サンアイイソバ(方言)

概要

サンアイイソバが住んでいたのは、今の島仲村の元はサンアイ村っていわれて、そこの女性のイソバだからサンアイイソバと呼ばれていた。サンアイっていうのはガジマルの木のことなの。比川に行くところのそこら辺は、島仲のその昔の村の墓地だったかもしれません。サンアイイソバは、サンアイイソバアブとも呼ばれていました。アブというのはお年寄りの敬いの言葉なの。そのサンアイイソバはものすごい大きな人で、天蛇鼻のサンアイイソバの碑が建ってる裏の岩の割れ目は、今はもう全然入れないですけども私どもも子どもの頃には通ってはいるんですよ。そこはとにかくお馬が荷物をつけて通れる通りだけれども、サンアイイソバは、身体を体を横にしてしかそこを抜けられなかった大きな人だったという話ですけどね。この人は大きな人で力があったから、一日に馬七頭分の芋を掘って持ってきて島の人に食べさせたとか、ものすごい力があったから、道路じゃないところでも行くところはクバの木をこんなやって手で引っこ抜いて行ったからそこが道路になり、畑を作るときも、また畑なんか作るときも、もういちいち木を切って耕すじゃなくて、みんな木を引っこ抜いて畑にするぐらい剛力だったみたい。また、島の人達が食料に困らないようにって、帆安(ほあん)の方、宇良部岳の前のそこら辺みんな一帯はすごい田んぼなんかの地帯は、サンアイイソバが作った田圃(たんぼ)の跡だという話があります。今は減反でみんな田圃はやっていませんけど、あの人がやった田圃の跡はいまだに残っている。また、北牧場ってまあ一般に言ってるけど、ニチヌマティのニチっていうのは北ってことで、マティっていうのは島の言葉で牧場ってことね。島の人達のために牧場も作っていたとも言います。その人のお陰でね、みんな困ることなく生活していたというわけですね。その人がね、外敵を防いであの追っ払ったというお話があるのよね。それは、自分のウトゥダを南帆安(みなみほあん)とか、久部良とかにみんな按司として配置してね、治めさしていたわけ。ウトゥダとは兄弟ってことだけど、また親しい仲間もウトゥダっていうからね、その按司がこの人の兄弟だったか、仲間だったかは分からないですね。そんなにして、サンアイイソバが島を治めていた時代に仲屋金盛がオヤケ赤蜂を征伐して、今度は与那国を攻めに来たときに、サンアイイソバは、怖い夢を見て、これは何事だろうと慌てて起きてみると、サンアイイソバの住んでいたところは、島の中央の高台になっている島仲だからね、島全体がみんな見えるわけよね。そしたら、按司みたいにして自分が治めさしている東の方の帆安の所に火事が出ていたので、その時にサンアイイソバアブは、「これは大変だ。」と途中にあるクバの木を引っこ抜いて投げながら急いで走って行くとアラタドゥっていうところでばったり会ったのが攻めてきた仲屋金盛だから、サンアイイソバはすぐそこでひっつかまえているわけ。もう足をひっつかまえて引き裂こうとしたが、「帆安の按司は生け捕りか、殺したのか。」って言ったら、最初、仲屋金盛はあわてて、「殺した。」と言ったもんだからすぐ足を捕まえて両足を引き裂こうとしたら、金盛は智恵があるから、「いや、殺してない。生け捕りだ。」と言うと、イソバアブは、「そうか。」と言って、ぽっともう金盛を投げてほったらかして行ったそうですけど、行ってみたら後のまつりで、みんなもう焼けて殺されていた。残念ながら仲屋金盛は、そこから逃げて久部良に行く途中でも、そこにあった村を焼き払い、次々に按司なんかを殺したから、サンアイイソバが追ってきたときには、この人たちは山の中に逃げて隠れて、そしてもと来た所から逃げていったそうだ。この人は晩年になると、天蛇鼻の上の大きな石の上に座って、いつも皆が乗っている船の航海安全を祈っていたっていう話もあります。

再生時間:3:10

民話詳細DATA

レコード番号 47O341817
CD番号 47O34C135
決定題名 サンアイイソバ(方言)
話者がつけた題名
話者名 池間苗
話者名かな いけまなえ
生年月日 19191217
性別
出身地 沖縄県八重山郡与那国町祖納
記録日 19970312
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 与那国町祖納 T10 A09
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく) ンカチ
伝承事情
文字化資料
キーワード サンアイイソバ,島仲村,サンアイ村,ガジマルの木,アブ,天蛇鼻,剛力,帆安,宇良部岳,ニチヌマティ,外敵,ウトゥダ,久部良,按司,仲屋金盛,オヤケ赤蜂,与那国,火事,アラタドゥ
梗概(こうがい) サンアイイソバが住んでいたのは、今の島仲村の元はサンアイ村っていわれて、そこの女性のイソバだからサンアイイソバと呼ばれていた。サンアイっていうのはガジマルの木のことなの。比川に行くところのそこら辺は、島仲のその昔の村の墓地だったかもしれません。サンアイイソバは、サンアイイソバアブとも呼ばれていました。アブというのはお年寄りの敬いの言葉なの。そのサンアイイソバはものすごい大きな人で、天蛇鼻のサンアイイソバの碑が建ってる裏の岩の割れ目は、今はもう全然入れないですけども私どもも子どもの頃には通ってはいるんですよ。そこはとにかくお馬が荷物をつけて通れる通りだけれども、サンアイイソバは、身体を体を横にしてしかそこを抜けられなかった大きな人だったという話ですけどね。この人は大きな人で力があったから、一日に馬七頭分の芋を掘って持ってきて島の人に食べさせたとか、ものすごい力があったから、道路じゃないところでも行くところはクバの木をこんなやって手で引っこ抜いて行ったからそこが道路になり、畑を作るときも、また畑なんか作るときも、もういちいち木を切って耕すじゃなくて、みんな木を引っこ抜いて畑にするぐらい剛力だったみたい。また、島の人達が食料に困らないようにって、帆安(ほあん)の方、宇良部岳の前のそこら辺みんな一帯はすごい田んぼなんかの地帯は、サンアイイソバが作った田圃(たんぼ)の跡だという話があります。今は減反でみんな田圃はやっていませんけど、あの人がやった田圃の跡はいまだに残っている。また、北牧場ってまあ一般に言ってるけど、ニチヌマティのニチっていうのは北ってことで、マティっていうのは島の言葉で牧場ってことね。島の人達のために牧場も作っていたとも言います。その人のお陰でね、みんな困ることなく生活していたというわけですね。その人がね、外敵を防いであの追っ払ったというお話があるのよね。それは、自分のウトゥダを南帆安(みなみほあん)とか、久部良とかにみんな按司として配置してね、治めさしていたわけ。ウトゥダとは兄弟ってことだけど、また親しい仲間もウトゥダっていうからね、その按司がこの人の兄弟だったか、仲間だったかは分からないですね。そんなにして、サンアイイソバが島を治めていた時代に仲屋金盛がオヤケ赤蜂を征伐して、今度は与那国を攻めに来たときに、サンアイイソバは、怖い夢を見て、これは何事だろうと慌てて起きてみると、サンアイイソバの住んでいたところは、島の中央の高台になっている島仲だからね、島全体がみんな見えるわけよね。そしたら、按司みたいにして自分が治めさしている東の方の帆安の所に火事が出ていたので、その時にサンアイイソバアブは、「これは大変だ。」と途中にあるクバの木を引っこ抜いて投げながら急いで走って行くとアラタドゥっていうところでばったり会ったのが攻めてきた仲屋金盛だから、サンアイイソバはすぐそこでひっつかまえているわけ。もう足をひっつかまえて引き裂こうとしたが、「帆安の按司は生け捕りか、殺したのか。」って言ったら、最初、仲屋金盛はあわてて、「殺した。」と言ったもんだからすぐ足を捕まえて両足を引き裂こうとしたら、金盛は智恵があるから、「いや、殺してない。生け捕りだ。」と言うと、イソバアブは、「そうか。」と言って、ぽっともう金盛を投げてほったらかして行ったそうですけど、行ってみたら後のまつりで、みんなもう焼けて殺されていた。残念ながら仲屋金盛は、そこから逃げて久部良に行く途中でも、そこにあった村を焼き払い、次々に按司なんかを殺したから、サンアイイソバが追ってきたときには、この人たちは山の中に逃げて隠れて、そしてもと来た所から逃げていったそうだ。この人は晩年になると、天蛇鼻の上の大きな石の上に座って、いつも皆が乗っている船の航海安全を祈っていたっていう話もあります。
全体の記録時間数 3:24
物語の時間数 3:10
言語識別
音源の質 ◯(雑音あり)
テープ番号
予備項目1

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