
オヤケ赤蜂と長田大主(なーたふーじ)の二人は、もともと波照間(は てるま)出身ですがら、波照間には今でも長田大主(なーたふーじ)の屋敷があって、碑も建ってますよ。また東の網部落(あみぶらく)にはオヤケ赤蜂の碑が建ってるんですよ。話を聞けば長田大主は、「いや、ここでは自分の思うことが見つけられない。」と言うことでね、石垣(いしがき)に移って来られたさ。そうすると、赤蜂も、「自分もこういう狭いところではね、自分の思うままの仕事ができない。」と言うことで、移ってこられたが、やっぱり波照間におられた時分から何か、ライバル同士だったんじゃないかと思うさあね。だから、同じ石垣島に行ってもね、同じ部落にはおらずに、「自分は大浜(おおはま)がいい。大浜部落に住む。」と言われたって。だから、現在の空港の北側にオヤケ赤蜂の住んでおって、石垣が積まれた屋敷があるんですよ。だから、「空港伸ばそうとしてもこれは文化財に指定されているから壊せない。」って言ってね、新空港問題はその件も加わったんですよ。ですから、このオヤケ赤蜂は大浜に住んで、「大浜の部落をもっと良くしよう。」と言うことで、大変大浜の部落の発展に尽くされたから、「オヤケ赤蜂は功労者だ。」と言って、功名を頂いておるということは、よく聞きますがね。どういう功績かというとそれは、赤蜂と長田大主との争いね。この争いは、長田大主が、「僕が政治をとるんだ。」と言うと、オヤケ赤蜂は、「いやあ、お前には任せられん。僕がとるんだ。」と言って長田大主と赤蜂が争ったとき、長田大主の妹に真乙姥(ま いつば)と姑乙姥(く いつば)がいて、長田大主は、その姑乙姥(く いつば)を赤蜂の嫁さんに縁組みしておった。赤蜂の味方が、三〇〇人からね、五、六〇〇人ぐらいなったから、赤蜂はね、「どうしても長田大主を倒さないと自分の世にならない。」と言うことで、長田大主を攻めたら、長田大主は追い詰められて、一番最初は新川の自然の家の上にタケノツヅ山という高い山があるでしょ。それの上に真乙姥と一緒に登って見とったらね、赤蜂が兄を征伐しようとして、「どうしても今日征伐する。」と言っているから、姑乙姥(く いつば)は、「放っておっくのは、いけない。」と言うことでね、兄の心配をして来たらしいんだよ。長田大主は状況を見ておって大浜から赤蜂が軍勢を連れて来るのか、一人で来るのかと見ていたらね、士族の人が着ける白い袴を着けて姑乙姥が登って来たからね、長田大主が、「お前何しにきたか。」と聞くと、姑乙姥は、「いや、兄さんの心配をして来ました。」と言うと、長田大主は、「いやあ、僕の心配する必要はない。お前は向こうのいいなづけになっておるんだからね、早く行きなさい。」と追っ払ったと。「じゃあ、兄さん行くよ。」と行ったらしい。姑乙姥が行くのを山の上から見ていたらね、走って自分の好きな赤蜂のところに飛んで行くのを見てね、長田大主は、真乙姥に、「ああ、姑乙姥はいらんことをした。これは姑乙姥が行ってすぐ赤蜂に報告するからすぐ赤蜂は捜しに来るはずだ。」と思ったから、長田大主は、西表(いりおもて)に渡ろうと思って崎枝部落に逃げて行ったらね、掘っ建て小屋に婆さんが一人でいったって。そういう仕切りのない掘っ建て小屋は、大工に頼まないで、皆で共同で穴掘って柱を立てて作るから穴堀(あなぶり)り屋(やー)と言うさあね。長田大主は、「実はこうこうでね、追い詰められておるから、僕を匿って下さい。」と婆さんに言ったらね、この婆さんは、「ああ、あんたのおっしゃることはね、よく分かりますが、ご覧のとおり家には仕切りもない家で、隠れる場所はありません。」と言うからね、「いや、もうすぐは来るのは間違いないからね、何とか匿ってください。」と言うと、この婆さんはね、「それじゃあ、わかりました。」と言って、ちょうどお昼の食事を作っていたそうだ。昔の竈(かまど)は土間に石を三つ置いてね、その上に釜を置いて炊くでしょ。女の知恵っていうのはね、素晴らしいんだとあれからいわれているんだがね。この婆さんはね、せっかく半分炊きしてる鍋を下ろして、鍋も火も石もね、全部退けてよ、そこの土を人間が入れるぐらい一メーター五〇掘って、長田大主に、「そこに入って座っていて下さい。苦しくても我慢して下さいよ。」と言って置いてよ、そしてその上に洗濯する木の盥(たらい)を置いて隠して、それの上に土を置き、そしてきれいにして石置いた上に釜を置いて火を炊いておいたそうだ。そしたら案の定、この赤蜂が来たんだと。「はいはい、今ここにね、男の人を追い詰めて来たがどこに行ったか。僕はここに来たと勘づいて来たんだけど。」と言ったら、婆さんは、「ああ、分かりません。ご覧のとおり、家には何にも隠れ場所もありません。」って言っているから、赤蜂は、そこに立ってね、ずっとこうして目をつぶっておったって。何を言うかと思ったら、「一番上は土(つち)、木(き)、火(ぴー)、金(かに)、水(みず)、ああ、これは土の底にいるからもう命はないんだ。」と言って赤蜂は、あきらめて帰ったって。その言葉はね、合っておるんだね。一番上は土を置いたでしょ。その下は盥(たらい)を置いたから木。その上に火を燃やして火(ぴー)、鍋を置いたから金(かに)、鍋の中は水だから水(みず)水でしょ。赤蜂はそれだけ勘が優れておったというんですよね。それでね、赤蜂がようやく帰ったもんだから、婆さんはまた元通りにやって長田大主を引き出してね、「とう、帰りましたから心配ない。今のうちにね、すぐ逃げてください。」と言って長田大主を逃がした。婆さんのことをアーパって言うんですね。ですから、崎枝のアーパは歳をとっておられてもいざというときの勘ていうのは非常に強いから、女ていうのはね、馬鹿にするもんじゃないと、「女(みどぅん)の急考(あたかんがえ)や強(つよ)さん。」と今でも言われておるさ。長田大主はそこから屋良部崎(や ら ぶざき)に行って、屋良部崎の芭蕉(ばしょう)を倒して筏(いかだ)みたいなのを作ってね、それに乗って西表に渡られたって。そして西表で船を用意させて那覇に行って首里王にお願いしたということですよ。
首里王様はその争いを聞いて、長田大主は士族に生まれで、赤蜂は平民に生まれで、そのころは平民と士族の間の差別が非常にひどかったから、その関係で首里王は、士族生まれの長田大主に、「農民に任せるとはできない。平民の赤蜂は信じられないから、それじゃあ、お前が政治をこれをしなさい。」と、那覇から軍勢を送って赤蜂を征伐しに来たという話なんですよ。赤蜂が攻められた時は、赤蜂は海岸に甕を三〇か四〇ぐらい並べて置いて、甕の耳に松明(たいまつ)をくくってね、火をつけて置いたって。それを見てね、首里の軍は、そこから上陸できないと思ったから、沢山の筏(いかだ)に竹を積んで、それを流したから赤蜂は、「とう、首里から軍隊が入って来るんだ。これは逃げるほかない。」と言って、裏地区に逃げたらしいんです。それで、とうとう赤蜂は、ずっと先の向こうにある底原(すくばる)の底原御嶽(すくばるお
ん)にとうとう追い詰められて、オヤケ赤蜂は向こうでやられたという話なんですけどね。この赤蜂が殺されたから、長田大主は無事八重山に那覇から着いたという。赤蜂はね、今の歴史を研究している人達の八重山歴史の本にはね、赤蜂の思想は大変良かったようなことが書いてありますね。だから、オヤケ赤蜂が八重山の政治をやった方が良かったんじゃないかということいろいろ書いてありますよ。真乙姥は長田大主と一緒になってオヤケ赤蜂を倒したから、真乙姥御嶽に祀れていますよ。真乙姥の妹の姑乙姥は、真乙姥御嶽の入口の門の向かって左側の一メートルぐらいの所で石垣が積まれているからその側に墓があって、「ここは姑乙姥の墓だよ。」と言うから、「何でそこに墓があるですか。」と聞くと、「これはね、兄弟のうちでもね、姑乙姥も実は赤蜂の妻になったばかりのときは、兄の言葉を大事にしてね、連絡もしょっちゅうしておったのだが、後で何で報告もしなくなったから、裏切ったと言うことが分かるようになったんだ。兄貴の長田大主を赤蜂に殺させようとした気持ちが許せない。だから、真乙姥と一緒のところに墓を造って、豊年祭のときに皆に踏ましたわけ。」という話を聞いたわけさあね。それで、長田大主の子孫がね、豊年祭のときに、姑乙姥の頭をみんなに踏ましておきなさいという意味からね、そうしたんです。僕なんか小学校時代にこの豊年祭を皆で見にいくでしょ。行ったらね、石台があったからその石台の上に登って見たさあね。後で聞いたら、その石台が姑乙姥の墓で、みんなが踏むようにということで、墓の上に石台を作ったっていうことをおっしゃったさあね。ところが、そのあとで長田大主の子孫が、「いや、そうじゃない。姑乙姥もうちの家族であるからね、それではいけない。」と言って、後で、大浜からの頼みで、赤蜂の墓に姑乙姥を一緒に埋葬しているわけさ。埋葬って言っても、何百年前のことだから、みんな崩れてもう土になっておるから、遺骨はないわけさあね。そこの土は持って行ったんです。
| レコード番号 | 47O341057 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C080 |
| 決定題名 | オヤケ赤蜂(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 玉代勢長伝 |
| 話者名かな | たまよせちょうでん |
| 生年月日 | 19171028 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字石垣 |
| 記録日 | 19980907 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市石垣 T35 A09-B01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | オヤケ赤蜂,長田大主,波照間,網部落,ライバル同士,石垣島,大浜,屋敷,文化財,争い,妹,真乙姥,姑乙姥,嫁,タケノツヅ山,征伐,西表,崎枝部落,婆さん,穴堀り屋,隠れる場所,土,木,火,水,アーパ,屋良部崎,芭蕉,筏,那覇,首里王,士族,平民,差別,軍勢,甕,松明,底原御嶽,追い詰められて,真乙姥御嶽,墓,豊年祭,踏ました |
| 梗概(こうがい) | オヤケ赤蜂と長田大主(なーたふーじ)の二人は、もともと波照間(は てるま)出身ですがら、波照間には今でも長田大主(なーたふーじ)の屋敷があって、碑も建ってますよ。また東の網部落(あみぶらく)にはオヤケ赤蜂の碑が建ってるんですよ。話を聞けば長田大主は、「いや、ここでは自分の思うことが見つけられない。」と言うことでね、石垣(いしがき)に移って来られたさ。そうすると、赤蜂も、「自分もこういう狭いところではね、自分の思うままの仕事ができない。」と言うことで、移ってこられたが、やっぱり波照間におられた時分から何か、ライバル同士だったんじゃないかと思うさあね。だから、同じ石垣島に行ってもね、同じ部落にはおらずに、「自分は大浜(おおはま)がいい。大浜部落に住む。」と言われたって。だから、現在の空港の北側にオヤケ赤蜂の住んでおって、石垣が積まれた屋敷があるんですよ。だから、「空港伸ばそうとしてもこれは文化財に指定されているから壊せない。」って言ってね、新空港問題はその件も加わったんですよ。ですから、このオヤケ赤蜂は大浜に住んで、「大浜の部落をもっと良くしよう。」と言うことで、大変大浜の部落の発展に尽くされたから、「オヤケ赤蜂は功労者だ。」と言って、功名を頂いておるということは、よく聞きますがね。どういう功績かというとそれは、赤蜂と長田大主との争いね。この争いは、長田大主が、「僕が政治をとるんだ。」と言うと、オヤケ赤蜂は、「いやあ、お前には任せられん。僕がとるんだ。」と言って長田大主と赤蜂が争ったとき、長田大主の妹に真乙姥(ま いつば)と姑乙姥(く いつば)がいて、長田大主は、その姑乙姥(く いつば)を赤蜂の嫁さんに縁組みしておった。赤蜂の味方が、三〇〇人からね、五、六〇〇人ぐらいなったから、赤蜂はね、「どうしても長田大主を倒さないと自分の世にならない。」と言うことで、長田大主を攻めたら、長田大主は追い詰められて、一番最初は新川の自然の家の上にタケノツヅ山という高い山があるでしょ。それの上に真乙姥と一緒に登って見とったらね、赤蜂が兄を征伐しようとして、「どうしても今日征伐する。」と言っているから、姑乙姥(く いつば)は、「放っておっくのは、いけない。」と言うことでね、兄の心配をして来たらしいんだよ。長田大主は状況を見ておって大浜から赤蜂が軍勢を連れて来るのか、一人で来るのかと見ていたらね、士族の人が着ける白い袴を着けて姑乙姥が登って来たからね、長田大主が、「お前何しにきたか。」と聞くと、姑乙姥は、「いや、兄さんの心配をして来ました。」と言うと、長田大主は、「いやあ、僕の心配する必要はない。お前は向こうのいいなづけになっておるんだからね、早く行きなさい。」と追っ払ったと。「じゃあ、兄さん行くよ。」と行ったらしい。姑乙姥が行くのを山の上から見ていたらね、走って自分の好きな赤蜂のところに飛んで行くのを見てね、長田大主は、真乙姥に、「ああ、姑乙姥はいらんことをした。これは姑乙姥が行ってすぐ赤蜂に報告するからすぐ赤蜂は捜しに来るはずだ。」と思ったから、長田大主は、西表(いりおもて)に渡ろうと思って崎枝部落に逃げて行ったらね、掘っ建て小屋に婆さんが一人でいったって。そういう仕切りのない掘っ建て小屋は、大工に頼まないで、皆で共同で穴掘って柱を立てて作るから穴堀(あなぶり)り屋(やー)と言うさあね。長田大主は、「実はこうこうでね、追い詰められておるから、僕を匿って下さい。」と婆さんに言ったらね、この婆さんは、「ああ、あんたのおっしゃることはね、よく分かりますが、ご覧のとおり家には仕切りもない家で、隠れる場所はありません。」と言うからね、「いや、もうすぐは来るのは間違いないからね、何とか匿ってください。」と言うと、この婆さんはね、「それじゃあ、わかりました。」と言って、ちょうどお昼の食事を作っていたそうだ。昔の竈(かまど)は土間に石を三つ置いてね、その上に釜を置いて炊くでしょ。女の知恵っていうのはね、素晴らしいんだとあれからいわれているんだがね。この婆さんはね、せっかく半分炊きしてる鍋を下ろして、鍋も火も石もね、全部退けてよ、そこの土を人間が入れるぐらい一メーター五〇掘って、長田大主に、「そこに入って座っていて下さい。苦しくても我慢して下さいよ。」と言って置いてよ、そしてその上に洗濯する木の盥(たらい)を置いて隠して、それの上に土を置き、そしてきれいにして石置いた上に釜を置いて火を炊いておいたそうだ。そしたら案の定、この赤蜂が来たんだと。「はいはい、今ここにね、男の人を追い詰めて来たがどこに行ったか。僕はここに来たと勘づいて来たんだけど。」と言ったら、婆さんは、「ああ、分かりません。ご覧のとおり、家には何にも隠れ場所もありません。」って言っているから、赤蜂は、そこに立ってね、ずっとこうして目をつぶっておったって。何を言うかと思ったら、「一番上は土(つち)、木(き)、火(ぴー)、金(かに)、水(みず)、ああ、これは土の底にいるからもう命はないんだ。」と言って赤蜂は、あきらめて帰ったって。その言葉はね、合っておるんだね。一番上は土を置いたでしょ。その下は盥(たらい)を置いたから木。その上に火を燃やして火(ぴー)、鍋を置いたから金(かに)、鍋の中は水だから水(みず)水でしょ。赤蜂はそれだけ勘が優れておったというんですよね。それでね、赤蜂がようやく帰ったもんだから、婆さんはまた元通りにやって長田大主を引き出してね、「とう、帰りましたから心配ない。今のうちにね、すぐ逃げてください。」と言って長田大主を逃がした。婆さんのことをアーパって言うんですね。ですから、崎枝のアーパは歳をとっておられてもいざというときの勘ていうのは非常に強いから、女ていうのはね、馬鹿にするもんじゃないと、「女(みどぅん)の急考(あたかんがえ)や強(つよ)さん。」と今でも言われておるさ。長田大主はそこから屋良部崎(や ら ぶざき)に行って、屋良部崎の芭蕉(ばしょう)を倒して筏(いかだ)みたいなのを作ってね、それに乗って西表に渡られたって。そして西表で船を用意させて那覇に行って首里王にお願いしたということですよ。 首里王様はその争いを聞いて、長田大主は士族に生まれで、赤蜂は平民に生まれで、そのころは平民と士族の間の差別が非常にひどかったから、その関係で首里王は、士族生まれの長田大主に、「農民に任せるとはできない。平民の赤蜂は信じられないから、それじゃあ、お前が政治をこれをしなさい。」と、那覇から軍勢を送って赤蜂を征伐しに来たという話なんですよ。赤蜂が攻められた時は、赤蜂は海岸に甕を三〇か四〇ぐらい並べて置いて、甕の耳に松明(たいまつ)をくくってね、火をつけて置いたって。それを見てね、首里の軍は、そこから上陸できないと思ったから、沢山の筏(いかだ)に竹を積んで、それを流したから赤蜂は、「とう、首里から軍隊が入って来るんだ。これは逃げるほかない。」と言って、裏地区に逃げたらしいんです。それで、とうとう赤蜂は、ずっと先の向こうにある底原(すくばる)の底原御嶽(すくばるお ん)にとうとう追い詰められて、オヤケ赤蜂は向こうでやられたという話なんですけどね。この赤蜂が殺されたから、長田大主は無事八重山に那覇から着いたという。赤蜂はね、今の歴史を研究している人達の八重山歴史の本にはね、赤蜂の思想は大変良かったようなことが書いてありますね。だから、オヤケ赤蜂が八重山の政治をやった方が良かったんじゃないかということいろいろ書いてありますよ。真乙姥は長田大主と一緒になってオヤケ赤蜂を倒したから、真乙姥御嶽に祀れていますよ。真乙姥の妹の姑乙姥は、真乙姥御嶽の入口の門の向かって左側の一メートルぐらいの所で石垣が積まれているからその側に墓があって、「ここは姑乙姥の墓だよ。」と言うから、「何でそこに墓があるですか。」と聞くと、「これはね、兄弟のうちでもね、姑乙姥も実は赤蜂の妻になったばかりのときは、兄の言葉を大事にしてね、連絡もしょっちゅうしておったのだが、後で何で報告もしなくなったから、裏切ったと言うことが分かるようになったんだ。兄貴の長田大主を赤蜂に殺させようとした気持ちが許せない。だから、真乙姥と一緒のところに墓を造って、豊年祭のときに皆に踏ましたわけ。」という話を聞いたわけさあね。それで、長田大主の子孫がね、豊年祭のときに、姑乙姥の頭をみんなに踏ましておきなさいという意味からね、そうしたんです。僕なんか小学校時代にこの豊年祭を皆で見にいくでしょ。行ったらね、石台があったからその石台の上に登って見たさあね。後で聞いたら、その石台が姑乙姥の墓で、みんなが踏むようにということで、墓の上に石台を作ったっていうことをおっしゃったさあね。ところが、そのあとで長田大主の子孫が、「いや、そうじゃない。姑乙姥もうちの家族であるからね、それではいけない。」と言って、後で、大浜からの頼みで、赤蜂の墓に姑乙姥を一緒に埋葬しているわけさ。埋葬って言っても、何百年前のことだから、みんな崩れてもう土になっておるから、遺骨はないわけさあね。そこの土は持って行ったんです。 |
| 全体の記録時間数 | 17:04 |
| 物語の時間数 | 16:57 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |