崎山村の村建てとナベマ(共通語)

概要

皆様もお分かりのこととは思いますがね、私が聞かされたことだけを言います。宝暦五年の昔のことです。琉球国王が、「この崎山に部落がないと船がここを通るときにもし船に遭難があったら、みてくれる人もおらん、助ける人もおらんから、ぜひとも崎山村がないといかん。」と言う命令があったから、この命令をどうするかって迷っておるうちに、国王が崎山寛照(さきやまかんしょう)ていう与人(よんちゅ)の人を選ばれてその大将に命令したから、この崎山寛照(さきやまかんしょう)が部下を波照間にやって女が二百名、男は八十名の移民する人を連れて来るんですよ。私らの先祖は鹿川にいて、「許して下さい。」と頼んでも、「これは天の命令、国王の命令だから決まった人はみんな行きなさい。許すことはできない。」て言うて許してもらえないし、逃れることはできない。こう決まって宝暦五年九月十八日に波照間から崎山に船を出すことが決まったんです。だから浜には船に乗り込む人も全部いて、別れに来た人もいて、そういう時に責任者の崎山寛照が、「はい、乗船しなさい。」て言うでしょ。決まった人なんかは船にどんどん乗り込み、残りの行かない人は浜で待っておるうちに、出発命令が来たら船は出て行くんですよ。どの船にも、皆命令する責任者が役人や責任者が一人ずつ置いてあるから、波照間から船は浜を後ろにしていっぺんにぱあっと出たんですよ。島に残って見送る人は目をこう赤らめて手を挙げてお別れをした。親のふところから出されて船の中に乗った人は親兄弟のことを思ってゆっくり進む船の中で泣いておるんですよ。そのうちに船はだんだんだんだん出て行って波照間は遠くなり、乗っている人は仕方がないから、あきらめて船のなかでじっとしていたんですよ。その時に西表にだんだん近づいて船員が、「西表が見えたよ。白い白浜が見えたよ。」て言うから、見たら綺麗な白浜があるんですよ。「おお、立派な白浜だな。」て心の中は泣いとるけど、表側は喜んでいた。そのうちに、昔、波照間から西表の野浜(のばま)に来たことがある人がいるからよ、とうとう野浜(のばま)ていうところに来て、野浜のこっちから船を入れて船が着いたから、まず係の人が兼久地(かねくぢ)の浜の上に上陸して、それから、各々(めいめい)が荷物を担いで上陸したんですよ。その野浜の上に兼久地には綺麗な平地があるから、その平地に荷物を降ろしたが、村の人は皆、波照間に帰りたいって泣いて、「なんで帰れるか。」て言って、兼久地から上にあがって見たら西の方に清らかな水が流れて、川がずっと海に流れているんですよ。それを見て、「ほう、これはいいところがある。」って、皆喜んで川を見に行ってるんですよ。その野浜川(のばまがー)を見ておるうちに、「集まれ。集合。集合。」っていう係人が命令がきて、波照間から来た人を全部集めて、今度は与人が、「我等はここに部落をつくれっていう天の命令で来ておる。お互いに団結して、皆元気良く、お互いに笑顔でこの部落を作ってもらいましょう。」ていう挨拶したから、皆は、「思い思いで別れてきたが団結して頑張りましょう。」て言ったら、移住した一人が、「ちょっと与人様にお願いします。」て言う。「なんでか。」て、「ここは無名地、名前もない島だが何といったらいいですか。」と言うたからよ、その与人が、「ああ、あはあ、そうかそうだ。そんなら、私の名前は崎山て言うから、崎山村(さきやまむら)と付けましょう。」と言ったから、今度は、「おお、これでいい。」て皆喝采してからよ、一緒にここで部落を作って、水も豊かでとてもいいところだなと思って、そこで何年か送っているうちによ、ある日作業中にまだ聞いていない歌が出るんですよ。「崎山村を建てとる。なんのために部落を建てたか、兼久地のためにこの部落を建てた。」とこの歌は柿本ナベマと言う人が歌った崎山節ですよ。こんな歌は聞いたことなくて、皆、珍しいものだなと思ってびっくりしてよ、みんな聞いとるんです。そのうちに島のことをすごくすごく心に思われて、また泣いとるうちにね、役人もこの歌を聞いて駆けつけて来て、「なんために仕事もせずに集まっておるか。」て言うんですよ。「いや、この柿本ナベマさんが、私らがわからん歌を歌っているから、それを聞いたら、自分の故郷の親兄弟のことを思っておる。」って。これを聞いて役人も驚いて、「こんな女でも大変な苦労をしている。この女は波照間に帰すべきだ。」と気の毒に思って、それを国王に報告したら国王はこれ承諾してよ、「そう言う者はそこに置いてはいけない。自分の島に帰して島のことをさせたらいい。」て言うてきたから柿本ナベマを島に帰すことは決まったが、柿本ナベマが帰らないうちに、今度は台風が来て山ぐらいある波が白浜にバアッと打って、その塩水のしぶきが部落に雨になって降って来るんですよ。だから、「こんな所で部落は建てられん。」て皆が言うて、部落をまた移転しようと話し合ったんですよ。「部落移転て言ったらどこにですか。」て言うていたら役人がまたその近くを調べて今の崎山部落の前に、ウラナというところがあるんすよ。そこはまた綺麗な平坦地ですよ。そこに部落を建てようということになって、そこに行ってみたら山の後ろになってお日様が全然見えないんですよ。また考えて直して、「ここではいくら平地が綺麗であっても部落には駄目だ。向かいの山に上等なところがある。そこに行こう。」とまた行ったんです。そこに行ったら、「坂になっているんじゃあ人間は生活はできない。」と思ったけど、お日様が上がったら、そこは照らされるから、そこに役人が決めて、「ここに決めた。ここに移る。」とだんだん屋敷を作って、移転することになったんです。そこに行って見たら水がない。今まで野浜できれいな水を使っておったから、そこに来たら水がない。どうしようかって迷っていたら、柿本ナベマがまた西の角に水が出ると歌を詠んだから、西の角を掘ったら手洗い水でも出るかなと思って掘ったらきれいな水が出たからよ、「おお、こんなきれいな水が出る。」と役人に言うと、役人は見て大変喜んだらしい。今度はまた大嶺って言う人が来て掘ったら、谷間からきれいな水が湧いて噴き出しとる。だから、大嶺ていう人がよ、「この上に水がある。これを飲み水に使うとしよう。」と喜んで、皆集めて井戸掘った。この井戸は大嶺という人が仕上げた井戸ですから、大嶺井戸(おおみねいど)って今もあるんですよ。そのうちにまたこのナベマが掘った井戸の南の方にまた井戸があったんです。ここは赤嶺ていう人がまた掘ったから、水はこれで不足はない。余裕があるんですよね。今度は国王から、「柿本ナベマは島に帰せ。」て命令が来るんです。そのとき記念品も来るんですよ。「また一生懸命働いて農作物もどんどん出とるけど、このナベマを国王が言うとおり送り帰さんといかん。」て言うて、皆はナベマを見送りしてきて、その後も一生懸命働いて農作物も一杯にできた。そうやっておるうちに、山猪がみんな食い散らかして、出来た作物がないんですよ。「これどうしようかな。」て心配してよ、役人がまた、「こうこうで農作物はできとるけども、こんな山猪に荒されてる。猪垣をさせてくれ。」と国王に報告しとるわけですよ。国王からは、「各部落から人を寄せて山猪を防ぐ垣を作れ。」と命令が来たんですよ。だから、役人はまた西表の全部の村に報告して、各部落島々からも選りすぐって人を集めてきて、崎山村の南にパイテカラという川があって平石(ひらいし)と言う平たい大きい石が崎山の裏の方にあるんですよ。その石で崎山の南から反対側の裏まで、皆働いて長さ四キロの石垣積んでいるんです。そのとき食糧もないからよ、平良与人という人がこの働いている人達に俵何俵かはわからんけど米を寄付してるんですよ。今度も役人がこれを国王に報告したんですよ。するとすぐに平良与人は筑登之(ちくどぅん)という位をもらってこの人は立派に生活したって。

再生時間:21:10

民話詳細DATA

レコード番号 47O340742
CD番号 47O34C057
決定題名 崎山村の村建てとナベマ(共通語)
話者がつけた題名
話者名 川平永美
話者名かな かびらえいび
生年月日 19030218
性別
出身地 沖縄県竹富町網取
記録日 19960913
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市登野城 T01 A03
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 お祖父さん、お祖母さんから聞いた
文字化資料
キーワード 宝暦五年,琉球国王,崎山,命令,崎山寛照,与人,よんちゅ,波照間,女が二百名,男は八十名,移民,鹿川,船を出す,お別れをした,西表,白浜,野浜,兼久地,上陸した,清らかな水,崎山村,歌,柿本ナベマ,崎山節,故郷の親兄弟,承諾,島に帰して,台風,移転,ウラナ,西の角,水が出る,歌を詠んだ,大嶺,井戸,赤嶺,山猪,猪垣,パイテカラと,平石,長さ四キロ,石垣,平良与人,米を寄付,筑登之
梗概(こうがい) 皆様もお分かりのこととは思いますがね、私が聞かされたことだけを言います。宝暦五年の昔のことです。琉球国王が、「この崎山に部落がないと船がここを通るときにもし船に遭難があったら、みてくれる人もおらん、助ける人もおらんから、ぜひとも崎山村がないといかん。」と言う命令があったから、この命令をどうするかって迷っておるうちに、国王が崎山寛照(さきやまかんしょう)ていう与人(よんちゅ)の人を選ばれてその大将に命令したから、この崎山寛照(さきやまかんしょう)が部下を波照間にやって女が二百名、男は八十名の移民する人を連れて来るんですよ。私らの先祖は鹿川にいて、「許して下さい。」と頼んでも、「これは天の命令、国王の命令だから決まった人はみんな行きなさい。許すことはできない。」て言うて許してもらえないし、逃れることはできない。こう決まって宝暦五年九月十八日に波照間から崎山に船を出すことが決まったんです。だから浜には船に乗り込む人も全部いて、別れに来た人もいて、そういう時に責任者の崎山寛照が、「はい、乗船しなさい。」て言うでしょ。決まった人なんかは船にどんどん乗り込み、残りの行かない人は浜で待っておるうちに、出発命令が来たら船は出て行くんですよ。どの船にも、皆命令する責任者が役人や責任者が一人ずつ置いてあるから、波照間から船は浜を後ろにしていっぺんにぱあっと出たんですよ。島に残って見送る人は目をこう赤らめて手を挙げてお別れをした。親のふところから出されて船の中に乗った人は親兄弟のことを思ってゆっくり進む船の中で泣いておるんですよ。そのうちに船はだんだんだんだん出て行って波照間は遠くなり、乗っている人は仕方がないから、あきらめて船のなかでじっとしていたんですよ。その時に西表にだんだん近づいて船員が、「西表が見えたよ。白い白浜が見えたよ。」て言うから、見たら綺麗な白浜があるんですよ。「おお、立派な白浜だな。」て心の中は泣いとるけど、表側は喜んでいた。そのうちに、昔、波照間から西表の野浜(のばま)に来たことがある人がいるからよ、とうとう野浜(のばま)ていうところに来て、野浜のこっちから船を入れて船が着いたから、まず係の人が兼久地(かねくぢ)の浜の上に上陸して、それから、各々(めいめい)が荷物を担いで上陸したんですよ。その野浜の上に兼久地には綺麗な平地があるから、その平地に荷物を降ろしたが、村の人は皆、波照間に帰りたいって泣いて、「なんで帰れるか。」て言って、兼久地から上にあがって見たら西の方に清らかな水が流れて、川がずっと海に流れているんですよ。それを見て、「ほう、これはいいところがある。」って、皆喜んで川を見に行ってるんですよ。その野浜川(のばまがー)を見ておるうちに、「集まれ。集合。集合。」っていう係人が命令がきて、波照間から来た人を全部集めて、今度は与人が、「我等はここに部落をつくれっていう天の命令で来ておる。お互いに団結して、皆元気良く、お互いに笑顔でこの部落を作ってもらいましょう。」ていう挨拶したから、皆は、「思い思いで別れてきたが団結して頑張りましょう。」て言ったら、移住した一人が、「ちょっと与人様にお願いします。」て言う。「なんでか。」て、「ここは無名地、名前もない島だが何といったらいいですか。」と言うたからよ、その与人が、「ああ、あはあ、そうかそうだ。そんなら、私の名前は崎山て言うから、崎山村(さきやまむら)と付けましょう。」と言ったから、今度は、「おお、これでいい。」て皆喝采してからよ、一緒にここで部落を作って、水も豊かでとてもいいところだなと思って、そこで何年か送っているうちによ、ある日作業中にまだ聞いていない歌が出るんですよ。「崎山村を建てとる。なんのために部落を建てたか、兼久地のためにこの部落を建てた。」とこの歌は柿本ナベマと言う人が歌った崎山節ですよ。こんな歌は聞いたことなくて、皆、珍しいものだなと思ってびっくりしてよ、みんな聞いとるんです。そのうちに島のことをすごくすごく心に思われて、また泣いとるうちにね、役人もこの歌を聞いて駆けつけて来て、「なんために仕事もせずに集まっておるか。」て言うんですよ。「いや、この柿本ナベマさんが、私らがわからん歌を歌っているから、それを聞いたら、自分の故郷の親兄弟のことを思っておる。」って。これを聞いて役人も驚いて、「こんな女でも大変な苦労をしている。この女は波照間に帰すべきだ。」と気の毒に思って、それを国王に報告したら国王はこれ承諾してよ、「そう言う者はそこに置いてはいけない。自分の島に帰して島のことをさせたらいい。」て言うてきたから柿本ナベマを島に帰すことは決まったが、柿本ナベマが帰らないうちに、今度は台風が来て山ぐらいある波が白浜にバアッと打って、その塩水のしぶきが部落に雨になって降って来るんですよ。だから、「こんな所で部落は建てられん。」て皆が言うて、部落をまた移転しようと話し合ったんですよ。「部落移転て言ったらどこにですか。」て言うていたら役人がまたその近くを調べて今の崎山部落の前に、ウラナというところがあるんすよ。そこはまた綺麗な平坦地ですよ。そこに部落を建てようということになって、そこに行ってみたら山の後ろになってお日様が全然見えないんですよ。また考えて直して、「ここではいくら平地が綺麗であっても部落には駄目だ。向かいの山に上等なところがある。そこに行こう。」とまた行ったんです。そこに行ったら、「坂になっているんじゃあ人間は生活はできない。」と思ったけど、お日様が上がったら、そこは照らされるから、そこに役人が決めて、「ここに決めた。ここに移る。」とだんだん屋敷を作って、移転することになったんです。そこに行って見たら水がない。今まで野浜できれいな水を使っておったから、そこに来たら水がない。どうしようかって迷っていたら、柿本ナベマがまた西の角に水が出ると歌を詠んだから、西の角を掘ったら手洗い水でも出るかなと思って掘ったらきれいな水が出たからよ、「おお、こんなきれいな水が出る。」と役人に言うと、役人は見て大変喜んだらしい。今度はまた大嶺って言う人が来て掘ったら、谷間からきれいな水が湧いて噴き出しとる。だから、大嶺ていう人がよ、「この上に水がある。これを飲み水に使うとしよう。」と喜んで、皆集めて井戸掘った。この井戸は大嶺という人が仕上げた井戸ですから、大嶺井戸(おおみねいど)って今もあるんですよ。そのうちにまたこのナベマが掘った井戸の南の方にまた井戸があったんです。ここは赤嶺ていう人がまた掘ったから、水はこれで不足はない。余裕があるんですよね。今度は国王から、「柿本ナベマは島に帰せ。」て命令が来るんです。そのとき記念品も来るんですよ。「また一生懸命働いて農作物もどんどん出とるけど、このナベマを国王が言うとおり送り帰さんといかん。」て言うて、皆はナベマを見送りしてきて、その後も一生懸命働いて農作物も一杯にできた。そうやっておるうちに、山猪がみんな食い散らかして、出来た作物がないんですよ。「これどうしようかな。」て心配してよ、役人がまた、「こうこうで農作物はできとるけども、こんな山猪に荒されてる。猪垣をさせてくれ。」と国王に報告しとるわけですよ。国王からは、「各部落から人を寄せて山猪を防ぐ垣を作れ。」と命令が来たんですよ。だから、役人はまた西表の全部の村に報告して、各部落島々からも選りすぐって人を集めてきて、崎山村の南にパイテカラという川があって平石(ひらいし)と言う平たい大きい石が崎山の裏の方にあるんですよ。その石で崎山の南から反対側の裏まで、皆働いて長さ四キロの石垣積んでいるんです。そのとき食糧もないからよ、平良与人という人がこの働いている人達に俵何俵かはわからんけど米を寄付してるんですよ。今度も役人がこれを国王に報告したんですよ。するとすぐに平良与人は筑登之(ちくどぅん)という位をもらってこの人は立派に生活したって。
全体の記録時間数 21:49
物語の時間数 21:10
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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