
済州島(さいしゅうとう)から台風に押し流されてね、漂流して来た人達が与那国(よなぐに)で救助されるんです。そのとき皆溺れて死んでしまって、三人だけ奇跡的に生還するわけですよね。その人達は九年間は与那国島におったらしいれども、与那国から西表島の祖内(そない)に送られて、それから波照間島(はてるまじま)、新城島(あらぐすくじま)、そして黒島(くろしま)に送られてる。黒島の次は多良間(たらま)に送られて、そのときに何故か竹富と石垣島は抜いてあるんですよね。竹富に行き、石垣に行って石垣から多良間に行くと言うのがね、道順であるのに、、なぜ抜いたのかというのが謎である。伊波普猷(いはふゆう)先生などは、あのころ石垣島は未開の地で、他の島々から性格のよくない乱暴な連中が来て島を暴力でやっておったからだろうと説明をされておるが、私は装ではないと思う。民族間の対立があったからですよ。それはね、北の方から来た民族は石垣島と竹富島に行っていたんですよ。御嶽の伝説を見るとね、北方民族は石垣島に先に来て、あるいは竹富島にも行って、この二つの島はね、北方民族が優勢だったわけ。南方から来民族連中は、結局ね、石垣島と竹富島の北方民族に支配された。しかし、黒島、新城とかね、波照間、西表などと言うのはね、まだまだその北からの民族支配を受けてなかったわけね。そいうことでね、連中は石垣、竹富は怖かったわけですね。それで、この二つの島は避けて、多分黒島からすぐに多良間島に行ったと思います。あの当時はね、多良間などはね、一四世紀、一五世紀のころはね、多良間などは材木はないので、家作りに西表島のね祖内などに材木を買いに来たりしたんです。あるいはね、黒島、新城、波照間などはね、米の生産がないのでそれを西表に買いに行ったりしていて、そういう島間の交流はあったらしいんだね。石垣島はそのころまだね、八重山群島の主島ではなかった。八重山の支配者は西表だったんです。石垣島には、昔々、いつとは分からないが西表島が非常に繁栄した時代があったそうだという伝説があるんですよ。石垣島が八重山の首島になったのは15世紀以降。
| レコード番号 | 47O340808 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C062 |
| 決定題名 | 朝鮮船の与那国遭難(共通語) |
| 話者がつけた題名 | 朝鮮の遭難船 |
| 話者名 | 牧野清 |
| 話者名かな | まきのきよし |
| 生年月日 | 19100519 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字登野城 |
| 記録日 | 19970913 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市登野城 T07 A04 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 済州島,台風,漂流,三人,与那国,西表島,波照間島,新城島,黒島,多良間島,竹富島,石垣島,伊波普猷, |
| 梗概(こうがい) | 済州島(さいしゅうとう)から台風に押し流されてね、漂流して来た人達が与那国(よなぐに)で救助されるんです。そのとき皆溺れて死んでしまって、三人だけ奇跡的に生還するわけですよね。その人達は九年間は与那国島におったらしいれども、与那国から西表島の祖内(そない)に送られて、それから波照間島(はてるまじま)、新城島(あらぐすくじま)、そして黒島(くろしま)に送られてる。黒島の次は多良間(たらま)に送られて、そのときに何故か竹富と石垣島は抜いてあるんですよね。竹富に行き、石垣に行って石垣から多良間に行くと言うのがね、道順であるのに、、なぜ抜いたのかというのが謎である。伊波普猷(いはふゆう)先生などは、あのころ石垣島は未開の地で、他の島々から性格のよくない乱暴な連中が来て島を暴力でやっておったからだろうと説明をされておるが、私は装ではないと思う。民族間の対立があったからですよ。それはね、北の方から来た民族は石垣島と竹富島に行っていたんですよ。御嶽の伝説を見るとね、北方民族は石垣島に先に来て、あるいは竹富島にも行って、この二つの島はね、北方民族が優勢だったわけ。南方から来民族連中は、結局ね、石垣島と竹富島の北方民族に支配された。しかし、黒島、新城とかね、波照間、西表などと言うのはね、まだまだその北からの民族支配を受けてなかったわけね。そいうことでね、連中は石垣、竹富は怖かったわけですね。それで、この二つの島は避けて、多分黒島からすぐに多良間島に行ったと思います。あの当時はね、多良間などはね、一四世紀、一五世紀のころはね、多良間などは材木はないので、家作りに西表島のね祖内などに材木を買いに来たりしたんです。あるいはね、黒島、新城、波照間などはね、米の生産がないのでそれを西表に買いに行ったりしていて、そういう島間の交流はあったらしいんだね。石垣島はそのころまだね、八重山群島の主島ではなかった。八重山の支配者は西表だったんです。石垣島には、昔々、いつとは分からないが西表島が非常に繁栄した時代があったそうだという伝説があるんですよ。石垣島が八重山の首島になったのは15世紀以降。 |
| 全体の記録時間数 | 6:57 |
| 物語の時間数 | 6:57 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |