
オヤケ赤蜂(あかはち)の乱とき、いわゆる首里王府からの官軍方と一緒に戦ったこちらの大将が長田大主(なーたふーしゅ)という武将で、その人に姉と妹がおりまして、姉娘の方が真乙姥(まいつば)で、お兄さんの長田大主を助けたというようなことで、非常に威霊(しじ)高い方であったそうで、真乙姥は何かこの場所で長田大主(なーたふーしゅ)のためにお祈りをしていたというようなことで、それで亡くなった後、ここが真乙姥(まいつば)の御嶽となったと伝え聞いております。昔、藤井貢という俳優があの赤蜂の役をやって、オヤケ赤蜂という映画を私達の一五、一六歳ごろにやっていましたけれどもね、その妹の姑乙姥(くいつば)はいわゆる政略結婚で、オヤケ赤蜂(あかはち)のところへ毒殺するようにと嫁に行かされたというような物語がありますよね。「毒殺を命令されて行ったけどそんな悪い人でもないし、添えばまた情も移ってお兄さんの言いつけを守れなかった。」とかと言うようなことのようですね。だから、官軍の方の歴史作りでは姑乙姥は赤蜂の手助けをした謀叛人だと戦中戦後ぐらいまで言われていたと思うんです。その姑乙姥(くいつば)の墓は真乙姥(まいつば)の御嶽の社の中にじゃなくって屋敷の南西の隅にあったんです。塀よりちょっと内側にこうした石の囲いがあって上にやっぱり大きい石板をかけてあって、そこを子供達はツダミの墓と言ってました。ツダミということはでんでん虫なんですよね。子供達はそのツダミの墓の上で遊んでいたんです。どうしてツダミと言ったかはわからないんですけど、その石の穴の中からちょっと中をのぞいてみたら、カタツムリの殻がいっぱいあったんで子供達がツダミの墓といったのか、それとも何かいわれがあるのかその辺はわかりません。また、この姑乙姥(くいつば)の墓のツダミの墓は、豊年祭の綱引きのときにそこを足踏みをさせるというようなことも聞いてますね。私は旅だったからわからないけど、戦後間もなくに何か司の何か御告げがあってあったとかで、どっかのがじまるの根元を掘ったらお骨が出たので、姑乙姥(くいつば)の遺骨が出てきたということで、大浜(おおはま)が赤蜂の里ですので字大浜の赤蜂の碑と共にすべきだというような世論があったそうで、「共にお納めしよう。」と赤蜂と一緒のところに移したとかって聞いております。真乙姥は兄を助けたのでシジ高いと言われている。
| レコード番号 | 47O340494 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C035 |
| 決定題名 | 真乙姥御嶽(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 山根慶子 |
| 話者名かな | やまねけいこ |
| 生年月日 | 19241105 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字新川 |
| 記録日 | 19970913 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市字新川 T43 A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 慶応元年生まれのお祖母さんから聞いた |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | オヤケ赤蜂,乱,首里王府,官軍,長田大主,姉と妹,真乙姥,お祈り,御嶽,藤井貢,俳優,映画,姑乙姥,政略結婚,毒殺,謀叛人,石の囲い,ツダミの墓,でんでん虫,豊年祭,綱引き,司,御告げ,骨,大浜,碑 |
| 梗概(こうがい) | オヤケ赤蜂(あかはち)の乱とき、いわゆる首里王府からの官軍方と一緒に戦ったこちらの大将が長田大主(なーたふーしゅ)という武将で、その人に姉と妹がおりまして、姉娘の方が真乙姥(まいつば)で、お兄さんの長田大主を助けたというようなことで、非常に威霊(しじ)高い方であったそうで、真乙姥は何かこの場所で長田大主(なーたふーしゅ)のためにお祈りをしていたというようなことで、それで亡くなった後、ここが真乙姥(まいつば)の御嶽となったと伝え聞いております。昔、藤井貢という俳優があの赤蜂の役をやって、オヤケ赤蜂という映画を私達の一五、一六歳ごろにやっていましたけれどもね、その妹の姑乙姥(くいつば)はいわゆる政略結婚で、オヤケ赤蜂(あかはち)のところへ毒殺するようにと嫁に行かされたというような物語がありますよね。「毒殺を命令されて行ったけどそんな悪い人でもないし、添えばまた情も移ってお兄さんの言いつけを守れなかった。」とかと言うようなことのようですね。だから、官軍の方の歴史作りでは姑乙姥は赤蜂の手助けをした謀叛人だと戦中戦後ぐらいまで言われていたと思うんです。その姑乙姥(くいつば)の墓は真乙姥(まいつば)の御嶽の社の中にじゃなくって屋敷の南西の隅にあったんです。塀よりちょっと内側にこうした石の囲いがあって上にやっぱり大きい石板をかけてあって、そこを子供達はツダミの墓と言ってました。ツダミということはでんでん虫なんですよね。子供達はそのツダミの墓の上で遊んでいたんです。どうしてツダミと言ったかはわからないんですけど、その石の穴の中からちょっと中をのぞいてみたら、カタツムリの殻がいっぱいあったんで子供達がツダミの墓といったのか、それとも何かいわれがあるのかその辺はわかりません。また、この姑乙姥(くいつば)の墓のツダミの墓は、豊年祭の綱引きのときにそこを足踏みをさせるというようなことも聞いてますね。私は旅だったからわからないけど、戦後間もなくに何か司の何か御告げがあってあったとかで、どっかのがじまるの根元を掘ったらお骨が出たので、姑乙姥(くいつば)の遺骨が出てきたということで、大浜(おおはま)が赤蜂の里ですので字大浜の赤蜂の碑と共にすべきだというような世論があったそうで、「共にお納めしよう。」と赤蜂と一緒のところに移したとかって聞いております。真乙姥は兄を助けたのでシジ高いと言われている。 |
| 全体の記録時間数 | 6:44 |
| 物語の時間数 | 4:15 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |