船浦御嶽由来(共通語)

概要

船浦御嶽は旅の御嶽(おたけ)だからな、今漁業者は皆御願してます。また、航海安全にまた豊漁の願い合わせて健康も願わんといかんから一般の拝む人もやって来ますよ。船着御嶽(ふなつきおたけ)と船浦御嶽(ふなうらおたけ)とちょっと離れてあるんだがね、今こっちでは一応、船浦御嶽(ふなうらおたけ)を龍宮御嶽(りゅうぐうおたけ)と言うわけさあな。あれの司はね、うちの祖母ちゃんなんだよ。最初は祖母ちゃんの夫がね、その前はこっちは全部、糸満の人が住んでいたわけ。その屋敷内に住んでる人がね、何かしら時々いろんな不思議なことがあるらしいから、「これはどうもおかしい。」と、いろんなところを歩いてみたら、こっちの御嶽の社と言うところまで来ると、こっちでいろんな胸中ウワッサするからちょっと居られないから、ちょっとした知らせがあると分かったらしいな。そういってこっちを調べとったのが、大浜ブツウさんて言ううちの祖母ちゃんなんかの祖母ちゃんの夫の人がいて、その人があれもこっちも買って、こっちに今の龍宮御願の御嶽を造ったのさ。そしてこっちでね、爬竜船(はりゅうせん)の場合はね、登野城(と の しろ)の場合も漁民が全部アガリブヤー、イリブヤーと言って、選手なんかもこっちにきて前願いしてね、この祈願をしてから非常に盛大にやっておったさ。それがね、そういうふうにして長らく何十年長らくやっておったんだけどもまたあの祖父ちゃんなんかが祖母ちゃんとも亡くなられたから、今度はまたうちのとこの妹が司になってね、あのときまた台風で家は崩れて僕がまた全部寄付も募って建築して現在になった。そのときから何十年こう拝んでおったけどさ、だけどね、またうちの妹が死んだので、これは主がいないと拝めないから、そのまましておった。ところが、あっちの大浜家の相続人が来て、これが、「御嶽の木を置いちゃいかない。」と言って、御嶽を壊してしまったら、そうやったあと非常に反発ていうものがあってね、あれの妻も急に病気に掛かって死んだから、皆が、「これ神罰だ。」ということで言うておる。これは、親戚だから我々としては言えないわけよ。僕らは今は拝んでもいなし、家もないけど、現在も一般の人が御願していますよ。それに、龍宮御嶽は龍宮御嶽が今はないと言うことで、ちょこっと離れていますが前にある船着御嶽で航海安全と豊漁を拝んでいる人は現在もおりますよ。昔のこの登野城でも鰹節製造しておったんですよ。あのときは、月の一五日とかにはずっと盛大に拝んでおった。爬竜船の場合でも、うちは本家になるから、あっちはまた司なんかも全部集まるから一〇名ぐらいの司が来たんですよ。それの御馳走(ごち そう)もこっちで作ってからやっていた。そういうふうにして盛大にやっとったんだけどもよ、今の爬竜船は漁業組合と市とで一体となって新川のところで今はもっと大きくして盛大にしとるよ。最近では爬竜船は字対抗では、登野城では二組出て、新川からも二組出て、石垣からも出てるね。団体からも出る。外国からも外人が来てから爬竜やっておるよ。また婦人も漕ぐよ。こうして二、三年前から盛大に爬竜船はやっておる。

再生時間:7:53

民話詳細DATA

レコード番号 47O340845
CD番号 47O34C064
決定題名 船浦御嶽由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 上地盛夫
話者名かな うえちもりお
生年月日 19170115
性別
出身地 沖縄県石垣市登野城
記録日 19980312
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市登野城 T09 B11
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 船浦御嶽,旅の御嶽,漁業者,御願,航海安全,船着御嶽,龍宮御嶽,司,糸満の人,不思議,大浜ブツウ,爬竜船,登野城,アガリブヤー,イリブヤー,妹,台風,崩れて,寄付,神罰,鰹節製造,月の一五日,盛大,御馳走,新川,字対抗
梗概(こうがい) 船浦御嶽は旅の御嶽(おたけ)だからな、今漁業者は皆御願してます。また、航海安全にまた豊漁の願い合わせて健康も願わんといかんから一般の拝む人もやって来ますよ。船着御嶽(ふなつきおたけ)と船浦御嶽(ふなうらおたけ)とちょっと離れてあるんだがね、今こっちでは一応、船浦御嶽(ふなうらおたけ)を龍宮御嶽(りゅうぐうおたけ)と言うわけさあな。あれの司はね、うちの祖母ちゃんなんだよ。最初は祖母ちゃんの夫がね、その前はこっちは全部、糸満の人が住んでいたわけ。その屋敷内に住んでる人がね、何かしら時々いろんな不思議なことがあるらしいから、「これはどうもおかしい。」と、いろんなところを歩いてみたら、こっちの御嶽の社と言うところまで来ると、こっちでいろんな胸中ウワッサするからちょっと居られないから、ちょっとした知らせがあると分かったらしいな。そういってこっちを調べとったのが、大浜ブツウさんて言ううちの祖母ちゃんなんかの祖母ちゃんの夫の人がいて、その人があれもこっちも買って、こっちに今の龍宮御願の御嶽を造ったのさ。そしてこっちでね、爬竜船(はりゅうせん)の場合はね、登野城(と の しろ)の場合も漁民が全部アガリブヤー、イリブヤーと言って、選手なんかもこっちにきて前願いしてね、この祈願をしてから非常に盛大にやっておったさ。それがね、そういうふうにして長らく何十年長らくやっておったんだけどもまたあの祖父ちゃんなんかが祖母ちゃんとも亡くなられたから、今度はまたうちのとこの妹が司になってね、あのときまた台風で家は崩れて僕がまた全部寄付も募って建築して現在になった。そのときから何十年こう拝んでおったけどさ、だけどね、またうちの妹が死んだので、これは主がいないと拝めないから、そのまましておった。ところが、あっちの大浜家の相続人が来て、これが、「御嶽の木を置いちゃいかない。」と言って、御嶽を壊してしまったら、そうやったあと非常に反発ていうものがあってね、あれの妻も急に病気に掛かって死んだから、皆が、「これ神罰だ。」ということで言うておる。これは、親戚だから我々としては言えないわけよ。僕らは今は拝んでもいなし、家もないけど、現在も一般の人が御願していますよ。それに、龍宮御嶽は龍宮御嶽が今はないと言うことで、ちょこっと離れていますが前にある船着御嶽で航海安全と豊漁を拝んでいる人は現在もおりますよ。昔のこの登野城でも鰹節製造しておったんですよ。あのときは、月の一五日とかにはずっと盛大に拝んでおった。爬竜船の場合でも、うちは本家になるから、あっちはまた司なんかも全部集まるから一〇名ぐらいの司が来たんですよ。それの御馳走(ごち そう)もこっちで作ってからやっていた。そういうふうにして盛大にやっとったんだけどもよ、今の爬竜船は漁業組合と市とで一体となって新川のところで今はもっと大きくして盛大にしとるよ。最近では爬竜船は字対抗では、登野城では二組出て、新川からも二組出て、石垣からも出てるね。団体からも出る。外国からも外人が来てから爬竜やっておるよ。また婦人も漕ぐよ。こうして二、三年前から盛大に爬竜船はやっておる。
全体の記録時間数 8:10
物語の時間数 7:53
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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