
オヤケ赤蜂の妻になった古乙姥は、石垣のこの長田大主(なーたふーず)のこの妹かな。長女が真乙姥で、妹の方が古乙姥。私たちが小さいころは、古乙姥は、真乙姥御嶽の鳥居の西側の石垣と塀一つの側に埋められておった。長田大主は、古乙姥に、「赤蜂を殺せ。」ということを含めて嫁に行かしたのに、かえって赤蜂を結局心から愛してしまって、殺害することができなかった。そういうことで、結局、目的を達すること出来なかったから、お叱りを受けて、向こうに埋められた。長田大主はね、「もうこりゃ、親の意思を果たすことができない不孝者だから、人に踏ましたほうがいい。」ということで、そこに埋められておった。結局、向こうで祭りがあるでしょ、豊年祭や綱引きがあるでしょう。いうお祭りの時には、あの時は見る人は、石垣に登ったりね、高いところから見ますよね。また、遊ぶときに、ここで走り回ったりする子ども達が居りますよね、そういう人に踏まれることがあったようですけども。向こうの石垣は、幅が一メートルくらいあったんじゃないかな。だからそこに、綺麗に埋まるわけさ。そのために、真乙姥御嶽のこの前に、塀の下に埋められて、人に踏ませるようにしたというけれども、この骨を掘り出してきたという人達の話を聞くと、この塀の下からじゃなくて、少し離れた大きな、アコウの木の根っこの所に埋められておったというようなことを聞いておるけど。掘ってきた人達は、僕なんかの同年ですよね。だから、これは、あっちの真乙姥御嶽の司がもう毎晩の様に夢に唸らされて、「これは赤蜂の碑のところに持ってきて、赤蜂と一緒にしたほうがいい。」ということで、それで、最初は断っておったようだけども、もうあまり、その夢を見たりしたもんだから、司の人達が、「どうしても向こうへ、もう引き取ってくれ。」ということで、大浜公
民館の方にそれの話が出て、「じゃもう、一緒に置いたほうがいいんじゃないか。」ということで、引き取ったみたい。あの時の大浜の館長は、今沖縄本島の那覇に行って、今こっちにいないけども、長浜考生つっ
て、あれも僕なんかと同年だけども、あれと、同年の東照夫が総務の時代に、今の赤蜂、オヤケ赤蜂の碑の裏側に持ってきて、納骨したるはず。だから、これが本物かどうかということは分からない。ただ、あの時
に鑑定してね、「確かに女の骨である。」というようなことで、鑑定する事が出来てたら、はっきりするが、ただ、言い伝えで来たので、いまそういう風になってる。あの後何ともないからそうじゃないかという人もおるけど、そこは分からないな。長田大主の娘に真乙姥と古乙姥がいた。妹の古乙姥が長田大主の敵であったオヤケ赤蜂の嫁に行った。それでお叱りを受けて殺されてしまう。古乙姥は塀の下に埋められ人に踏まれた。しかし骨を拾った人に聞くと木の根に埋められたとされた。真乙姥御嶽の司が夢でうなされたので赤蜂の碑と一緒に置いた方がよいということで裏に納骨されたが本音かどうかはわからない。古乙姥の骨は豊年祭の綱引きをする場所に埋められて人が集まる場所だったので踏まれていた。
| レコード番号 | 47O150501 |
|---|---|
| CD番号 | 47O15C030 |
| 決定題名 | 古乙姥(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 前津栄一 |
| 話者名かな | まえつえいいち |
| 生年月日 | 19260730 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市竹富町波照間 |
| 記録日 | 19950320 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市大浜 T108 B05 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 大浜の民話 P27 |
| キーワード | 古乙姥,長田大主,真乙姥,真乙姥御嶽,豊年祭,綱引き,石垣,アコウの木,司,長浜考生,東照夫,碑,納骨 |
| 梗概(こうがい) | オヤケ赤蜂の妻になった古乙姥は、石垣のこの長田大主(なーたふーず)のこの妹かな。長女が真乙姥で、妹の方が古乙姥。私たちが小さいころは、古乙姥は、真乙姥御嶽の鳥居の西側の石垣と塀一つの側に埋められておった。長田大主は、古乙姥に、「赤蜂を殺せ。」ということを含めて嫁に行かしたのに、かえって赤蜂を結局心から愛してしまって、殺害することができなかった。そういうことで、結局、目的を達すること出来なかったから、お叱りを受けて、向こうに埋められた。長田大主はね、「もうこりゃ、親の意思を果たすことができない不孝者だから、人に踏ましたほうがいい。」ということで、そこに埋められておった。結局、向こうで祭りがあるでしょ、豊年祭や綱引きがあるでしょう。いうお祭りの時には、あの時は見る人は、石垣に登ったりね、高いところから見ますよね。また、遊ぶときに、ここで走り回ったりする子ども達が居りますよね、そういう人に踏まれることがあったようですけども。向こうの石垣は、幅が一メートルくらいあったんじゃないかな。だからそこに、綺麗に埋まるわけさ。そのために、真乙姥御嶽のこの前に、塀の下に埋められて、人に踏ませるようにしたというけれども、この骨を掘り出してきたという人達の話を聞くと、この塀の下からじゃなくて、少し離れた大きな、アコウの木の根っこの所に埋められておったというようなことを聞いておるけど。掘ってきた人達は、僕なんかの同年ですよね。だから、これは、あっちの真乙姥御嶽の司がもう毎晩の様に夢に唸らされて、「これは赤蜂の碑のところに持ってきて、赤蜂と一緒にしたほうがいい。」ということで、それで、最初は断っておったようだけども、もうあまり、その夢を見たりしたもんだから、司の人達が、「どうしても向こうへ、もう引き取ってくれ。」ということで、大浜公 民館の方にそれの話が出て、「じゃもう、一緒に置いたほうがいいんじゃないか。」ということで、引き取ったみたい。あの時の大浜の館長は、今沖縄本島の那覇に行って、今こっちにいないけども、長浜考生つっ て、あれも僕なんかと同年だけども、あれと、同年の東照夫が総務の時代に、今の赤蜂、オヤケ赤蜂の碑の裏側に持ってきて、納骨したるはず。だから、これが本物かどうかということは分からない。ただ、あの時 に鑑定してね、「確かに女の骨である。」というようなことで、鑑定する事が出来てたら、はっきりするが、ただ、言い伝えで来たので、いまそういう風になってる。あの後何ともないからそうじゃないかという人もおるけど、そこは分からないな。長田大主の娘に真乙姥と古乙姥がいた。妹の古乙姥が長田大主の敵であったオヤケ赤蜂の嫁に行った。それでお叱りを受けて殺されてしまう。古乙姥は塀の下に埋められ人に踏まれた。しかし骨を拾った人に聞くと木の根に埋められたとされた。真乙姥御嶽の司が夢でうなされたので赤蜂の碑と一緒に置いた方がよいということで裏に納骨されたが本音かどうかはわからない。古乙姥の骨は豊年祭の綱引きをする場所に埋められて人が集まる場所だったので踏まれていた。 |
| 全体の記録時間数 | 7:35 |
| 物語の時間数 | 7:29 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |