
石垣島は、こっちがこう名蔵湾で、大きくこう口開いているように見えるんですよね、こうして続いてこれが龍の尻尾らしいんですよ。一番肝心な龍の目玉は有名な石城山(いしすくやま)で、それを取ったら一番悪いんだと言うていました。とにかくそれがなくなると、いろいろな悪い罹(かか)りものが出てくると言うような話を聞いたんですよね。その石城山(いしすくやま)はこっちが唐人墓だからバンナで、石城山(いしすくやま)は多分この辺だろうと思うんですよね。そういえばそういうふうに悠々と口を開けて尻尾がこうなってるとも見えるわけですいね。その石城山(いしすくやま)は石山で、上の真ん中の方に八畳間か一〇畳間ぐらいのね大きくバアッと開いたところがあり、下はずっとこうきれいに敷き詰められていました。物知りの話ではそこに何か重要な物を収容したとかいうことです。またその辺に昔の平家の落ち武者の鎧か何かがあったような話も聞いてます。平家の落ち武者の伝説は、あっちの海岸づたいにあるでしょ。例えば平久保(ひらく ぼ)や久宇良の海岸に平家の落ち武者が着いたとかで、そこは石棺(いしかん)なんかあって、その中の頭蓋骨(さらこうべ)は多分偉い人だったんですよね。この辺は潮流の関係で平家が来て、川平(かびら)あたりには平家の落ち武者が居ったような気がするんですよね。それでね、八重山の言葉も沖縄、宮古とは違ってね、なんかこう語尾がやわらかくして崇めるような言葉づかいになっているとも言っていました。とにかく石城山は石がこう高く聳えていたんですが、終戦後、コンクリーするバラスの石がなかったんで、それでその山の持ち主がある人からある人へどんどんと四回か五、六回ぐらい転売して変わったんじゃないすかな。それで、そういう持ち主にもやっぱり一応は何かいろいろ罹りもの言(ちゅ)う祟りがあったような話も聞いていますけどね。どんどん転売されたいるうちに、宝の石城山(いしすくやま)は割られて、コンクリーするバラスの石になったんです。これはこの島の一番の損だったって言う人もあったと聞いておりました。この石城山(いしすくやま)の石をう持って行って、最初にこの石をでコンクリーを作ったのが石垣島精糖なんですよ。それで、この石垣島精糖には、私も戦後ちょっとおりましたから、相当の何やらかんやらの罹りものが出て大変でした。
| レコード番号 | 47O340865 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C066 |
| 決定題名 | 石垣島は龍(共通語) |
| 話者がつけた題名 | イシスク山 |
| 話者名 | 慶田城安貞 |
| 話者名かな | けだしろあんてい |
| 生年月日 | 19170928 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字登野城 |
| 記録日 | 19980908 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市登野城 T11 A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 石垣島,名蔵湾,口,龍の尻尾,龍の目玉,石城山,悪い罹り,唐人墓,バンナ,石山,開いたところ,物知り,重要な物,収容した,平家の落ち武者,鎧,伝説,平久保,久宇良,石棺,頭蓋骨,偉い人,潮流,川平,八重山,言葉,沖縄,宮古,語尾がやわらかく,崇める,言葉づかい,高く聳えていた,バラスの石,転売,祟り,宝,損,石垣島精糖 |
| 梗概(こうがい) | 石垣島は、こっちがこう名蔵湾で、大きくこう口開いているように見えるんですよね、こうして続いてこれが龍の尻尾らしいんですよ。一番肝心な龍の目玉は有名な石城山(いしすくやま)で、それを取ったら一番悪いんだと言うていました。とにかくそれがなくなると、いろいろな悪い罹(かか)りものが出てくると言うような話を聞いたんですよね。その石城山(いしすくやま)はこっちが唐人墓だからバンナで、石城山(いしすくやま)は多分この辺だろうと思うんですよね。そういえばそういうふうに悠々と口を開けて尻尾がこうなってるとも見えるわけですいね。その石城山(いしすくやま)は石山で、上の真ん中の方に八畳間か一〇畳間ぐらいのね大きくバアッと開いたところがあり、下はずっとこうきれいに敷き詰められていました。物知りの話ではそこに何か重要な物を収容したとかいうことです。またその辺に昔の平家の落ち武者の鎧か何かがあったような話も聞いてます。平家の落ち武者の伝説は、あっちの海岸づたいにあるでしょ。例えば平久保(ひらく ぼ)や久宇良の海岸に平家の落ち武者が着いたとかで、そこは石棺(いしかん)なんかあって、その中の頭蓋骨(さらこうべ)は多分偉い人だったんですよね。この辺は潮流の関係で平家が来て、川平(かびら)あたりには平家の落ち武者が居ったような気がするんですよね。それでね、八重山の言葉も沖縄、宮古とは違ってね、なんかこう語尾がやわらかくして崇めるような言葉づかいになっているとも言っていました。とにかく石城山は石がこう高く聳えていたんですが、終戦後、コンクリーするバラスの石がなかったんで、それでその山の持ち主がある人からある人へどんどんと四回か五、六回ぐらい転売して変わったんじゃないすかな。それで、そういう持ち主にもやっぱり一応は何かいろいろ罹りもの言(ちゅ)う祟りがあったような話も聞いていますけどね。どんどん転売されたいるうちに、宝の石城山(いしすくやま)は割られて、コンクリーするバラスの石になったんです。これはこの島の一番の損だったって言う人もあったと聞いておりました。この石城山(いしすくやま)の石をう持って行って、最初にこの石をでコンクリーを作ったのが石垣島精糖なんですよ。それで、この石垣島精糖には、私も戦後ちょっとおりましたから、相当の何やらかんやらの罹りものが出て大変でした。 |
| 全体の記録時間数 | 9:39 |
| 物語の時間数 | 4:03 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |