津波で生き残った人々(共通語)

概要

じゃあね、多宇という方を、白保の多宇家の人。この方はですね、当時、野原という所がある、ええ、今の星野部落と言うところに、野原と行って、高いところがあるわけですね。むこうで、〔中断〕締め出されたので、向こうで生活していた。生活をいておったんです。そして、高いところですから、生活をしているときにですね、こういう伝説があるわけですよ。人魚。人魚が、来て、この人に、いついつは、津波がありますよ、と伝えたと。いう伝説、人魚が来てね、いついつは津波が来るよという、何か、もう、そしたらその人、そうかな、人魚と話したという伝説がありますよ。して、この方は、村八分された。村から締め出された。家族は、向こうにいた。生活しておるときに、本当に、あれは、人魚を見たという、〔聞き取り不能〕やったわけ、それで、この人は、自分がここに来て良かったと言うことで、ここに今までですね、白保に尖った頭があるんですよ。ええ、今度、公民館で、多宇の人、向こうで、山頭、山の頭と、山の頭と、作ってですね、三角にして、そうして、竿に付けて、この人は、白保に、この、立ててこられた。白保に立ててですね、白保に、同じく、帰ってこられたと。この人は、ああ、良かった、白保に締め出されて、やっぱし、自分の部落がいいと言うことで、頭を作ってですね、この頭、今でもありますよ。それを立ててですね、白保に帰郷されたと。約、ええ、星野と言うとこれからですね、ええと、十キロくらい離れたところにあります。星野部落、こっちに野原という高いところがある。向こうで田んぼを作り生活しておったわけですね。そのために助かった。もう一人はですね、内原という女の方が助かったという、内原。内原という女の方がですね、兄さんが、自分の兄さんが、石垣のほうで、船大工だったそうです。船を造る人、船大工をしているもんだから。弁当をこしらえて、兄さんの所へ持っていく時に、津波が来たもんだから、流されていってね、大きな梯梧の木が流れてきたもんで、あれに、昔は、カカンて分かりますか。白いやつ。カカンと行って、沖縄は来ているわけですが、あれが行って、梯梧の枝に、引っかかった。そしてこの、木と一緒に、ちょっと高いところまで、流されていった。そして、この木に捕まって、一人は助かったと。兄さんの所に、弁当を持ってくるときに、朝、八時何十分、九時、八時何十分に、津波あったんですからね。弁当持っていく時に、津波にあって、そうして、流れても、木に引っかかって、高いところまで、流されたんですね、これを捕まえていったら、助かったと。また、もう一人の宮良という方、男の方ですが、この方は朝ですね、昔は、牛馬を繋ぐんですが、縄にね。牛馬を繋いで、草を食わして育てるんですよね。そして、高いところに、時々ね、こうして、綱が弱って、農作物を荒らすので、この時、馬ブサといって、牛馬の当番。ブサと言ったら、当番のことですよ。馬ブサと言って、牛馬の当番をしておったわけ。ここで、農家の、馬を荒らさないように、ここで、監視に行ったわけ、そうすると、白保でも高いユウナ森。歌にある、ユウナ森にヌビテ、ウチクダチ見リバ、とありますよね。向こうの高いところに行っているときに、津波が来た。驚いて、立ちすくんでいたら、そこで、助かった。この由来ですね。こうです。助かった。ちょっと聞いてきてみような。

再生時間:15:39

民話詳細DATA

レコード番号 47O330401
CD番号 47O33C032
決定題名 津波で生き残った人々(共通語)
話者がつけた題名
話者名 大泊信建
話者名かな おおどまりしんけん
生年月日 19220108
性別
出身地 白保
記録日 19980906
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T138 白保 A-06
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 12
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 明和の大津波,人魚
梗概(こうがい) じゃあね、多宇という方を、白保の多宇家の人。この方はですね、当時、野原という所がある、ええ、今の星野部落と言うところに、野原と行って、高いところがあるわけですね。むこうで、〔中断〕締め出されたので、向こうで生活していた。生活をいておったんです。そして、高いところですから、生活をしているときにですね、こういう伝説があるわけですよ。人魚。人魚が、来て、この人に、いついつは、津波がありますよ、と伝えたと。いう伝説、人魚が来てね、いついつは津波が来るよという、何か、もう、そしたらその人、そうかな、人魚と話したという伝説がありますよ。して、この方は、村八分された。村から締め出された。家族は、向こうにいた。生活しておるときに、本当に、あれは、人魚を見たという、〔聞き取り不能〕やったわけ、それで、この人は、自分がここに来て良かったと言うことで、ここに今までですね、白保に尖った頭があるんですよ。ええ、今度、公民館で、多宇の人、向こうで、山頭、山の頭と、山の頭と、作ってですね、三角にして、そうして、竿に付けて、この人は、白保に、この、立ててこられた。白保に立ててですね、白保に、同じく、帰ってこられたと。この人は、ああ、良かった、白保に締め出されて、やっぱし、自分の部落がいいと言うことで、頭を作ってですね、この頭、今でもありますよ。それを立ててですね、白保に帰郷されたと。約、ええ、星野と言うとこれからですね、ええと、十キロくらい離れたところにあります。星野部落、こっちに野原という高いところがある。向こうで田んぼを作り生活しておったわけですね。そのために助かった。もう一人はですね、内原という女の方が助かったという、内原。内原という女の方がですね、兄さんが、自分の兄さんが、石垣のほうで、船大工だったそうです。船を造る人、船大工をしているもんだから。弁当をこしらえて、兄さんの所へ持っていく時に、津波が来たもんだから、流されていってね、大きな梯梧の木が流れてきたもんで、あれに、昔は、カカンて分かりますか。白いやつ。カカンと行って、沖縄は来ているわけですが、あれが行って、梯梧の枝に、引っかかった。そしてこの、木と一緒に、ちょっと高いところまで、流されていった。そして、この木に捕まって、一人は助かったと。兄さんの所に、弁当を持ってくるときに、朝、八時何十分、九時、八時何十分に、津波あったんですからね。弁当持っていく時に、津波にあって、そうして、流れても、木に引っかかって、高いところまで、流されたんですね、これを捕まえていったら、助かったと。また、もう一人の宮良という方、男の方ですが、この方は朝ですね、昔は、牛馬を繋ぐんですが、縄にね。牛馬を繋いで、草を食わして育てるんですよね。そして、高いところに、時々ね、こうして、綱が弱って、農作物を荒らすので、この時、馬ブサといって、牛馬の当番。ブサと言ったら、当番のことですよ。馬ブサと言って、牛馬の当番をしておったわけ。ここで、農家の、馬を荒らさないように、ここで、監視に行ったわけ、そうすると、白保でも高いユウナ森。歌にある、ユウナ森にヌビテ、ウチクダチ見リバ、とありますよね。向こうの高いところに行っているときに、津波が来た。驚いて、立ちすくんでいたら、そこで、助かった。この由来ですね。こうです。助かった。ちょっと聞いてきてみような。
全体の記録時間数 15:42
物語の時間数 15:39
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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