
これを共通語に直して申し上げますと、昔は真謝村(まーじゃむら)、白保村という両方の部落がありましたが、明和の八年の大津波でね、流されてしまって、その部落行くと部落も真謝村も一つも無い。しかし、生き残った人は二八名残っておったということで、この白保の村のというのは、今そういうふうになってきて、波照間から人頭税民(にんとうぜいみん)になってきて白保村ということが、だから真謝井(まーじゃんがー)の由来というのは、つまり、はじめて〔聞き取り不能〕首里から命令されて、もう採掘したので、いずれにしても、真謝村というのはこういう採掘は真謝主が掘ったために真謝村という改名されてあります。この真謝(まーじゃ)という人はどんな人であるかということに、なってきますが、今でもこの人の墓が祀られてあります。ということは、この〔まいのり〕真謝は首里に、ある説には、首里王の娘といろんな、話題があったために流されたという話もありますが、また私らの聞くところでは、この人は首里王の命を受けて、津波に流されたそうだから調査してこいという命を受けてこられたと、いうことをその人はここで、このようにして来られて調査をして、こられたと。その時、トーヤーという所に、トーサカイという娘がおった。トーヤーはその当時部落と反対して、先に今の後ろの裏であります。そこに移されておった。そこでぃ、津波が行ったもんだから、あそこだけは津波は行かない。そんで、その人の家族は全部、生き残って帰ってきたと。〔びじんとーかつらという〔 〕があります。それはトーヤーの人があそこから、もうそのへんの部落と反対して〔 〕げられたもんだから、入ってくるときは勇ましく、その部落に入ってきたということで、その、〔 〕が、今でもあります。それで、真謝井の由来というのは、こういうふうにして、さいほりまで真謝主が掘った。この真謝がそのそわそわして帰ろうとするときに、このとーさかいという人が部落の西に、ジザガ石という石があります。その石の隣で待っておって、その馬乗り真謝が帰ってくるのを待っておった。それで二人、それでその話はもちろん恋愛の話で違いない、こう思いますけど、その馬乗り真謝は首里に行って、首里王にその報告をして、またさらに帰ってこられて、ここで、そのサカイと夫婦になる。夫婦になって、その井戸を降井(うりんがー)を真謝井に掘った。それでこのサカイという人は、いま部落の東に藺草(ぴーぐ)を作っている。そこに小さいお宮の形がありますが、その人はそこに祀られておる。その祀られておるかと申しますと、このサカイは、この馬乗り真謝と夫婦、であったと、いいますものの、ほぼいない。半分の人いないが、あの人は、ここに、その小さいお宮に行ったなり、行方不明なって、おらなくなって、その信じるところであるという部分に、今でもその真謝拝みのお嶽の人が、ここを信じています。それから、宮古からは真謝と名前のついてる人は、今でもここに来て信じているわけでありまして、真謝井の由来、白保村の由来は以上こういう事になっているわけであります。
| レコード番号 | 47O330013 |
|---|---|
| CD番号 | 47O33C001 |
| 決定題名 | 白保村とマージャンガー村の話(方言) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 仲宗根長美 |
| 話者名かな | なかそねちょうび |
| 生年月日 | 18990709 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | - |
| 記録日 | 19750804 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | T39 白保1 B-3 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 30 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 白保村,真謝村 |
| 梗概(こうがい) | これを共通語に直して申し上げますと、昔は真謝村(まーじゃむら)、白保村という両方の部落がありましたが、明和の八年の大津波でね、流されてしまって、その部落行くと部落も真謝村も一つも無い。しかし、生き残った人は二八名残っておったということで、この白保の村のというのは、今そういうふうになってきて、波照間から人頭税民(にんとうぜいみん)になってきて白保村ということが、だから真謝井(まーじゃんがー)の由来というのは、つまり、はじめて〔聞き取り不能〕首里から命令されて、もう採掘したので、いずれにしても、真謝村というのはこういう採掘は真謝主が掘ったために真謝村という改名されてあります。この真謝(まーじゃ)という人はどんな人であるかということに、なってきますが、今でもこの人の墓が祀られてあります。ということは、この〔まいのり〕真謝は首里に、ある説には、首里王の娘といろんな、話題があったために流されたという話もありますが、また私らの聞くところでは、この人は首里王の命を受けて、津波に流されたそうだから調査してこいという命を受けてこられたと、いうことをその人はここで、このようにして来られて調査をして、こられたと。その時、トーヤーという所に、トーサカイという娘がおった。トーヤーはその当時部落と反対して、先に今の後ろの裏であります。そこに移されておった。そこでぃ、津波が行ったもんだから、あそこだけは津波は行かない。そんで、その人の家族は全部、生き残って帰ってきたと。〔びじんとーかつらという〔 〕があります。それはトーヤーの人があそこから、もうそのへんの部落と反対して〔 〕げられたもんだから、入ってくるときは勇ましく、その部落に入ってきたということで、その、〔 〕が、今でもあります。それで、真謝井の由来というのは、こういうふうにして、さいほりまで真謝主が掘った。この真謝がそのそわそわして帰ろうとするときに、このとーさかいという人が部落の西に、ジザガ石という石があります。その石の隣で待っておって、その馬乗り真謝が帰ってくるのを待っておった。それで二人、それでその話はもちろん恋愛の話で違いない、こう思いますけど、その馬乗り真謝は首里に行って、首里王にその報告をして、またさらに帰ってこられて、ここで、そのサカイと夫婦になる。夫婦になって、その井戸を降井(うりんがー)を真謝井に掘った。それでこのサカイという人は、いま部落の東に藺草(ぴーぐ)を作っている。そこに小さいお宮の形がありますが、その人はそこに祀られておる。その祀られておるかと申しますと、このサカイは、この馬乗り真謝と夫婦、であったと、いいますものの、ほぼいない。半分の人いないが、あの人は、ここに、その小さいお宮に行ったなり、行方不明なって、おらなくなって、その信じるところであるという部分に、今でもその真謝拝みのお嶽の人が、ここを信じています。それから、宮古からは真謝と名前のついてる人は、今でもここに来て信じているわけでありまして、真謝井の由来、白保村の由来は以上こういう事になっているわけであります。 |
| 全体の記録時間数 | 5:32 |
| 物語の時間数 | 5:15 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |