
明和の津波と一緒に、波照間の方の、方が、建てられたので波照間御嶽、多原(たばる)という方は多宇、この人の名前だったらしい。多原、多原といってね、偉い人だった。やっぱりね、昔その、何ですか、政治犯で流された偉い人が、ここにおって、波照間もこういう話があるんですよ。こちらにも、多原という人は確かに偉い人であって、政治犯で島に流された、離島に流された方ではないかなということも予想される。嘉手苅という方もそして真謝という人もいますけど、真謝主という、沖縄の。この人の伝説はまた、この人は非常に、真謝主といって、私ら真謝御嶽の、まあ、この人を飾っていますがね、この人は殿様や沖縄の、何、非常にこう、馬乗りの名人で、馬乗り真謝、ご存じでしょうか、馬乗り真謝といって、この方は、名人。この方なんですよ、馬乗り真謝。その方が政治犯として白保に流されたか何か、ま、そういうことは、まだ、はっきりしていませんが、おそらく、偉い人が流されるのは昔は政治犯で、ずんずん伸びてくるものは、島へ流してしもうて、昔、後鳥羽上皇なんて流されましたけどね、こういうものなんじゃないかなと。私は推測しております。後鳥羽上皇なんかが流されましたよね。嘉手苅、真謝とか、これは全部人の名前です。ここで、偉い人、確かにいい事をなすって、神様と祀る。真謝主もそう。確かにこれは神様であったんじゃないかなと言うことで、奉って、ええ、現在、氏子がいっぱいおって、で、来ているんじゃないのかなって。そしてね、その、明和の大津波の前という証拠にね、真謝、真謝、え、多原、嘉手苅、いろいろ、お宮も上の方にありますよ。それを、部落が落ちたと同時に、ここに持ってきているわけですよ。上にも全部、この名前、現在ですね、この箇所にもありますよ。明和の津波の前です。そして、その前に真謝主と言うのは明和の津波に来たのですから、井戸を掘って、井戸を掘ってあるわけですよね。井戸を掘って、明和の津波で埋められた。また、これを採掘して、した。ここが現在真謝あります。こちらにありますよ。真謝井戸(まじゃんがー)です。明和の津波の前です。こうすれば大体合うんじゃないだすか。れは、波照間からも、これは、一番最後に建てられた御嶽じゃないかなと、私は。、これは何処の、波照間のどの御嶽を持ってきたのですか。ここには、阿底御嶽と書いてあるんですが。〕阿底御嶽、阿底御嶽と書いてあるけれども、向うにも、波照間にも阿底御嶽というお宮があるんじゃないですか。あの神様を分けてきたようであるか、また、阿底という人がいらっしゃったのかこの辺は、はっきりしないですね。波照間は、私らは阿底御嶽と行っているけども、波照間御嶽と言うのは、波照間という人の名前であったのか、波照間から阿底御嶽と言うのがあって、これをまた持ってきて、それをまた信じているのか、その辺が分からないですね。
| レコード番号 | 47O330127 |
|---|---|
| CD番号 | 47O33C009 |
| 決定題名 | 白保御嶽(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 大泊信健 |
| 話者名かな | おおどまりしんけん |
| 生年月日 | 19220108 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 白保 |
| 記録日 | 19960912 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | T120 白保 A-04 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20,30 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 白保,御嶽,馬乗真謝 |
| 梗概(こうがい) | 明和の津波と一緒に、波照間の方の、方が、建てられたので波照間御嶽、多原(たばる)という方は多宇、この人の名前だったらしい。多原、多原といってね、偉い人だった。やっぱりね、昔その、何ですか、政治犯で流された偉い人が、ここにおって、波照間もこういう話があるんですよ。こちらにも、多原という人は確かに偉い人であって、政治犯で島に流された、離島に流された方ではないかなということも予想される。嘉手苅という方もそして真謝という人もいますけど、真謝主という、沖縄の。この人の伝説はまた、この人は非常に、真謝主といって、私ら真謝御嶽の、まあ、この人を飾っていますがね、この人は殿様や沖縄の、何、非常にこう、馬乗りの名人で、馬乗り真謝、ご存じでしょうか、馬乗り真謝といって、この方は、名人。この方なんですよ、馬乗り真謝。その方が政治犯として白保に流されたか何か、ま、そういうことは、まだ、はっきりしていませんが、おそらく、偉い人が流されるのは昔は政治犯で、ずんずん伸びてくるものは、島へ流してしもうて、昔、後鳥羽上皇なんて流されましたけどね、こういうものなんじゃないかなと。私は推測しております。後鳥羽上皇なんかが流されましたよね。嘉手苅、真謝とか、これは全部人の名前です。ここで、偉い人、確かにいい事をなすって、神様と祀る。真謝主もそう。確かにこれは神様であったんじゃないかなと言うことで、奉って、ええ、現在、氏子がいっぱいおって、で、来ているんじゃないのかなって。そしてね、その、明和の大津波の前という証拠にね、真謝、真謝、え、多原、嘉手苅、いろいろ、お宮も上の方にありますよ。それを、部落が落ちたと同時に、ここに持ってきているわけですよ。上にも全部、この名前、現在ですね、この箇所にもありますよ。明和の津波の前です。そして、その前に真謝主と言うのは明和の津波に来たのですから、井戸を掘って、井戸を掘ってあるわけですよね。井戸を掘って、明和の津波で埋められた。また、これを採掘して、した。ここが現在真謝あります。こちらにありますよ。真謝井戸(まじゃんがー)です。明和の津波の前です。こうすれば大体合うんじゃないだすか。れは、波照間からも、これは、一番最後に建てられた御嶽じゃないかなと、私は。、これは何処の、波照間のどの御嶽を持ってきたのですか。ここには、阿底御嶽と書いてあるんですが。〕阿底御嶽、阿底御嶽と書いてあるけれども、向うにも、波照間にも阿底御嶽というお宮があるんじゃないですか。あの神様を分けてきたようであるか、また、阿底という人がいらっしゃったのかこの辺は、はっきりしないですね。波照間は、私らは阿底御嶽と行っているけども、波照間御嶽と言うのは、波照間という人の名前であったのか、波照間から阿底御嶽と言うのがあって、これをまた持ってきて、それをまた信じているのか、その辺が分からないですね。 |
| 全体の記録時間数 | 5:53 |
| 物語の時間数 | 5:47 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |