力くらべ(共通語)

概要

仲底力(なかそこちから)は川平ではなく首里に生まれた方と聞いている。その本名がフガ真山戸(まやまとー)と聞いております。琉球王朝時代の立派な政治家で、そのころは非常に互いに言い争いがあってとうとう波照間に流刑されたと聞いております。非常に波照間の人々から慕われて、波照間の仲底屋の娘を娶った。村のこともやるし、一生懸命に働くうち、任期が済んだ。「この小さい島ではどうもまずい。八重山に渡ろう。」と、くり舟で渡って川平に着いて、仲底に家を建てられた。今現在、仲底屋と言って川平に非常に立派な方たちが沢山いらっしゃいますが、初代の方がフガーマヤモトという仲底力であります。ちょうどそのころはオヤケアカハチの乱があった後で、琉球王朝にとって八重山がまずいと考えられ、川平の獅子モリに、ちょうど獅子みたいな岩がありますが、その岩が琉球王朝に向かっているから、いろんな不幸が生まれてくるということで、下顎をわざわざ切り落とされた。また仲間モリの下に仲間井(なかまがー)という井戸があったが、その井戸が埋められた。それで川平部落は非常に飲料水に困った。そこで、仲底力は別の水源を探し回って、今の水道が出来るまで唯一の飲料水のフガカーという井戸を仲底力が自費で作った。また人頭税時代であったから農民は働いても働いても生活に苦しんでいたから、中には山賊となり、一般農民達が田や畑にも通って牛や馬を連れて帰っていくのを殺して食べたり、若い娘たちを縛って連れて行ったりして非常に困ったことになった。琉球王朝の力では山賊を退治することが出来なかった。その困りきっておるときに仲底力が、「私が行きましょう。」と言った。村の人が、「私があんた一人じゃ大変だから、それじゃあ若いもんたちも連れて行って下さい。」と言っても、「いやいや足手まといなるから自分一人で行く。」と言って、一人で愛用の金棒を持って、二里ぐらいある山賊の住処に行った。山の中の山賊は、「ここは俺たちの縄張りだ。お前は何者で何しに来たか。お前を通すこと出来ない。」「私は仲底力という者だ。お前たちの大将と力勝負に来たんだ。通せなければ自分は力ずくでも通って見せるぞ。」と言って、金棒を出した。山賊の一人が捕まえたが、仲底力はグッと力を出すと、子供を扱うみたいで、とてもかなわないから、山賊の大将のところに案内したら、山賊の大将が髪もみんな被り大きい岩から出てきて「何しに来たか。」と言うから、仲底力が、「お前と力勝負。」と言うと、大将はカラカラ笑って自分の部下から出した。「こんな手下では勝負にならない。私の持ってる金棒をこの大きな岩にぶち込むから、それ抜いでみんか。」と金棒を岩にぶち込むと、金棒はグーっと岩に入ってしまった。山賊達はびっくりしたでしょうね。それで、みんな代わる代わるに数名、十名、二十名で抜こうとやってるけども、抜けない。仲底力が、「じゃ、僕が抜いでみせる。」と言うとイヤーと叫んでぼっと抜いてしまった。「もう一つ力勝負するのがある。私がこの大きなカシギーを登って曲げてくるから。」と登って先を捉まえ、ぐーっと曲げて下まで持って来て「さあ、止めてみなさい。」と言った。山賊たちは「大将でなければ止められん。」と言うから、大将が来て止めようとすると、仲底力が「もう少し力を入れる。もう少し力を入れる。力を入れる。」と言うから、山賊の大将が必死で力入れていたが、仲底力が手を放すと、カシギが撥ね返って、そのとき大将が投げられたのが底地(すくじ)に投げられたので、そこをスクザーラと言っている。そこにいるヤマヒルはその山賊の血からできたといわれている。仲底力の墓が川平にあるが、その石は( )じゃないかと思う。仲底家の末裔が改造してきれいなお墓にした。

