
沖縄ではかぎやで節でお祝いのときの座開(じゃーびら)きをしますよね。私達の祖先の大新城按司(うふあらぐすくあんじ)は、このかぎやで節なんかを一番好んでさしたらしいんでよ。そのかぎやで節と同じようにね、八重山では赤馬(あかんま)にちなんで、お祝いのときの座開(じゃーびら)きに踊る赤馬節っちゅうのがあるわけよね。そのとき、この宮良部落の役人が川平湾をちょっと越えたところに、今は廃村になってないけどね、昔は仲筋(なかすじ)っちゅう部落があったんですよね。その部落の上のところに、吉原(よしはら)っちゅう宮古からの移民の部落があって、そこに用事があったから、役人がそこの用事が終わってから歩いて帰ったときにね、名蔵湾のところを通って来たら南からね、何か泳いで来る者がおると。そこは、ここの海の真ん中のところによ、赤牛礁湖(あかまらぐむる)っちゅうのがあるんです。そこのところは、こう急に深くなっていて、礁湖(ぐむる)っちゅうのは、軍艦も浮かぶような深いところっちゅう意味ですよね。その赤牛礁湖(あかまらぐむる)から赤馬節の赤馬(あかんま)がね、ずっと向こうの方から泳いで来たんだって。その役人が、「珍しいのが来たな。」と思ってこう見ていたら、それがきれいな赤馬ですよね。そしたらその赤馬が上がって来て、その役人が歩いたら歩く、止まったら止まるというようなことで、もう宮良部落までその調子で行ったわけでしょ。それでその人はとってもこの馬を可愛がって育てたら、その人の言うことを何でも聞くわけよ。乗ろうとするときはね、パッとこうひざまずいて座って乗せるわけよね。また立ってから歩くときでも茶碗に水を入れて、馬の鞍に乗ってこう歩いても走っても水をこぼさない名馬なんですよ。王府はそれを聞いて、「その馬を献上しろ。」と言うからこの馬は仕方なく沖縄に行かされたわけ。連れて行ったらよ、やっぱり飼い主じゃないからね、馬蹄(ばてい)を手入れするときも、一つも馬番のことを聞いてくれないわけ。それでもうしょうがないから、「名馬っちゅうけど何もいうこと聞いてくれない。」と言って、飼い主の役人を呼んだわけよ。その人を呼んだらね、王様の前でその馬はその人を見てもう喜んで、座ってその人を乗せて歩いたから、そのときに役人が喜んでパッと歌った即興詩がね、立派な赤馬の節になってるわけですよ。それでね、また後で島津方が沖縄攻めてきたでしょ。これがまたこの馬を取ろうちゅうわけでね、島津方が連れて行くために船乗せて行こうとしたら、その船が平久保崎(ひらく ぼざき)で暴風にあうわけよ。それでこの馬はね、ずうっと暴風のために船出せないでいるうちに、船から逃げて泳いできて、その飼い主の家まで走ってきてから、その家を回ってそこで倒れて死ぬわけよ。だから、その赤馬をそれを手厚く葬ったて言うわけですよ。その人は宮良に住んでいたけど元は石垣の人ですよ。それでその家には赤馬の掛け軸にもあるし、その家の掛け軸を象ったのが赤馬碑(あかんまーひー)なんですよね。そのときの即興詩が赤馬節になってるわけですよ。だから今、お祝いのときの最初にはやっぱし出るのが、その「赤馬節」が出るわけ。
| レコード番号 | 47O340780 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C060 |
| 決定題名 | 赤馬節由来(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 慶田城安貞 |
| 話者名かな | けだしろあんてい |
| 生年月日 | 19170928 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字登野城 |
| 記録日 | 19970913 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市登野城 T04 A17-B01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 12,20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | お祝いの,座開き,大新城按司,かぎやで節,八重山,赤馬,赤馬節,宮良部落,役人,仲筋,吉原,名蔵湾,赤牛礁湖,深いところ,泳いで来た,可愛がって育てた,名馬,王府,馬番,即興詩,島津方,平久保崎,暴風,赤馬碑 |
| 梗概(こうがい) | 沖縄ではかぎやで節でお祝いのときの座開(じゃーびら)きをしますよね。私達の祖先の大新城按司(うふあらぐすくあんじ)は、このかぎやで節なんかを一番好んでさしたらしいんでよ。そのかぎやで節と同じようにね、八重山では赤馬(あかんま)にちなんで、お祝いのときの座開(じゃーびら)きに踊る赤馬節っちゅうのがあるわけよね。そのとき、この宮良部落の役人が川平湾をちょっと越えたところに、今は廃村になってないけどね、昔は仲筋(なかすじ)っちゅう部落があったんですよね。その部落の上のところに、吉原(よしはら)っちゅう宮古からの移民の部落があって、そこに用事があったから、役人がそこの用事が終わってから歩いて帰ったときにね、名蔵湾のところを通って来たら南からね、何か泳いで来る者がおると。そこは、ここの海の真ん中のところによ、赤牛礁湖(あかまらぐむる)っちゅうのがあるんです。そこのところは、こう急に深くなっていて、礁湖(ぐむる)っちゅうのは、軍艦も浮かぶような深いところっちゅう意味ですよね。その赤牛礁湖(あかまらぐむる)から赤馬節の赤馬(あかんま)がね、ずっと向こうの方から泳いで来たんだって。その役人が、「珍しいのが来たな。」と思ってこう見ていたら、それがきれいな赤馬ですよね。そしたらその赤馬が上がって来て、その役人が歩いたら歩く、止まったら止まるというようなことで、もう宮良部落までその調子で行ったわけでしょ。それでその人はとってもこの馬を可愛がって育てたら、その人の言うことを何でも聞くわけよ。乗ろうとするときはね、パッとこうひざまずいて座って乗せるわけよね。また立ってから歩くときでも茶碗に水を入れて、馬の鞍に乗ってこう歩いても走っても水をこぼさない名馬なんですよ。王府はそれを聞いて、「その馬を献上しろ。」と言うからこの馬は仕方なく沖縄に行かされたわけ。連れて行ったらよ、やっぱり飼い主じゃないからね、馬蹄(ばてい)を手入れするときも、一つも馬番のことを聞いてくれないわけ。それでもうしょうがないから、「名馬っちゅうけど何もいうこと聞いてくれない。」と言って、飼い主の役人を呼んだわけよ。その人を呼んだらね、王様の前でその馬はその人を見てもう喜んで、座ってその人を乗せて歩いたから、そのときに役人が喜んでパッと歌った即興詩がね、立派な赤馬の節になってるわけですよ。それでね、また後で島津方が沖縄攻めてきたでしょ。これがまたこの馬を取ろうちゅうわけでね、島津方が連れて行くために船乗せて行こうとしたら、その船が平久保崎(ひらく ぼざき)で暴風にあうわけよ。それでこの馬はね、ずうっと暴風のために船出せないでいるうちに、船から逃げて泳いできて、その飼い主の家まで走ってきてから、その家を回ってそこで倒れて死ぬわけよ。だから、その赤馬をそれを手厚く葬ったて言うわけですよ。その人は宮良に住んでいたけど元は石垣の人ですよ。それでその家には赤馬の掛け軸にもあるし、その家の掛け軸を象ったのが赤馬碑(あかんまーひー)なんですよね。そのときの即興詩が赤馬節になってるわけですよ。だから今、お祝いのときの最初にはやっぱし出るのが、その「赤馬節」が出るわけ。 |
| 全体の記録時間数 | 7:15 |
| 物語の時間数 | 6:16 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |