
私らなんかは、分家したんだからよ。次男の祖父さんだからよ。大泊亀さんなんかは、次男の祖父さんさね。本家があるわけさ。本家が、ああいう風に山里勇吉さんでしょ。沖縄では三味線引いている山里勇吉とか、仲曽根ショウシとか、あれがおるよね。山里勇吉さんのお母さんが、この本家から生まれた娘ですよ。それで、山里勇吉さんがこういうね、三味線も持っているし、声もあるし、こういう、やるのは、先祖がこういう人おられたわけです。あのお祖父さんが、十代か九代の人。九代目の人だからね、祖父さんがね。だから、三味線も弾けるしね、歌もあるし、声もあるし、これのお母さんが、また、歌が上手だった。女の人であるけれど、お母さんがね。歌も上手だし、声もあるし、「この子には必ず三味線引かせなさい。」したのが、ナツパナという歌が、あの当時の。これお母さんが作った歌。ナツパナという歌を作って、琉球王の前に行って、お正月の一月一日は、「あんたが来て〔聞き取り不能〕家のお正月またくーよーなー。」と言われているわけさ。「来い。」と言われているから、「はい、行きます。」ということで許し受けて、また、行くことが簡単には行かなかった。米樽を二百幾、精米した米をね、前の袋、後の袋で入れてから、棒がね、〔聞き取り不能〕この大きな棒を、この棒で握ってから、担ぐわけさ、片手は三味線持ってるでしょ。〔聞き取り不能〕小さいがね、ユスニという、黒い大きな木があるわけさ。堅い木がさ、八重山に。あの下駄の、下駄の高さがね、五寸の高さ、これだけ高いさ。高さが。尺がね、三十センチ〔聞き取り不能〕がよ、そして、高さが五寸と言うから、いわばもう二十センチさ。こうゆう大きな下駄を履いてから、余興の前に、威張って歩くわけさ。行くまで履かないけど、余興の門のところで、止まってから、よし、こっちから、俺の力を見せると言って、〔聞き取り不能〕侍が、いっぱいいるから、こっちで、八重山の武士ということで、あれしてるから、今度は、僕の強さを見せるために、下駄を履いて、三味線を持って、握っている棒をつかむ、担ぐでしょ。だから、この米自体が、二百幾、前に百幾、後ろに百幾。俵みたいに巻いてからもってった。そして威張って歩くから、「八重山の大泊なまとちょうしがり、八重山の大泊なまとちょうしがり。」今が、来たよという意味。そしたら、琉球王の前にいる、傍にいる家来がね、「八重山の大泊、ちょんど、ちょんど。」と言って迎えたわけさ。したら、殿様が来て、〔聞き取り不能〕「なまくるあて。」ここへ来いという意味、「まあ、来なさい。」と言っている。「うっさくにむちぼーれーぼーれー。」ありがとうという意味。うっさというのは、あれだけの米という意味。「うっさくにむち、にへーどー。」「ありがたい。」と言っている。八重山の方言、ちょっと殿様のいう言葉だよ。「やまとちょんなー。」という沖縄の言葉、「今来たか。」という。「うっさーくみ、むしちょん、ぼーれー。」と言う。「あれだけの米、ありがとう。」と言っている。で、琉球王の〔聞き取り不能〕米も徴収して、帰っているから、〔聞き取り不能〕米樽と。この時は沖縄にいっぱい家来がおるから、武士なんかが、〔聞き取り不能〕「大泊、今度、上の日曜日、礼拝、やーぶちーぶちー。」「あんた見せなさい。」と言っている。〔聞き取り不能〕なあ、八重山の踊り、「でーじやっさー。でーじやさー。」って、大変だなという意味。ああいうの皆んな驚かして、で、あれが、お正月の朝、明かりと共に、ここで、三線(さんしん)弾きよった。同時に、三線弾いて、かじゃでぃ風、沖縄にかじゃでぃ風という歌があるんだが。あれから、八重山の赤馬節をやったわけだが。かじゃで風。二回目は、赤馬節。これから、三回目は。自分の持ち歌、ナツパナという歌よ。これ、婆ちゃんが名前を付けたわけさ。夏の花という。この歌はね、一つの木が、花を咲かせたという、夏にしか咲かない、白い花であったらしい。まあ、この木は現在ないけどよ、〔聞き取り不能〕九代目の人がよ。昔は、こう言う、できるから、まあ、〔聞き取り不能〕こう言う、三味線とか歌とかは、やっぱり、先祖がやっているから、代々伝えられている。
| レコード番号 | 47O330142 |
|---|---|
| CD番号 | 47O33C010 |
| 決定題名 | 大泊さんの先祖(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 大泊成吉 |
| 話者名かな | おおどまりせいきち |
| 生年月日 | 19231019 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 白保 |
| 記録日 | 19960912 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | T121 白保 A-05 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 30 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 三味線名人,琉球王府 |
| 梗概(こうがい) | 私らなんかは、分家したんだからよ。次男の祖父さんだからよ。大泊亀さんなんかは、次男の祖父さんさね。本家があるわけさ。本家が、ああいう風に山里勇吉さんでしょ。沖縄では三味線引いている山里勇吉とか、仲曽根ショウシとか、あれがおるよね。山里勇吉さんのお母さんが、この本家から生まれた娘ですよ。それで、山里勇吉さんがこういうね、三味線も持っているし、声もあるし、こういう、やるのは、先祖がこういう人おられたわけです。あのお祖父さんが、十代か九代の人。九代目の人だからね、祖父さんがね。だから、三味線も弾けるしね、歌もあるし、声もあるし、これのお母さんが、また、歌が上手だった。女の人であるけれど、お母さんがね。歌も上手だし、声もあるし、「この子には必ず三味線引かせなさい。」したのが、ナツパナという歌が、あの当時の。これお母さんが作った歌。ナツパナという歌を作って、琉球王の前に行って、お正月の一月一日は、「あんたが来て〔聞き取り不能〕家のお正月またくーよーなー。」と言われているわけさ。「来い。」と言われているから、「はい、行きます。」ということで許し受けて、また、行くことが簡単には行かなかった。米樽を二百幾、精米した米をね、前の袋、後の袋で入れてから、棒がね、〔聞き取り不能〕この大きな棒を、この棒で握ってから、担ぐわけさ、片手は三味線持ってるでしょ。〔聞き取り不能〕小さいがね、ユスニという、黒い大きな木があるわけさ。堅い木がさ、八重山に。あの下駄の、下駄の高さがね、五寸の高さ、これだけ高いさ。高さが。尺がね、三十センチ〔聞き取り不能〕がよ、そして、高さが五寸と言うから、いわばもう二十センチさ。こうゆう大きな下駄を履いてから、余興の前に、威張って歩くわけさ。行くまで履かないけど、余興の門のところで、止まってから、よし、こっちから、俺の力を見せると言って、〔聞き取り不能〕侍が、いっぱいいるから、こっちで、八重山の武士ということで、あれしてるから、今度は、僕の強さを見せるために、下駄を履いて、三味線を持って、握っている棒をつかむ、担ぐでしょ。だから、この米自体が、二百幾、前に百幾、後ろに百幾。俵みたいに巻いてからもってった。そして威張って歩くから、「八重山の大泊なまとちょうしがり、八重山の大泊なまとちょうしがり。」今が、来たよという意味。そしたら、琉球王の前にいる、傍にいる家来がね、「八重山の大泊、ちょんど、ちょんど。」と言って迎えたわけさ。したら、殿様が来て、〔聞き取り不能〕「なまくるあて。」ここへ来いという意味、「まあ、来なさい。」と言っている。「うっさくにむちぼーれーぼーれー。」ありがとうという意味。うっさというのは、あれだけの米という意味。「うっさくにむち、にへーどー。」「ありがたい。」と言っている。八重山の方言、ちょっと殿様のいう言葉だよ。「やまとちょんなー。」という沖縄の言葉、「今来たか。」という。「うっさーくみ、むしちょん、ぼーれー。」と言う。「あれだけの米、ありがとう。」と言っている。で、琉球王の〔聞き取り不能〕米も徴収して、帰っているから、〔聞き取り不能〕米樽と。この時は沖縄にいっぱい家来がおるから、武士なんかが、〔聞き取り不能〕「大泊、今度、上の日曜日、礼拝、やーぶちーぶちー。」「あんた見せなさい。」と言っている。〔聞き取り不能〕なあ、八重山の踊り、「でーじやっさー。でーじやさー。」って、大変だなという意味。ああいうの皆んな驚かして、で、あれが、お正月の朝、明かりと共に、ここで、三線(さんしん)弾きよった。同時に、三線弾いて、かじゃでぃ風、沖縄にかじゃでぃ風という歌があるんだが。あれから、八重山の赤馬節をやったわけだが。かじゃで風。二回目は、赤馬節。これから、三回目は。自分の持ち歌、ナツパナという歌よ。これ、婆ちゃんが名前を付けたわけさ。夏の花という。この歌はね、一つの木が、花を咲かせたという、夏にしか咲かない、白い花であったらしい。まあ、この木は現在ないけどよ、〔聞き取り不能〕九代目の人がよ。昔は、こう言う、できるから、まあ、〔聞き取り不能〕こう言う、三味線とか歌とかは、やっぱり、先祖がやっているから、代々伝えられている。 |
| 全体の記録時間数 | 14:26 |
| 物語の時間数 | 14:20 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |