄嫁の実家から担がれてきたと思うんですが、モッコで、金武の人が伊芸に届けると、伊芸の人は屋嘉に届け、屋裏から、また石川へ届けるというような順序でですねえ、山原から部落、部落を伝わって、石川へ送り届けられたと。晩年、石川に帰ってきてからは、家にとじこもっていたらしいんですが、「その人は名をうった神武士といわれているので、どのくらい強いのか、かけだめし、してみよう。」と、わざわざ、ここにきた者があったらしい。そうしたら、「まだまだ負けないぞ。お前らには。」と、いってですね、主柱(もーやーばや)をですね、この柱をつかんで家中をゆり動かすんですね、病体にもかかわらず。そして、飛び武士ですから、飛びわざが非常に得意でしょう。音はニクブクといって、藁で編んだ穀物を干す物干しがあったんですが、それをこう背面で、背面跳びして行ってですねえ、構えて「さあ、やるなら、こい。」と。するとその人も、「根人武士(にっちゅぶさー)には勝てない。」と帰ったという。そういうことを現在健在の人が、目のあたりに見られたという話です。 |
| 全体の記録時間数 | 10:33 |
| 物語の時間数 | 10:13 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |