平敷屋朝敏(シマグチ)

概要

平敷屋朝敏という方の話をしましょう。平敷屋朝敏という方は、器量、知恵、容姿、武芸などのたしなみが非常に他の人より優れていた。この方は、非常に小さい二、三歳の頃、乳母に預けられたそうだよ。この乳母が、「このようなお方の養育を任せられているから。」と、責任持って育てていた。毎晩、朝敏の周りに蚊が来ないようにと、ジンヤ香を焚いたら、この朝敏の肌に、香の匂いがしみ込んでいつもいい香りがした。今で言えば、すれ違う際に香水の香りがするようであったわけさ。何かと人とは変わっていたということだよ。尚敬王の時代であったと思うが、この朝敏が姫の教師の役目を仰せつかり、いよいよ、城に上がることになった。そうして、姫の部屋に行き来することを許されて、自由に出入りができたという。ちょうど九月頃、菊の花の咲く時分。姫の部屋の障子をそっと開けたら、姫が横たわって寝ていらっしゃった。そうしたら、風がヒュー、ヒュー吹いて、着ている着物の裾がはだけて太股がのぞかれた。「もう大変。」と言って、障子を閉めて自分の席にもどり、それから歌を作った。この平敷屋朝敏が、どのような歌を作ったかというと、『障子桟戸 ふち開きてぃ見りば〔障子桟戸 そっと開けて見れば〕太股ぬ白菊ぬ 咲ちゅる美らさ〔太股は白菊が 咲いているようで美しい〕』と、詠んだらしい。そうして、この歌が他人の耳に入り、また、具志頭親方の耳にも入った。私が聞いたところによると、平敷屋朝敏はどう思っていたか分からないが、この具志頭親方としては、平敷屋朝敏は目の上の瘤のような存在であったようだね。平敷屋朝敏の生まれは首里で、具志頭親方は那覇の人だったそうだが、あまりいい仲ではなかったらしい、具志頭親方にとっては。そして、この具志頭親方が、御主加那志前に、告げ口をしたらしい。「サリ、御主加那志前、平敷屋は、ただ者ではありませんはありません。歌も作るんだったら、ちゃんと作ればいいのに、こんな歌を作ってあります。」「どういうことだ、具志頭。平敷屋はどのような歌を作ってあるのか。」「『障子桟戸
ふち開きてぃ見れば、〔障子の戸を 吹き開けて見れば〕太股ぬ白菊ぬ 咲ちゅる美らさ〔太股は白菊が
咲いてるようで美しい〕』と、歌を詠んでいます。これは、絶対に許せる人間ではありません。」と言い、二、三日のうちに呼び出しがあった。「その歌をぜひ聞かないとならん。」とおっしゃって、御主加那志は、怒られて、平敷屋朝敏を呼び出したようだね。そうして、平敷屋朝敏は、「何事でありますか。」と、この御主加那志の所に行くと、「おい平敷屋、君は歌を作ったらしいが、まず、その作った歌を詠んでごらん。」「非常にいい歌を作ってあるますよ、上様。」「どうでもいいから、詠んでごらん。」と言ったら、 『障子桟戸 ふち開きてぃ見りば〔障子の桟の戸 吹き開けて見れば〕庭ぬ白菊ぬ 咲ちゅる美らさ〔庭の白菊が 咲いていて美しい〕』 と、歌を詠んだらしい。「こうして歌を詠んでみました、上様。」と言って、申し上げたら、「さすがは平敷屋だ。」と褒められたということで、そして、先程の姫の部屋での歌とは全く違い、逆に御主加那志前から、御褒美があったという話です。

再生時間:7:52

民話詳細DATA

レコード番号 47O421858
CD番号 47O42C057
決定題名 平敷屋朝敏(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 金城珍徳
話者名かな きんじょうちんとく
生年月日 19070610
性別
出身地 具志川市塩屋
記録日 19800808
記録者の所属組織 沖縄口承文芸調査団
元テープ番号 具志川市T53 A5
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 具志川市史第3巻上671頁
キーワード 平敷屋朝敏,姥,ジンヤ香,蚊,城務め,ウミナイビ,具志頭親方,御主加那志
梗概(こうがい) 平敷屋朝敏という方の話をしましょう。平敷屋朝敏という方は、器量、知恵、容姿、武芸などのたしなみが非常に他の人より優れていた。この方は、非常に小さい二、三歳の頃、乳母に預けられたそうだよ。この乳母が、「このようなお方の養育を任せられているから。」と、責任持って育てていた。毎晩、朝敏の周りに蚊が来ないようにと、ジンヤ香を焚いたら、この朝敏の肌に、香の匂いがしみ込んでいつもいい香りがした。今で言えば、すれ違う際に香水の香りがするようであったわけさ。何かと人とは変わっていたということだよ。尚敬王の時代であったと思うが、この朝敏が姫の教師の役目を仰せつかり、いよいよ、城に上がることになった。そうして、姫の部屋に行き来することを許されて、自由に出入りができたという。ちょうど九月頃、菊の花の咲く時分。姫の部屋の障子をそっと開けたら、姫が横たわって寝ていらっしゃった。そうしたら、風がヒュー、ヒュー吹いて、着ている着物の裾がはだけて太股がのぞかれた。「もう大変。」と言って、障子を閉めて自分の席にもどり、それから歌を作った。この平敷屋朝敏が、どのような歌を作ったかというと、『障子桟戸 ふち開きてぃ見りば〔障子桟戸 そっと開けて見れば〕太股ぬ白菊ぬ 咲ちゅる美らさ〔太股は白菊が 咲いているようで美しい〕』と、詠んだらしい。そうして、この歌が他人の耳に入り、また、具志頭親方の耳にも入った。私が聞いたところによると、平敷屋朝敏はどう思っていたか分からないが、この具志頭親方としては、平敷屋朝敏は目の上の瘤のような存在であったようだね。平敷屋朝敏の生まれは首里で、具志頭親方は那覇の人だったそうだが、あまりいい仲ではなかったらしい、具志頭親方にとっては。そして、この具志頭親方が、御主加那志前に、告げ口をしたらしい。「サリ、御主加那志前、平敷屋は、ただ者ではありませんはありません。歌も作るんだったら、ちゃんと作ればいいのに、こんな歌を作ってあります。」「どういうことだ、具志頭。平敷屋はどのような歌を作ってあるのか。」「『障子桟戸 ふち開きてぃ見れば、〔障子の戸を 吹き開けて見れば〕太股ぬ白菊ぬ 咲ちゅる美らさ〔太股は白菊が 咲いてるようで美しい〕』と、歌を詠んでいます。これは、絶対に許せる人間ではありません。」と言い、二、三日のうちに呼び出しがあった。「その歌をぜひ聞かないとならん。」とおっしゃって、御主加那志は、怒られて、平敷屋朝敏を呼び出したようだね。そうして、平敷屋朝敏は、「何事でありますか。」と、この御主加那志の所に行くと、「おい平敷屋、君は歌を作ったらしいが、まず、その作った歌を詠んでごらん。」「非常にいい歌を作ってあるますよ、上様。」「どうでもいいから、詠んでごらん。」と言ったら、 『障子桟戸 ふち開きてぃ見りば〔障子の桟の戸 吹き開けて見れば〕庭ぬ白菊ぬ 咲ちゅる美らさ〔庭の白菊が 咲いていて美しい〕』 と、歌を詠んだらしい。「こうして歌を詠んでみました、上様。」と言って、申し上げたら、「さすがは平敷屋だ。」と褒められたということで、そして、先程の姫の部屋での歌とは全く違い、逆に御主加那志前から、御褒美があったという話です。
全体の記録時間数 7:52
物語の時間数 7:52
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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