再生時間:12:41

民話詳細DATA

レコード番号 47O340183
CD番号 47O34C012
決定題名 力くらべ(共通語)
話者がつけた題名 仲底力の力くらべの話
話者名 南風原朝薫
話者名かな はえばらちょうくん
生年月日 18980601
性別
出身地 沖縄県石垣市字川平
記録日 19760802
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市字川平 T21 A07
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 13,20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 仲底力,フガ真山戸,仲間井,頭税時代,山賊,力勝負,椰子の木,底地,スクザール
梗概(こうがい) 仲底力(なかそこちから)は川平ではなく首里に生まれた方と聞いている。その本名がフガ真山戸(まやまとー)と聞いております。琉球王朝時代の立派な政治家で、そのころは非常に互いに言い争いがあってとうとう波照間に流刑されたと聞いております。非常に波照間の人々から慕われて、波照間の仲底屋の娘を娶った。村のこともやるし、一生懸命に働くうち、任期が済んだ。「この小さい島ではどうもまずい。八重山に渡ろう。」と、くり舟で渡って川平に着いて、仲底に家を建てられた。今現在、仲底屋と言って川平に非常に立派な方たちが沢山いらっしゃいますが、初代の方がフガーマヤモトという仲底力であります。ちょうどそのころはオヤケアカハチの乱があった後で、琉球王朝にとって八重山がまずいと考えられ、川平の獅子モリに、ちょうど獅子みたいな岩がありますが、その岩が琉球王朝に向かっているから、いろんな不幸が生まれてくるということで、下顎をわざわざ切り落とされた。また仲間モリの下に仲間井(なかまがー)という井戸があったが、その井戸が埋められた。それで川平部落は非常に飲料水に困った。そこで、仲底力は別の水源を探し回って、今の水道が出来るまで唯一の飲料水のフガカーという井戸を仲底力が自費で作った。また人頭税時代であったから農民は働いても働いても生活に苦しんでいたから、中には山賊となり、一般農民達が田や畑にも通って牛や馬を連れて帰っていくのを殺して食べたり、若い娘たちを縛って連れて行ったりして非常に困ったことになった。琉球王朝の力では山賊を退治することが出来なかった。その困りきっておるときに仲底力が、「私が行きましょう。」と言った。村の人が、「私があんた一人じゃ大変だから、それじゃあ若いもんたちも連れて行って下さい。」と言っても、「いやいや足手まといなるから自分一人で行く。」と言って、一人で愛用の金棒を持って、二里ぐらいある山賊の住処に行った。山の中の山賊は、「ここは俺たちの縄張りだ。お前は何者で何しに来たか。お前を通すこと出来ない。」「私は仲底力という者だ。お前たちの大将と力勝負に来たんだ。通せなければ自分は力ずくでも通って見せるぞ。」と言って、金棒を出した。山賊の一人が捕まえたが、仲底力はグッと力を出すと、子供を扱うみたいで、とてもかなわないから、山賊の大将のところに案内したら、山賊の大将が髪もみんな被り大きい岩から出てきて「何しに来たか。」と言うから、仲底力が、「お前と力勝負。」と言うと、大将はカラカラ笑って自分の部下から出した。「こんな手下では勝負にならない。私の持ってる金棒をこの大きな岩にぶち込むから、それ抜いでみんか。」と金棒を岩にぶち込むと、金棒はグーっと岩に入ってしまった。山賊達はびっくりしたでしょうね。それで、みんな代わる代わるに数名、十名、二十名で抜こうとやってるけども、抜けない。仲底力が、「じゃ、僕が抜いでみせる。」と言うとイヤーと叫んでぼっと抜いてしまった。「もう一つ力勝負するのがある。私がこの大きなカシギーを登って曲げてくるから。」と登って先を捉まえ、ぐーっと曲げて下まで持って来て「さあ、止めてみなさい。」と言った。山賊たちは「大将でなければ止められん。」と言うから、大将が来て止めようとすると、仲底力が「もう少し力を入れる。もう少し力を入れる。力を入れる。」と言うから、山賊の大将が必死で力入れていたが、仲底力が手を放すと、カシギが撥ね返って、そのとき大将が投げられたのが底地(すくじ)に投げられたので、そこをスクザーラと言っている。そこにいるヤマヒルはその山賊の血からできたといわれている。仲底力の墓が川平にあるが、その石は( )じゃないかと思う。仲底家の末裔が改造してきれいなお墓にした。
全体の記録時間数 13:30
物語の時間数 12:41
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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