
昔、この島にハンナー主いう大地主がいた。この人はカラ岳の西側の大里(おおざと)て言うところに、一区切りで三反のピトゥガラダーという大きな田んぼがあったから、そこに、「田草を取ってこい。」と人夫を行かしたら、人夫はあまり大きな田んぼなもんだから真ん中の方に入らないで、周囲だけ作業をして、「はい、田草を取ってきました。」と言うと、ハンナー主は家に座ってるけど、「ああい、もうお前らはまだ全部やってない。明日も行ってその田圃の田草を取ってきなさい。」と言って追い返した。明くる日は、人夫たちが仕事をやって帰ってきたときは、酔っぱらって帰ってきて、「はい、もう終わりました。」とこの人夫の連中が言うと、「それじゃあ、間違いなくお前ら無事に終わったんだ。」と言ったというんです。ハンナー主は家に座っておって、どうしてその田んぼの田草取りが終わったのが分かったかというと、田草を取らせる前に、田んぼの真ん中に酒甕を入れておいて、周囲だけ人夫の連中が草を取っているときには、酒甕があるのが分からないから、酔っぱらわないで帰って来るから、終わっていないことが分かる。ところが、真ん中まで草を取ると、そこで、人夫の連中は酒甕見つけて、「おお、ここにもう酒がある。」とそれを飲んで酔っぱらって帰って来るから、終わったのが分かったということだ。ハンナー主は、これほどの逸話が残すぐらいの田を持っておったから、八重山一の富豪で、「ハンナー主のシラ〔稲叢〕は新川のフツクンニという小さい山とどっちが大きいか分かるか。」と言われるほど、刈った稲を積んで干したシラは大きかった。そのハンナー主が亡くなったとき、墓は石城村に作られたが、その葬式をやるとき、通る道には白米を敷いてその上を歩いてもらって葬式にやったそうだ。このハンナー主は、死ぬときに、「自分が死んだら洗骨なんかはしないでいいから、洞穴に放ってくれ。」と言ったので、向こうの洞穴に棺を縄でくくってすうっとこう流してやったっていう。その葬式のときに敷いたお米はみんな雀が来て食べてしまったから、何にも人間には残らなかった。しかし、長田大主(なーたふーじ)という人の墓は、バンナ岳の前にあるが、その長田大主の葬式の場合は、家から墓まで全部稲を稲叢で乾燥させて積んだのを墓まで敷いたから、葬式の後は、その敷いてあった稲を貧乏者が一束持って行く者も、二束持って行く者もあって、みんな持ってって人間が食べたから、長田大主は子孫を繁栄したけれども、ハンナー主はもう子孫がいないというよ。
| レコード番号 | 47O341022 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C077 |
| 決定題名 | ハンナー主と長田大主(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 石垣稔 |
| 話者名かな | いしがきみのる |
| 生年月日 | 19090105 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字石垣 |
| 記録日 | 19980314 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市石垣 T32 A07-B01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 八重山諸島民話集 P191 |
| キーワード | ハンナー主,大地主,カラ岳,大里,三反,ピトゥガラダー,田んぼ,人夫,田草,酔っぱらって,酒甕,富豪,シラ,フツクンニ,石城村,葬式,白米,洗骨,洞穴,雀,長田大主,稲叢,貧乏者,子孫,繁栄 |
| 梗概(こうがい) | 昔、この島にハンナー主いう大地主がいた。この人はカラ岳の西側の大里(おおざと)て言うところに、一区切りで三反のピトゥガラダーという大きな田んぼがあったから、そこに、「田草を取ってこい。」と人夫を行かしたら、人夫はあまり大きな田んぼなもんだから真ん中の方に入らないで、周囲だけ作業をして、「はい、田草を取ってきました。」と言うと、ハンナー主は家に座ってるけど、「ああい、もうお前らはまだ全部やってない。明日も行ってその田圃の田草を取ってきなさい。」と言って追い返した。明くる日は、人夫たちが仕事をやって帰ってきたときは、酔っぱらって帰ってきて、「はい、もう終わりました。」とこの人夫の連中が言うと、「それじゃあ、間違いなくお前ら無事に終わったんだ。」と言ったというんです。ハンナー主は家に座っておって、どうしてその田んぼの田草取りが終わったのが分かったかというと、田草を取らせる前に、田んぼの真ん中に酒甕を入れておいて、周囲だけ人夫の連中が草を取っているときには、酒甕があるのが分からないから、酔っぱらわないで帰って来るから、終わっていないことが分かる。ところが、真ん中まで草を取ると、そこで、人夫の連中は酒甕見つけて、「おお、ここにもう酒がある。」とそれを飲んで酔っぱらって帰って来るから、終わったのが分かったということだ。ハンナー主は、これほどの逸話が残すぐらいの田を持っておったから、八重山一の富豪で、「ハンナー主のシラ〔稲叢〕は新川のフツクンニという小さい山とどっちが大きいか分かるか。」と言われるほど、刈った稲を積んで干したシラは大きかった。そのハンナー主が亡くなったとき、墓は石城村に作られたが、その葬式をやるとき、通る道には白米を敷いてその上を歩いてもらって葬式にやったそうだ。このハンナー主は、死ぬときに、「自分が死んだら洗骨なんかはしないでいいから、洞穴に放ってくれ。」と言ったので、向こうの洞穴に棺を縄でくくってすうっとこう流してやったっていう。その葬式のときに敷いたお米はみんな雀が来て食べてしまったから、何にも人間には残らなかった。しかし、長田大主(なーたふーじ)という人の墓は、バンナ岳の前にあるが、その長田大主の葬式の場合は、家から墓まで全部稲を稲叢で乾燥させて積んだのを墓まで敷いたから、葬式の後は、その敷いてあった稲を貧乏者が一束持って行く者も、二束持って行く者もあって、みんな持ってって人間が食べたから、長田大主は子孫を繁栄したけれども、ハンナー主はもう子孫がいないというよ。 |
| 全体の記録時間数 | 10:25 |
| 物語の時間数 | 10:08 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |