赤馬節由来(共通語)

概要

これは石垣小学校の東に竹島(たけしま)と言う苗字の家があるんですよね。そこの家の次男か三男か分かりませんが宮良(みやら)の大城と言うところに養子に行ったから、大城師番(おおしろしーばん)と言う名前がついたんです。そこの、大城師番(おおしろしばん)と言う人は、川平湾(かびらわん)の川平湾の手前に大橋がありますね。大橋を渡って行ったらそこの地名は後良川(し い ら)と言う。その後良川やケーラ崎を越えて行った裏地区のウネと言うところに牧を持っておられたらしいんです。それで、しょっちゅう川平牧(かぴらまき)に馬に乗って行っておられたんですけれども、ある日のこと、大城師番(おおしろしばん)は向こうから帰ってくるときに、普通は潮が満つと潮のかからないところを通るんだけれども、潮が引いていたもんだからね、「潮が引くときはこっちが近道だ。」と言って、名蔵湾(なぐらわん)の浅瀬を利用して名蔵大橋(なぐらおおはし)まで馬に乗って来るんですね。その近道を来られたときに沖の方から小さな動物が来るから、大城師番(おおしろしばん)は犬かと思っていたらどんどん近づいて来た。それが子馬だったらしいんですよ。それがどんどん走って来てね、自分の馬の後ろをついて来るから、大城師番(しけしましーばん)は、「おかしいな、この自分の乗っている馬を母親と思って来たのかな。」と馬を止めて後ろを見ると、その子馬もまた止まってあたりを眺めておる。そしてまた自分の行けば、その子馬がついて来る。ですからこれは普通の馬じゃなかったと言うわけですよね。必ずこの優れたこの人じゃないと自分は育たないと言う思いで来たのでしょうかね。いくら追っ払ってもついて来るもんだからね、「これはおかしい馬だな。」と思ったが、飼い主(ぬし)が誰とも分からん、子馬の裸馬(はだかんま)だから、大城師番(おおしろしばん)は、そのまま宮良の家まで来られたら、その子馬は家までずっとついてきたんだよ。「これは普通の馬じゃない。一応主が出てくるまでは私が預かろう。」と言って、家で大事に養っておった。この馬が毛の赤い毛の馬で、赤馬(あかんま)と言う名前がついてないかな。ところが主が名乗り出ないでいるうちにこの馬がね、どんどん成長して大変歩きの優れた馬になったそうだ。馬にはこうよくきれいに歩く馬と飛んで早く歩く馬といろいろおるんですよね。この赤馬は、この師番て言う人の言うことよく聞いてね、乗っても非常に気持ちのいい馬だから、「石垣島の宮良島に結局赤毛の馬がおる。とてもこの赤馬は利口な馬でね、足も早いしとての素晴らしい馬だ。」と評判になったそうだ。それが首里の王様の耳に入ったから、首里王から、「八重山に素晴らしい赤馬がいると評判がある。その赤馬を連れて来なさい。」という命令でね、役人が赤馬を連れに来たんだと。その役人が宮良に訪ねて来て、相談をしたんですよね。あの当時はこの首里王の命令は強制で絶対服従ですからね、この宮良の大城師番(おおしろしばん)という人は、首里王のおっしゃることには嫌とは言えないからね、「そういうふうに望んでおられるなら、どうぞ喜んでお上げします。」と言うことで、赤馬を大城師番(おおしろしばん)ではなく首里の役人が馬艦船(まーらんせん)に載せて連れて行ったらしいんですよね。ところが首里王様のところに連れて行って、一応馬小屋に入れておいて、「はい、もうこの馬です。」と言ってこの首里王に言ったら、「なかなか毛も赤くて大変きれいな馬だな。じゃあ、その馬の師匠は、馬を養っている馬使いに鞍を掛けさせて、試しにその歩いてごらん。」と言うから、馬使いが鞍を掛けるつもり馬小屋に行ったら、赤馬が暴れて絶対に近づけなかったって。どうしても近づけられないもんだからしばらく様子を見て、時間をおいて別な人が行っても絶対に近づけない。それで、首里王はもう赤馬を見るのを待っているから、とうとう、「王様にどうなったかと聞かれたら返事に困るから、前もって言うた方がいい。」と言うことで、首里王にね、「実は、お目にかけようと思って、ちゃんと鞍も準備して朝から馬小屋に行ってこの馬を出そうとしたら、脚で蹴ったり、噛みついたりして暴れてね、もうとっても手の付けようがないので、大変悩んでおりますが、どうしますか。」と言うもんだから、王様は、馬の役は、「お前ら馬使いだから出せなかったら、どういうふうにして出すか方法考えて出しなさい。そのぐらいのことが分からんか。」と上からは攻められるから、何回も何回もやったけど、赤馬が前脚立ちで暴れて、どうしてもできないもんだから、「これどうしても出せません。」と言うたらしいんですね。そしたら、王様は、「その赤馬の飼い主を連れて来なさい。」と言うから、また使いが首里から船で八重山に来たそうだ。大城師番(しけしましーばん)に、「あんたのところから、王様が大変お気に召すかと思って連れて行ったら、あの馬は暴れていて馬小屋から出されない。だから、王様は主を連れて来いとおっしゃいましたからね、どうぞ一緒に来て下さい。」と言うから、大城師番(おおしろしばん)はびっくりしてね、「自分が暴れ馬を出したと思われておるのだから、行ったら死刑にされることは間違いない。」と思ってね、家では家族そろって水杯をして、今赤馬の像がある宮良の坂の方では、「悪魔のような馬だと分かりながら、首里にやったんじゃないかと自分はこの馬のために向こうで処刑されるから二度とここには帰ってこれないんだ。」と親戚と別れの水盃をしてね、首里に行ったと。大城師番(おおしろしばん)は首里に着いて馬小屋に行ったらね、馬は大城師番(おおしろしばん)をちょっと見て、格好や匂いでわかったのかね、「モウウッ、んふぇー、んふぇー。」と大変喜んでいるからね、「お前は上様にお上げしたのにどうしてそんなに暴れているのか。こうして僕はわざわざ呼ばれて来たんだから、暴れたりしないで、ちゃんと自分の勤めをするようにしなさい。」と撫でてやっていたら、その側におる役人が、「僕なんかはこの馬を出されんから、一応ここから出して乗ってみてください。」と言うから、「そうですか。」と言ってね、大城師番(おおしろしばん)は赤馬に鞍を掛けて出して、そこのきれいな道を歩いたところが、湯飲みに水いっぱい入れて乗って歩いてもね、絶対こぼれんぐらいにこう脚がきれいに運ぶから、首里王はね、上からこう見てね、「うん。これは主と人を分けておるんだな。この馬は主以外には使えないから主に返しなさい。」と言うことで、大城師番(おおしろしばん)に、「この馬はね、ここの置く必要はない。これはどうしても主を自分の親みたいに思っとるんだから、お前以外には使えないから、連れて帰りなさい。」と言うことで、大変打ち首だと心配しておったら逆に、お褒めの言葉をもらって馬を連れて帰ってきたから、家族はもらろん村じゅう大変な喜びでね、お祝いをしたと。そのお祝いのときの歌があってね、「今日の日のいらさにしゃ、黄金日(くがぬひ)のさにしゃ。」と歌を詠んだ。「いら、さにしや」と言うのは「これ以上の嬉しいことはない」と言う意味でね、だから、この赤馬節(あかんまぶし)の歌詞は喜びの歌なんです。それで、必ずお祝いの座敷には、必ずこれをまず最初にやることになったんだと言うことを、私も自分の師匠や先輩の老人から聞かされていて、また、三線(さんしん)を習う人には、「これは嘉例(か り)の歌だからね、音楽する人はまずこれを覚えなさいよ。」とおっしゃいました。それで、今でも僕なんかは、「お祝いの座敷は、まずこれをしなさい。」と自分の弟子に教えています。だから、「この赤馬は宮良の大変な誇りだ。」と言うてね、坂でね、高台になってる坂の上でずっと見える赤馬の見送りをした場所に、赤馬の像も作ってあるでしょ。あの赤馬の像は、「ここはお別れの場所で、また戻ってきたところだ。」と言ってね、作ったんですよ。めでたい伝説でね。節(しつ)お祝いとかね、七三とか八五とかの生年祝(うまりどしいわ)いの座敷では、必ず子や孫がお祝いの余興としてね、必ずまず最初にやるのが赤馬節(あかんまぶし)なんです。

再生時間:9:30

民話詳細DATA

レコード番号 47O341005
CD番号 47O34C076
決定題名 赤馬節由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 玉代勢長伝
話者名かな たまよせちょうでん
生年月日 19171028
性別
出身地 沖縄県石垣市字石垣
記録日 19980314
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市石垣 T31 A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 12,20,60
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 竹島,宮良,大城師番,川平湾,後良川,ケーラ崎,川平牧,潮,名蔵大橋,子馬,飼い主,裸馬,大事に養って,赤い毛,赤馬,優れた馬,評判,首里の王様,八重山,命令,絶対服従,馬艦船,暴れて,馬の役,暴れ馬,死刑,水杯,お祝い,歌,喜びの歌,三線,嘉例の歌,赤馬の像,伝説,節,七三,八五,生年祝い,赤馬節
梗概(こうがい) これは石垣小学校の東に竹島(たけしま)と言う苗字の家があるんですよね。そこの家の次男か三男か分かりませんが宮良(みやら)の大城と言うところに養子に行ったから、大城師番(おおしろしーばん)と言う名前がついたんです。そこの、大城師番(おおしろしばん)と言う人は、川平湾(かびらわん)の川平湾の手前に大橋がありますね。大橋を渡って行ったらそこの地名は後良川(し い ら)と言う。その後良川やケーラ崎を越えて行った裏地区のウネと言うところに牧を持っておられたらしいんです。それで、しょっちゅう川平牧(かぴらまき)に馬に乗って行っておられたんですけれども、ある日のこと、大城師番(おおしろしばん)は向こうから帰ってくるときに、普通は潮が満つと潮のかからないところを通るんだけれども、潮が引いていたもんだからね、「潮が引くときはこっちが近道だ。」と言って、名蔵湾(なぐらわん)の浅瀬を利用して名蔵大橋(なぐらおおはし)まで馬に乗って来るんですね。その近道を来られたときに沖の方から小さな動物が来るから、大城師番(おおしろしばん)は犬かと思っていたらどんどん近づいて来た。それが子馬だったらしいんですよ。それがどんどん走って来てね、自分の馬の後ろをついて来るから、大城師番(しけしましーばん)は、「おかしいな、この自分の乗っている馬を母親と思って来たのかな。」と馬を止めて後ろを見ると、その子馬もまた止まってあたりを眺めておる。そしてまた自分の行けば、その子馬がついて来る。ですからこれは普通の馬じゃなかったと言うわけですよね。必ずこの優れたこの人じゃないと自分は育たないと言う思いで来たのでしょうかね。いくら追っ払ってもついて来るもんだからね、「これはおかしい馬だな。」と思ったが、飼い主(ぬし)が誰とも分からん、子馬の裸馬(はだかんま)だから、大城師番(おおしろしばん)は、そのまま宮良の家まで来られたら、その子馬は家までずっとついてきたんだよ。「これは普通の馬じゃない。一応主が出てくるまでは私が預かろう。」と言って、家で大事に養っておった。この馬が毛の赤い毛の馬で、赤馬(あかんま)と言う名前がついてないかな。ところが主が名乗り出ないでいるうちにこの馬がね、どんどん成長して大変歩きの優れた馬になったそうだ。馬にはこうよくきれいに歩く馬と飛んで早く歩く馬といろいろおるんですよね。この赤馬は、この師番て言う人の言うことよく聞いてね、乗っても非常に気持ちのいい馬だから、「石垣島の宮良島に結局赤毛の馬がおる。とてもこの赤馬は利口な馬でね、足も早いしとての素晴らしい馬だ。」と評判になったそうだ。それが首里の王様の耳に入ったから、首里王から、「八重山に素晴らしい赤馬がいると評判がある。その赤馬を連れて来なさい。」という命令でね、役人が赤馬を連れに来たんだと。その役人が宮良に訪ねて来て、相談をしたんですよね。あの当時はこの首里王の命令は強制で絶対服従ですからね、この宮良の大城師番(おおしろしばん)という人は、首里王のおっしゃることには嫌とは言えないからね、「そういうふうに望んでおられるなら、どうぞ喜んでお上げします。」と言うことで、赤馬を大城師番(おおしろしばん)ではなく首里の役人が馬艦船(まーらんせん)に載せて連れて行ったらしいんですよね。ところが首里王様のところに連れて行って、一応馬小屋に入れておいて、「はい、もうこの馬です。」と言ってこの首里王に言ったら、「なかなか毛も赤くて大変きれいな馬だな。じゃあ、その馬の師匠は、馬を養っている馬使いに鞍を掛けさせて、試しにその歩いてごらん。」と言うから、馬使いが鞍を掛けるつもり馬小屋に行ったら、赤馬が暴れて絶対に近づけなかったって。どうしても近づけられないもんだからしばらく様子を見て、時間をおいて別な人が行っても絶対に近づけない。それで、首里王はもう赤馬を見るのを待っているから、とうとう、「王様にどうなったかと聞かれたら返事に困るから、前もって言うた方がいい。」と言うことで、首里王にね、「実は、お目にかけようと思って、ちゃんと鞍も準備して朝から馬小屋に行ってこの馬を出そうとしたら、脚で蹴ったり、噛みついたりして暴れてね、もうとっても手の付けようがないので、大変悩んでおりますが、どうしますか。」と言うもんだから、王様は、馬の役は、「お前ら馬使いだから出せなかったら、どういうふうにして出すか方法考えて出しなさい。そのぐらいのことが分からんか。」と上からは攻められるから、何回も何回もやったけど、赤馬が前脚立ちで暴れて、どうしてもできないもんだから、「これどうしても出せません。」と言うたらしいんですね。そしたら、王様は、「その赤馬の飼い主を連れて来なさい。」と言うから、また使いが首里から船で八重山に来たそうだ。大城師番(しけしましーばん)に、「あんたのところから、王様が大変お気に召すかと思って連れて行ったら、あの馬は暴れていて馬小屋から出されない。だから、王様は主を連れて来いとおっしゃいましたからね、どうぞ一緒に来て下さい。」と言うから、大城師番(おおしろしばん)はびっくりしてね、「自分が暴れ馬を出したと思われておるのだから、行ったら死刑にされることは間違いない。」と思ってね、家では家族そろって水杯をして、今赤馬の像がある宮良の坂の方では、「悪魔のような馬だと分かりながら、首里にやったんじゃないかと自分はこの馬のために向こうで処刑されるから二度とここには帰ってこれないんだ。」と親戚と別れの水盃をしてね、首里に行ったと。大城師番(おおしろしばん)は首里に着いて馬小屋に行ったらね、馬は大城師番(おおしろしばん)をちょっと見て、格好や匂いでわかったのかね、「モウウッ、んふぇー、んふぇー。」と大変喜んでいるからね、「お前は上様にお上げしたのにどうしてそんなに暴れているのか。こうして僕はわざわざ呼ばれて来たんだから、暴れたりしないで、ちゃんと自分の勤めをするようにしなさい。」と撫でてやっていたら、その側におる役人が、「僕なんかはこの馬を出されんから、一応ここから出して乗ってみてください。」と言うから、「そうですか。」と言ってね、大城師番(おおしろしばん)は赤馬に鞍を掛けて出して、そこのきれいな道を歩いたところが、湯飲みに水いっぱい入れて乗って歩いてもね、絶対こぼれんぐらいにこう脚がきれいに運ぶから、首里王はね、上からこう見てね、「うん。これは主と人を分けておるんだな。この馬は主以外には使えないから主に返しなさい。」と言うことで、大城師番(おおしろしばん)に、「この馬はね、ここの置く必要はない。これはどうしても主を自分の親みたいに思っとるんだから、お前以外には使えないから、連れて帰りなさい。」と言うことで、大変打ち首だと心配しておったら逆に、お褒めの言葉をもらって馬を連れて帰ってきたから、家族はもらろん村じゅう大変な喜びでね、お祝いをしたと。そのお祝いのときの歌があってね、「今日の日のいらさにしゃ、黄金日(くがぬひ)のさにしゃ。」と歌を詠んだ。「いら、さにしや」と言うのは「これ以上の嬉しいことはない」と言う意味でね、だから、この赤馬節(あかんまぶし)の歌詞は喜びの歌なんです。それで、必ずお祝いの座敷には、必ずこれをまず最初にやることになったんだと言うことを、私も自分の師匠や先輩の老人から聞かされていて、また、三線(さんしん)を習う人には、「これは嘉例(か り)の歌だからね、音楽する人はまずこれを覚えなさいよ。」とおっしゃいました。それで、今でも僕なんかは、「お祝いの座敷は、まずこれをしなさい。」と自分の弟子に教えています。だから、「この赤馬は宮良の大変な誇りだ。」と言うてね、坂でね、高台になってる坂の上でずっと見える赤馬の見送りをした場所に、赤馬の像も作ってあるでしょ。あの赤馬の像は、「ここはお別れの場所で、また戻ってきたところだ。」と言ってね、作ったんですよ。めでたい伝説でね。節(しつ)お祝いとかね、七三とか八五とかの生年祝(うまりどしいわ)いの座敷では、必ず子や孫がお祝いの余興としてね、必ずまず最初にやるのが赤馬節(あかんまぶし)なんです。
全体の記録時間数 9:45
物語の時間数 9:30
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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