真乙姥御嶽(共通語)

概要

こっちでオヤケ赤蜂ていうのは聞いていらっしゃるでしょ。その赤蜂はいわゆる革新系で、官軍からすれば賊であったでしょう。その官軍方で首里王府の手伝いをした長田大主(なーたーふーしゅ)という大主の妹であられる真乙(まいつ)という人が真乙姥御嶽(まいつばおん)に祀られている。長田大主には真乙、姑乙(くいつ)という二人の姉妹がいらして、真乙はお兄さんの味方で官軍側になって、妹の姑乙は、政略結婚でオヤケ赤蜂の妻にして、そのとき、長田大主は、「赤蜂を毒殺するように。」と言い含められて行ったんだけど、毒殺できずにおったから、官軍からすれば姑乙は裏切ったということで、今無くなってますけれど、私が子供のころの昔は、真乙姥御嶽(まいつばおん)の南西のところの塀に沿うてね、平たい大きい石でこんなにね、囲いがあったわけ。節穴からそこをのぞくとね、カタツムリの死骸がいっぱいあったわけよ。そういうことで、その墓を子供たちはツダミ墓って言ってました。ツダミって言ったら八重山(やえやま)の方言でカタツムリなんですよね。そしてね、「ここが姑乙の墓だ。そういう裏切り者だから皆の足で踏ます。」と言うことで、子供たちはそこの上で乗って遊んでいたんです。それで、戦後になってね、あれは昭和何年ごろだろうね。当時ちょっと主人の転勤で島にいなかったもんでよく分かんないですけどね、多分昭和三〇年代じゃないかと思うんです。姑乙の夫の赤蜂という人は字大浜(あざおおはま)に住まいがあったんで、それで赤蜂の碑がその大浜にあるわけよ。大浜の皆さんにとっては赤蜂は農民を代表したということで改革派の英雄さあね。夫であった赤蜂のところに姑乙を合葬しようということになってね、「もともと夫婦だったんだから一緒に祀るべきじゃないか。」と言うようなことが有志の誰かから話が出て、それで向こうに合祀されていると聞いています。そのとき、お骨もあったかどうかは分からないけど、後で聞いたらお骨が出たとか、そこじゃなくて別のところからお骨が出たとかいう話がありました。姉の真乙姥はね、長田大主の味方だったから首里王府から司の最高位の役職で、永良比金(いらびんがに)なんかを統率する大阿母(おおあま)の位を与えられたんです。これは、こちら島の方言ではホールザーと言います。その木簡があったとかとも言って、それで崇めれて祀られています。石垣市四箇字では、村(むら)プールといってね、豊年祭を各字で拝んでそれぞれやりますけれども、また揃って真乙姥御嶽に来て四箇字の一同が豊作の祈願を皆でやるんですよね。これはね、新川(あらかわ)の字会のなかにね、この祭事を担当する副会長の一人の祭事係がおって、この人が日取りをするんですよ。この日取りには決まりがあるそうです。旧の六月の干支を壬とか癸とかいろいろあるでしょう。これを結び付けて行われるわけ。

再生時間:3:57

民話詳細DATA

レコード番号 47O340599
CD番号 47O34C041
決定題名 真乙姥御嶽(共通語)
話者がつけた題名
話者名 山根慶子
話者名かな やまねけいこ
生年月日 19241105
性別
出身地 沖縄県石垣市字新川
記録日 19980312
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市字新川 T49 A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 慶応元年生まれのお祖母さんから聞いた
文字化資料
キーワード オヤケ赤蜂,賊,首里王府,長田大主,真乙,真乙姥御嶽,姑乙,姉妹,政略結婚,妻,毒殺,ツダミ墓,カタツムリ,裏切り者,大浜,碑,農民,英雄,合葬,夫婦,司,役職,永良比金,大阿母,ホールザー,木簡,四箇字,村プール,豊年祭,豊作,祈願,祭事係,日取り,旧の六月,干支
梗概(こうがい) こっちでオヤケ赤蜂ていうのは聞いていらっしゃるでしょ。その赤蜂はいわゆる革新系で、官軍からすれば賊であったでしょう。その官軍方で首里王府の手伝いをした長田大主(なーたーふーしゅ)という大主の妹であられる真乙(まいつ)という人が真乙姥御嶽(まいつばおん)に祀られている。長田大主には真乙、姑乙(くいつ)という二人の姉妹がいらして、真乙はお兄さんの味方で官軍側になって、妹の姑乙は、政略結婚でオヤケ赤蜂の妻にして、そのとき、長田大主は、「赤蜂を毒殺するように。」と言い含められて行ったんだけど、毒殺できずにおったから、官軍からすれば姑乙は裏切ったということで、今無くなってますけれど、私が子供のころの昔は、真乙姥御嶽(まいつばおん)の南西のところの塀に沿うてね、平たい大きい石でこんなにね、囲いがあったわけ。節穴からそこをのぞくとね、カタツムリの死骸がいっぱいあったわけよ。そういうことで、その墓を子供たちはツダミ墓って言ってました。ツダミって言ったら八重山(やえやま)の方言でカタツムリなんですよね。そしてね、「ここが姑乙の墓だ。そういう裏切り者だから皆の足で踏ます。」と言うことで、子供たちはそこの上で乗って遊んでいたんです。それで、戦後になってね、あれは昭和何年ごろだろうね。当時ちょっと主人の転勤で島にいなかったもんでよく分かんないですけどね、多分昭和三〇年代じゃないかと思うんです。姑乙の夫の赤蜂という人は字大浜(あざおおはま)に住まいがあったんで、それで赤蜂の碑がその大浜にあるわけよ。大浜の皆さんにとっては赤蜂は農民を代表したということで改革派の英雄さあね。夫であった赤蜂のところに姑乙を合葬しようということになってね、「もともと夫婦だったんだから一緒に祀るべきじゃないか。」と言うようなことが有志の誰かから話が出て、それで向こうに合祀されていると聞いています。そのとき、お骨もあったかどうかは分からないけど、後で聞いたらお骨が出たとか、そこじゃなくて別のところからお骨が出たとかいう話がありました。姉の真乙姥はね、長田大主の味方だったから首里王府から司の最高位の役職で、永良比金(いらびんがに)なんかを統率する大阿母(おおあま)の位を与えられたんです。これは、こちら島の方言ではホールザーと言います。その木簡があったとかとも言って、それで崇めれて祀られています。石垣市四箇字では、村(むら)プールといってね、豊年祭を各字で拝んでそれぞれやりますけれども、また揃って真乙姥御嶽に来て四箇字の一同が豊作の祈願を皆でやるんですよね。これはね、新川(あらかわ)の字会のなかにね、この祭事を担当する副会長の一人の祭事係がおって、この人が日取りをするんですよ。この日取りには決まりがあるそうです。旧の六月の干支を壬とか癸とかいろいろあるでしょう。これを結び付けて行われるわけ。
全体の記録時間数 8:35
物語の時間数 3:57
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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