ナータツ井戸(共通語)

概要

新川(あらかわ)の五町内にね、嵩西(たけにし)、唐真(とうま)大工(だいく)という三つのこの系統があるんだよな。嵩西(たけにし)は、イリ嵩西、嵩西、前嵩西(まいたけにし)、後嵩西(しーたけにし)とある。それで入嵩西(いりたけにし)に今、入嵩西清佐(いりたけにしせいさ)さんもおられるけど、先祖が何百年前に掘られた嵩西井戸(たけにしかー)っていう井戸があるんだよな。また、唐真の井戸はまた唐から流れたいらした先祖が井戸を掘ったけど、うちらの大工の先祖さんも水困難のときにね、五〇〇年前もなるけど流れついてきて水がないし、木の下に甕を置いて天水を溜めて飲んでるとボウフラが浮くでしょ。だから何とかしてこれ井戸掘って、この人民を助けたいという気持ちでいたら、「ここがいいんじゃないか。」と神様から御告げがあって、それで掘られたところが今、ナータツ橋と真喜良橋(まきゅらばし)の間に中間にあるナータツ井戸って言うよ。この井戸は浅いけど甘いさ。「どういうことでこんなに海の側でね、近いけどこんなに甘いのかな。ああ、めずらしいね。こんな浅い井戸で雨水が飲めるとは本当にありがたい。」って不思議がられて、畑から帰りもお芋下ろしてこうして水飲むぐらいだったからよ、だから黒島(くろしま)、波照間(はてるま)、西表(いりおもて)からまで、サバニで来てね、ドラム缶を入れてこの水汲みに来て、そのナータツ井戸の水で八重山群島全部で飲んで助かってきてるさあね。唐真の先祖はまた、「はあ、大工でもこんな浅いところで井戸掘っているのに、僕はまた甘い水掘ってみせるさ。」と言うその嫉妬の気持ちでね、奥の方だったらよけい甘い水が出ると言うことで掘ったが、掘っても掘っても水が湧かないんだってさ。それから、「何くそ、えらい甘い水が出るよ。」と言って耕運機を使って堀り堀りして二〇尋も掘ったらとうとう水が出たって。あそこは、上から見たら本当に下の水が見えないくらい深いさあね。そして水が湧いたから喜んで汲み上げて飲まれたら塩水って。この井戸は上の二尋ぐらいで雨水だよ。それが不思議なんだよな。だからこの唐真の井戸(か ー)は川平(かびら)に行く橋に行くところの上の方の崖に石のいっぱいあるところさあね。だから、海に近いんだよね。それで、「何で嫉妬するか。人を助けるという気持ちだから、大工はあれだけ徳分があったんじゃないか。」という人もいたよ。ナータツ井戸では、昔から年に一度、壬寅(みずのえとら)っていう日をちゃんと決めて、その日にちゃんと豆入れた御馳走やらいろいろつくってね、マカゴを作って一品携帯で皆この大工先祖の子や孫達が全部向こうに行って幕を張って感謝祭をやっているんです。そのときには、必ず私達は甘い水を汲んでね、先祖に御茶湯(おちゃとう)して祀って、「今日はこうしてナータツ井戸のお祝いをしたよ。」と言って、先祖に申し上げているけど、別のところはどんななってるかわからん。大工だけはね、本当にやっぱり井戸の水は砂糖入れたかなと思うぐらい甘いから不思議でならないですよね。今でも水道の水と比べて飲むけどとっても甘い。前嵩西(まえたけにし)、後嵩西、入嵩西、東嵩西は一つ。大工は大工だけ。また、唐真は唐真だけだが、この三箇所はね、その勢力が強かったんだろうな。それで井戸が三箇所今までもあるよ。うちらもよ、一七歳時分には奉仕作業といって月夜の晩にね、一斗缶二つこうして棒をして担いでね、五、六箇所ぐらいの出征兵士の家に水を運んで水甕を満たしたんだよね。二斗甕(にとぅがーみー)だったら二回担いでこんといっぱいにならんさあね。あっちの人は欲張ってまた四斗甕(よんとぅがーみー)出して飾っておいたから、四回もあの家に担いだこともあるけどね。昭和二九年か三〇年に水道が入ったから、三〇年、三一年ごろからはこの井戸は水飲まないようになって、昭和三五年ぐらいから離島から汲みにこなくなったさ。それでだんだんと土地改良といろいろ出てきたからうちらは親族で、「ちゃんと跡を作っておいて子や孫に残しておこう。」と言って、十年前に石碑をつくってちゃんと保存しておいとってあるよ。嵩西もまた産業道路のそこにあるんだよ。あっちはどこが嵩西の井戸かなというぐらいにわからんぐらいになってしまっているけど、やっぱり井戸はあるさ。

再生時間:7:06

民話詳細DATA

レコード番号 47O340530
CD番号 47O34C037
決定題名 ナータツ井戸(共通語)
話者がつけた題名
話者名 大工也
話者名かな だいくなり
生年月日 19261217
性別
出身地 沖縄県石垣市字新川
記録日 19970913
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市字新川 T44 A12
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 新川,いり嵩西,後嵩西,唐真,大工,嵩西井戸,唐真の井戸,神様,御告げ,ナータツ井戸,甘い,黒島,波照間,西表,サバニ,壬寅,豆,御馳走,マカゴ,感謝祭,御茶湯,一七歳時分,奉仕作業,月夜の晩,水甕,石碑
梗概(こうがい) 新川(あらかわ)の五町内にね、嵩西(たけにし)、唐真(とうま)大工(だいく)という三つのこの系統があるんだよな。嵩西(たけにし)は、イリ嵩西、嵩西、前嵩西(まいたけにし)、後嵩西(しーたけにし)とある。それで入嵩西(いりたけにし)に今、入嵩西清佐(いりたけにしせいさ)さんもおられるけど、先祖が何百年前に掘られた嵩西井戸(たけにしかー)っていう井戸があるんだよな。また、唐真の井戸はまた唐から流れたいらした先祖が井戸を掘ったけど、うちらの大工の先祖さんも水困難のときにね、五〇〇年前もなるけど流れついてきて水がないし、木の下に甕を置いて天水を溜めて飲んでるとボウフラが浮くでしょ。だから何とかしてこれ井戸掘って、この人民を助けたいという気持ちでいたら、「ここがいいんじゃないか。」と神様から御告げがあって、それで掘られたところが今、ナータツ橋と真喜良橋(まきゅらばし)の間に中間にあるナータツ井戸って言うよ。この井戸は浅いけど甘いさ。「どういうことでこんなに海の側でね、近いけどこんなに甘いのかな。ああ、めずらしいね。こんな浅い井戸で雨水が飲めるとは本当にありがたい。」って不思議がられて、畑から帰りもお芋下ろしてこうして水飲むぐらいだったからよ、だから黒島(くろしま)、波照間(はてるま)、西表(いりおもて)からまで、サバニで来てね、ドラム缶を入れてこの水汲みに来て、そのナータツ井戸の水で八重山群島全部で飲んで助かってきてるさあね。唐真の先祖はまた、「はあ、大工でもこんな浅いところで井戸掘っているのに、僕はまた甘い水掘ってみせるさ。」と言うその嫉妬の気持ちでね、奥の方だったらよけい甘い水が出ると言うことで掘ったが、掘っても掘っても水が湧かないんだってさ。それから、「何くそ、えらい甘い水が出るよ。」と言って耕運機を使って堀り堀りして二〇尋も掘ったらとうとう水が出たって。あそこは、上から見たら本当に下の水が見えないくらい深いさあね。そして水が湧いたから喜んで汲み上げて飲まれたら塩水って。この井戸は上の二尋ぐらいで雨水だよ。それが不思議なんだよな。だからこの唐真の井戸(か ー)は川平(かびら)に行く橋に行くところの上の方の崖に石のいっぱいあるところさあね。だから、海に近いんだよね。それで、「何で嫉妬するか。人を助けるという気持ちだから、大工はあれだけ徳分があったんじゃないか。」という人もいたよ。ナータツ井戸では、昔から年に一度、壬寅(みずのえとら)っていう日をちゃんと決めて、その日にちゃんと豆入れた御馳走やらいろいろつくってね、マカゴを作って一品携帯で皆この大工先祖の子や孫達が全部向こうに行って幕を張って感謝祭をやっているんです。そのときには、必ず私達は甘い水を汲んでね、先祖に御茶湯(おちゃとう)して祀って、「今日はこうしてナータツ井戸のお祝いをしたよ。」と言って、先祖に申し上げているけど、別のところはどんななってるかわからん。大工だけはね、本当にやっぱり井戸の水は砂糖入れたかなと思うぐらい甘いから不思議でならないですよね。今でも水道の水と比べて飲むけどとっても甘い。前嵩西(まえたけにし)、後嵩西、入嵩西、東嵩西は一つ。大工は大工だけ。また、唐真は唐真だけだが、この三箇所はね、その勢力が強かったんだろうな。それで井戸が三箇所今までもあるよ。うちらもよ、一七歳時分には奉仕作業といって月夜の晩にね、一斗缶二つこうして棒をして担いでね、五、六箇所ぐらいの出征兵士の家に水を運んで水甕を満たしたんだよね。二斗甕(にとぅがーみー)だったら二回担いでこんといっぱいにならんさあね。あっちの人は欲張ってまた四斗甕(よんとぅがーみー)出して飾っておいたから、四回もあの家に担いだこともあるけどね。昭和二九年か三〇年に水道が入ったから、三〇年、三一年ごろからはこの井戸は水飲まないようになって、昭和三五年ぐらいから離島から汲みにこなくなったさ。それでだんだんと土地改良といろいろ出てきたからうちらは親族で、「ちゃんと跡を作っておいて子や孫に残しておこう。」と言って、十年前に石碑をつくってちゃんと保存しておいとってあるよ。嵩西もまた産業道路のそこにあるんだよ。あっちはどこが嵩西の井戸かなというぐらいにわからんぐらいになってしまっているけど、やっぱり井戸はあるさ。
全体の記録時間数 7:13
物語の時間数 7:06
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP