慶来慶田城の由来(共通語)

概要

それが慶田城このようちょうのしつ、奥さんも分からない。そして二代のようちょうの長男がようちょうたかくらじなん、二代目。まだその人のお母さん分からないんですよね。友達もなんの、ようちょうのお父さんお母さん分からない、一番元祖の。そしてまた長男の長男のようちょうという人は、父はようちょうだけど母は分からない、はい。ああいうふうにあるんだけどもね、それからもう三代がようそん、それから四代、もういろんな続いておりま
すけどもね。〔(聞き取り不能)〕。あるんじゃないんですかね。なんかヒラコタナーウジを打ち殺してから、してしかにまわってきて長田翁主と手を握って、こう自分は(聞き取り不能)慶田城であると、今から一緒に手を取って八重山のために尽くしてくれという兄弟分を契ってきた、自分は西表に帰って来たというふうにあることはあるけどね。〔それ詳しく話してもらえますか。御存じのだけで結構ですので。その(聞き取り不能ですね)。それと長田(聞き取り不能)ですね〕。何か(聞き取り不能)ですね、わしもはっきり分からん、何かあるよ。波照間から来とるんじゃないですか。わしただ聞いてですね、その長田大翁主はその時は八重山の頭ですからあれでしょうね、はいさきでね。はい、聞いたら川平には仲間満慶山(ミツケ)という英雄がおったとか、それが小嶺はクンミツケとかおったとかですね、西表は慶田城がおるとかいって、みんな群雄割拠しておったらしいけれども。でもあの平久保の加那ージがここで住民を苦しめておるみたいなこと聞いたもんだから、はるばる、西表で船作って渡って、平久保に行って加那ージの面会求めたら、「自分は西表の慶田城というもんである」というふうに申し込んだら、「ああいう人と面会する必要無い。米の洗い汁を引っかけて帰せ」と言ったらしい。(聞き取り不能)ども、それ仕方なくこうして、ある民家に行って「(聞き取り不能)まで来たんだけども、この人のこと聞いて来たんだけど本当はどうか」
と。いうにした、また百姓もこうです、こうこうであるというふうにして、「ひとつ住民も苦しんでおるんだから、これは何とかして征伐してくれ」と。で、あそこの娘が、あそこのひら加那ージのなんか飯作りか何かしとったらしいですね。あれの様子聞いて、じゃあいつ頃がいいからということで、宴会がある、するはずだからあのときに、いついつに宴会あるからあの時にはこびというふうにしてですね、やって。あの時に女がきかしたもんだから、そのささ行って征伐してから帰ったというふうになっておりますけどもね。はい。そういうふうに、由来記にはそういうふうにしか書いてないですね。あの慶来というものは、祖先がお
正月の日にわざわざここに年始にね、この王様の年始にねいつもさいさ来たらしい。〔あの、こっちに来たっていうのは〕、琉球王さんでしょうね。あすこに年賀に来たらしいですよ。だからもう早く来たな、家来、もうなんだか、それが慶び来たるなったという。わしなんかの一門のじいさんばあさん、じいさん話は聞いておりますけどもね。だから家来、本当はケライは慶び来たるですよ。だから慶び来たけど(聞き取り不能)、今が慶田慶来城なっとるという話ですね。〔そうするとちょっとお伺いたいですけど、そのことも(聞き取り不能)八重山から(聞き取り不能)〕。ないんだけれどもね。だからじいさん、わしなんかの、毎年旧の正月とかですね、それから十六日の晩みんな集まって、門中集まってですね、家が大和だから、それでみんないろんな話、しんぶんがかかっとったわけですけどもね。ああいう時にが聞いた話ですけど、「慶来とはこうこういう意味だよ」、「慶田城だけれども、御主加那志前が慶びに来たから慶田城といったもん、いって、慶来慶田城となったよ」というふうに聞いておりますけどもね。あれがあんなもんでもね、由来記のあったらならばなるほどと思うんだけども、ないんですよね、はい。〔由来記(聞き取り不能)〕。は、分からん。いや、しかしずっとですね、十六代までの物はあるんですよ、系図は。わしのお父さんの時まで十三代かね、ずっとあって。で、昔のあれですね、やっぱりあの系図というものは女載せなかった
んですね。あれだけ女生きとったわけですね、男だけですよ、はい。長男、次男、三男。三男はまた長男なんかいかよ、やっとるんだけど。

再生時間:5:36

民話詳細DATA

レコード番号 47O417738
CD番号 47O41C389
決定題名 慶来慶田城の由来(共通語)
話者がつけた題名 慶来慶田城の由来
話者名 宮良用庸
話者名かな みやらようよう
生年月日 19080320
性別
出身地 竹富町租内
記録日 19800713
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 宜野湾T30B08
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 慶田城,ヒラコタナーウジを打ち殺した,長田翁主,八重山,西表,波照間,仲間満慶山,小嶺はクンミツケ,平久保の加那ージ
梗概(こうがい) それが慶田城このようちょうのしつ、奥さんも分からない。そして二代のようちょうの長男がようちょうたかくらじなん、二代目。まだその人のお母さん分からないんですよね。友達もなんの、ようちょうのお父さんお母さん分からない、一番元祖の。そしてまた長男の長男のようちょうという人は、父はようちょうだけど母は分からない、はい。ああいうふうにあるんだけどもね、それからもう三代がようそん、それから四代、もういろんな続いておりま すけどもね。〔(聞き取り不能)〕。あるんじゃないんですかね。なんかヒラコタナーウジを打ち殺してから、してしかにまわってきて長田翁主と手を握って、こう自分は(聞き取り不能)慶田城であると、今から一緒に手を取って八重山のために尽くしてくれという兄弟分を契ってきた、自分は西表に帰って来たというふうにあることはあるけどね。〔それ詳しく話してもらえますか。御存じのだけで結構ですので。その(聞き取り不能ですね)。それと長田(聞き取り不能)ですね〕。何か(聞き取り不能)ですね、わしもはっきり分からん、何かあるよ。波照間から来とるんじゃないですか。わしただ聞いてですね、その長田大翁主はその時は八重山の頭ですからあれでしょうね、はいさきでね。はい、聞いたら川平には仲間満慶山(ミツケ)という英雄がおったとか、それが小嶺はクンミツケとかおったとかですね、西表は慶田城がおるとかいって、みんな群雄割拠しておったらしいけれども。でもあの平久保の加那ージがここで住民を苦しめておるみたいなこと聞いたもんだから、はるばる、西表で船作って渡って、平久保に行って加那ージの面会求めたら、「自分は西表の慶田城というもんである」というふうに申し込んだら、「ああいう人と面会する必要無い。米の洗い汁を引っかけて帰せ」と言ったらしい。(聞き取り不能)ども、それ仕方なくこうして、ある民家に行って「(聞き取り不能)まで来たんだけども、この人のこと聞いて来たんだけど本当はどうか」 と。いうにした、また百姓もこうです、こうこうであるというふうにして、「ひとつ住民も苦しんでおるんだから、これは何とかして征伐してくれ」と。で、あそこの娘が、あそこのひら加那ージのなんか飯作りか何かしとったらしいですね。あれの様子聞いて、じゃあいつ頃がいいからということで、宴会がある、するはずだからあのときに、いついつに宴会あるからあの時にはこびというふうにしてですね、やって。あの時に女がきかしたもんだから、そのささ行って征伐してから帰ったというふうになっておりますけどもね。はい。そういうふうに、由来記にはそういうふうにしか書いてないですね。あの慶来というものは、祖先がお 正月の日にわざわざここに年始にね、この王様の年始にねいつもさいさ来たらしい。〔あの、こっちに来たっていうのは〕、琉球王さんでしょうね。あすこに年賀に来たらしいですよ。だからもう早く来たな、家来、もうなんだか、それが慶び来たるなったという。わしなんかの一門のじいさんばあさん、じいさん話は聞いておりますけどもね。だから家来、本当はケライは慶び来たるですよ。だから慶び来たけど(聞き取り不能)、今が慶田慶来城なっとるという話ですね。〔そうするとちょっとお伺いたいですけど、そのことも(聞き取り不能)八重山から(聞き取り不能)〕。ないんだけれどもね。だからじいさん、わしなんかの、毎年旧の正月とかですね、それから十六日の晩みんな集まって、門中集まってですね、家が大和だから、それでみんないろんな話、しんぶんがかかっとったわけですけどもね。ああいう時にが聞いた話ですけど、「慶来とはこうこういう意味だよ」、「慶田城だけれども、御主加那志前が慶びに来たから慶田城といったもん、いって、慶来慶田城となったよ」というふうに聞いておりますけどもね。あれがあんなもんでもね、由来記のあったらならばなるほどと思うんだけども、ないんですよね、はい。〔由来記(聞き取り不能)〕。は、分からん。いや、しかしずっとですね、十六代までの物はあるんですよ、系図は。わしのお父さんの時まで十三代かね、ずっとあって。で、昔のあれですね、やっぱりあの系図というものは女載せなかった んですね。あれだけ女生きとったわけですね、男だけですよ、はい。長男、次男、三男。三男はまた長男なんかいかよ、やっとるんだけど。
全体の記録時間数 5:36
物語の時間数 5:36
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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