
今から五百年前ね、首里王府から赤蜂征討の大軍が来た赤蜂の乱というのがあったというの聞いたでしょう。その時にね、首里王府の味方をした長田大主の妹には真乙姥と姑乙姥が居るでしょう。征討の軍は赤蜂を征伐して、首里王府に帰還されたんだな。ブナルというから女の兄弟だが、妹か姉さんか分からんよ。その真乙姥という人が、王府軍が那覇に帰るまでね、岬の浜で飲まず食わず、要するに断食をしてね、航海の無事を祈願していたらしいな。たまたまね、その時にね、平得の多田遠那里という人が、岬の浜に潮を汲みに行かれたらしいね。そうしたら、向こうでこの真乙姥という人が飲まず食わずで首里王府の軍が帰るまでね、とにかく朝晩祈っていられたらしいから、その衰弱した体をみかねてね、米をすりつぶした神酒を作ってね、毎日通ってね、この人に上げとったらしいさ。だからその真乙姥という人は、多田遠那里という人のおかげで助かってね、無事に大任を果たせたらしい。そういうわけでね、首里王府から真乙姥という人に八重山最高の神職の大阿母(ほーるざー)という職を与えるようにお告げがあったらしいね。ところがこの真乙姥という人はね、「私が今日あるのは平得の多田遠那里という人のおかげです。私に授けられる職はあの人に授けてもらいたい。」ということで、平得の多田遠那里という人が八重山で初代の大阿母という最高の神職を授けられた。その多田遠那里はね、首里王府に行き来しておられたんじゃないかな。この人が首里王府に上京なされてね、お帰りになる航海中にたまたま嵐で難船にあってね、東南アジアの今のベトナムへんのね、安南の島まで流されたらしい。そして、この島に帰るときには向こうの獅子と五穀の種を持って、あそこの岬に船をおつけになる予定が風のためにそのまま、ここの浜にお着きになったわけだな。以来ね、あそこの浜は多田遠那里が安南の島から獅子と米や粟の五穀の種を持って着いたから、多田浜という名前がついて、一つの御嶽になったらしい。その多田遠那里の子孫は、波照間姓の多田屋と言う家で、毎年行列をつくってね、大阿母御嶽まで行って祈願しています。
| レコード番号 | 47O341170 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C091 |
| 決定題名 | 多田御嶽(共通語) |
| 話者がつけた題名 | 大阿母御嶽由来 |
| 話者名 | 白金光邦 |
| 話者名かな | しろがねみつくに |
| 生年月日 | 19180613 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字平得 |
| 記録日 | 19970912 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市平得 T70 A04 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 五百年前,首里王府,赤蜂の乱,長田大主,妹,真乙姥,姑乙姥,帰還,ブナル,那覇,断食,航海の無事,祈願,平得,多田遠那里,衰弱,神酒,八重山最高の神職,大阿母,難船,ベトナム,安南の島,獅子,五穀の種,多田浜,御嶽,子孫,波照間姓,多田屋 |
| 梗概(こうがい) | 今から五百年前ね、首里王府から赤蜂征討の大軍が来た赤蜂の乱というのがあったというの聞いたでしょう。その時にね、首里王府の味方をした長田大主の妹には真乙姥と姑乙姥が居るでしょう。征討の軍は赤蜂を征伐して、首里王府に帰還されたんだな。ブナルというから女の兄弟だが、妹か姉さんか分からんよ。その真乙姥という人が、王府軍が那覇に帰るまでね、岬の浜で飲まず食わず、要するに断食をしてね、航海の無事を祈願していたらしいな。たまたまね、その時にね、平得の多田遠那里という人が、岬の浜に潮を汲みに行かれたらしいね。そうしたら、向こうでこの真乙姥という人が飲まず食わずで首里王府の軍が帰るまでね、とにかく朝晩祈っていられたらしいから、その衰弱した体をみかねてね、米をすりつぶした神酒を作ってね、毎日通ってね、この人に上げとったらしいさ。だからその真乙姥という人は、多田遠那里という人のおかげで助かってね、無事に大任を果たせたらしい。そういうわけでね、首里王府から真乙姥という人に八重山最高の神職の大阿母(ほーるざー)という職を与えるようにお告げがあったらしいね。ところがこの真乙姥という人はね、「私が今日あるのは平得の多田遠那里という人のおかげです。私に授けられる職はあの人に授けてもらいたい。」ということで、平得の多田遠那里という人が八重山で初代の大阿母という最高の神職を授けられた。その多田遠那里はね、首里王府に行き来しておられたんじゃないかな。この人が首里王府に上京なされてね、お帰りになる航海中にたまたま嵐で難船にあってね、東南アジアの今のベトナムへんのね、安南の島まで流されたらしい。そして、この島に帰るときには向こうの獅子と五穀の種を持って、あそこの岬に船をおつけになる予定が風のためにそのまま、ここの浜にお着きになったわけだな。以来ね、あそこの浜は多田遠那里が安南の島から獅子と米や粟の五穀の種を持って着いたから、多田浜という名前がついて、一つの御嶽になったらしい。その多田遠那里の子孫は、波照間姓の多田屋と言う家で、毎年行列をつくってね、大阿母御嶽まで行って祈願しています。 |
| 全体の記録時間数 | 7:22 |
| 物語の時間数 | 7:22 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |