オヤケ赤蜂と古乙姥(共通語)

概要

オヤケ赤蜂はね、あのオヤケ赤蜂というと、これは戦後の話なんですけどね。オヤケ赤蜂という人のこれは本家はないんですよ。私の聞く範囲内では、当時は、士族平民という政治制度なっておりましたね。そのころ、オヤケ赤蜂を大浜にこういらっしゃって、民衆の力となって、上の人と戦ったというようなことであってですね。この人はまたとっても力持ちで、それで、長田大主(なーたふず)という八重山の一番上の役人がいらっしゃって、長田大主というこの人は、「どうすればこの赤蜂を殺せるか。」という企みから、自分の妹をこれの嫁として、この赤蜂を殺せと命じる策をとったんですよ。 それで、赤蜂にね、「嫁にあげよう。」ってあげたんですよ。ところがこの赤蜂という人は、この嫁は、「そんなに悪いような人じゃない。とても民主的で非常に優しくて思いやりのある人だ。」ということから、今度は兄からいろんな毒物を持っていって、「これを赤蜂に飲ませ。」と渡されたって。ところがこれもなかなか飲ませなかった。そのためにこの妹は、いろいろ仕打ちを受けたわけだな。そういうようなことで、この長田大主というこの人は、とうとうこの赤蜂を殺せなくて、今度は沖縄の御主加那志前(うしゅんがなしめー)という人から、「この赤蜂を縛って虜にしてこい。」という命令を受けてきた。沖縄からこう派遣されてきた武士は、居ったんだけれども、その武士になった人とも、赤蜂は、随分戦ったようだよね。ところが、この赤蜂はもうなかなか殺せなくて、そして、内地から来た侍なんかと戦って、今川原部落の上に茅寝(かいにー)という所がありますが、その茅寝という所は、昔は牧場であった所なんだけども、そこの松の下で、沖縄から来たこの武士達をみんな倒してから、「もう誰も居ないだろう。」と疲れて、そこの大きい松を引き抜いて倒して、その下で寝て居ったところが、今度は、居残った一人の侍が来て、赤蜂の首を寝てるところを不意打ちに赤蜂の首を取ってしまった。そして、その首を持って、当時、御主加那志前に、その首持っていったら、持っていった侍が、「こんなね、大事な素晴らしい人をね、縛って虜にしてこいと言うたんであって、殺してこい、首を持ってこいとは自分は言わなかった。」とものすごくこの御主加那志から叱りを受けて、仕置きを受けたと。 そういうふうな素晴らしい人だから、民衆から崇められた赤蜂であったわけなんで、戦後この人を、神としてじゃなくして、この人間性としての本当に現在の政治家としての素晴らしい功績の人だといって、今、崎原御願のあの公園に碑を作ってあるんです。それは、この大浜部落のあのこういうふうな民話集にその建てた日にちがあるはずだが、そういったような過程から赤蜂は現在も碑を建てられたと。この赤蜂の碑を建てられた人は、亡くなられたけれども、広田禎夫って方です。この人とそれから慶田正介といってね校長あがりの人の奥さん、広田禎夫さんの姉さん、広田禎夫さんの奥さんが、赤蜂の碑を建てようというわけで、崎原公園で赤蜂の碑を建てた。それからね、この赤蜂の奥さんはね、八重山の長田大主の妹であるんだけど、当時は、これはもう悪者にされてね、罪人扱いにしたと。この奥さんには、その上に姉さんがおったけども、その姉さんは、今の宮鳥御願辺りでこう祀られているようだけれども、今その宮鳥御願ってあるでしょ。そこの前の道の真ん中に穴を掘って、奥さんの遺骨をその穴に埋めて、民衆の見せしめのためにみんなこう踏まれたと。今はね、その宮鳥御願のどっかにこう祀っておいてあるらしい。
・宮鳥御願‥‥オヤケ赤蜂の妻古乙姥は、宮鳥御嶽ではなく真乙姥御嶽の傍らに葬られていたと思われる。真乙姥御嶽は石垣市字新川の石垣中学校正門前にある御嶽である。

再生時間:10:50

民話詳細DATA

レコード番号 47O150304
CD番号 47O15C017
決定題名 オヤケ赤蜂と古乙姥(共通語)
話者がつけた題名
話者名 盛山廉太郎
話者名かな もりやまれんたろう
生年月日 19170331
性別
出身地 石垣市大浜
記録日 19940823
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市大浜T95B02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 大浜の民話(平成7年度卒業論文)P26
キーワード オヤケ赤蜂,古乙姥
梗概(こうがい) オヤケ赤蜂はね、あのオヤケ赤蜂というと、これは戦後の話なんですけどね。オヤケ赤蜂という人のこれは本家はないんですよ。私の聞く範囲内では、当時は、士族平民という政治制度なっておりましたね。そのころ、オヤケ赤蜂を大浜にこういらっしゃって、民衆の力となって、上の人と戦ったというようなことであってですね。この人はまたとっても力持ちで、それで、長田大主(なーたふず)という八重山の一番上の役人がいらっしゃって、長田大主というこの人は、「どうすればこの赤蜂を殺せるか。」という企みから、自分の妹をこれの嫁として、この赤蜂を殺せと命じる策をとったんですよ。 それで、赤蜂にね、「嫁にあげよう。」ってあげたんですよ。ところがこの赤蜂という人は、この嫁は、「そんなに悪いような人じゃない。とても民主的で非常に優しくて思いやりのある人だ。」ということから、今度は兄からいろんな毒物を持っていって、「これを赤蜂に飲ませ。」と渡されたって。ところがこれもなかなか飲ませなかった。そのためにこの妹は、いろいろ仕打ちを受けたわけだな。そういうようなことで、この長田大主というこの人は、とうとうこの赤蜂を殺せなくて、今度は沖縄の御主加那志前(うしゅんがなしめー)という人から、「この赤蜂を縛って虜にしてこい。」という命令を受けてきた。沖縄からこう派遣されてきた武士は、居ったんだけれども、その武士になった人とも、赤蜂は、随分戦ったようだよね。ところが、この赤蜂はもうなかなか殺せなくて、そして、内地から来た侍なんかと戦って、今川原部落の上に茅寝(かいにー)という所がありますが、その茅寝という所は、昔は牧場であった所なんだけども、そこの松の下で、沖縄から来たこの武士達をみんな倒してから、「もう誰も居ないだろう。」と疲れて、そこの大きい松を引き抜いて倒して、その下で寝て居ったところが、今度は、居残った一人の侍が来て、赤蜂の首を寝てるところを不意打ちに赤蜂の首を取ってしまった。そして、その首を持って、当時、御主加那志前に、その首持っていったら、持っていった侍が、「こんなね、大事な素晴らしい人をね、縛って虜にしてこいと言うたんであって、殺してこい、首を持ってこいとは自分は言わなかった。」とものすごくこの御主加那志から叱りを受けて、仕置きを受けたと。 そういうふうな素晴らしい人だから、民衆から崇められた赤蜂であったわけなんで、戦後この人を、神としてじゃなくして、この人間性としての本当に現在の政治家としての素晴らしい功績の人だといって、今、崎原御願のあの公園に碑を作ってあるんです。それは、この大浜部落のあのこういうふうな民話集にその建てた日にちがあるはずだが、そういったような過程から赤蜂は現在も碑を建てられたと。この赤蜂の碑を建てられた人は、亡くなられたけれども、広田禎夫って方です。この人とそれから慶田正介といってね校長あがりの人の奥さん、広田禎夫さんの姉さん、広田禎夫さんの奥さんが、赤蜂の碑を建てようというわけで、崎原公園で赤蜂の碑を建てた。それからね、この赤蜂の奥さんはね、八重山の長田大主の妹であるんだけど、当時は、これはもう悪者にされてね、罪人扱いにしたと。この奥さんには、その上に姉さんがおったけども、その姉さんは、今の宮鳥御願辺りでこう祀られているようだけれども、今その宮鳥御願ってあるでしょ。そこの前の道の真ん中に穴を掘って、奥さんの遺骨をその穴に埋めて、民衆の見せしめのためにみんなこう踏まれたと。今はね、その宮鳥御願のどっかにこう祀っておいてあるらしい。 ・宮鳥御願‥‥オヤケ赤蜂の妻古乙姥は、宮鳥御嶽ではなく真乙姥御嶽の傍らに葬られていたと思われる。真乙姥御嶽は石垣市字新川の石垣中学校正門前にある御嶽である。
全体の記録時間数 11:17
物語の時間数 10:50
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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