与儀のハンダー(シマグチ混)

概要

私たちが聞いたのは、明治時代の話ですがね。ここ平安座では、祝女殿内(ぬるどぅんち)、山城、それから池(いち)味祝女殿内、名護(なぐ)、謝名。それが大きい家ですね。それらの家は割りふりが大きいわけですよ。それで、あんときはもう、首里から仲田が来られたときに、地割(じーわ)いがあったわけですよね。そんときに、自分らはいい所ばかり、二千から、三千坪ずつ取ったわけです。そうして、村人に地割いしたのはみんな悪い所ですよね。女は三十坪、男は六十坪。そうやって土地の分配があったので、これを与儀(ゆーじ)のハンダーという人は不服としたんだね。「これではいけない。なぜ、首里那覇から来たマギーター(役人)は何千坪も囲ってからに、僕等一般には、なぜ悪い所の、百坪、五十坪しかくれないか。これやり直しなさい。」と、上告したらしいですよ。そしたら、この上告が首里に行かない前に、平安座のマギーターが集まってね、「与儀(ゆーじ)や、やんださぁだから、くれぇただちや許(ゆる)ちやまらん(与儀は反逆者だから、こいつは野放しにはしておけない。」と言って、与儀のハンダーをとっ捕まえて与那国に島流ししたそうですよ。それで与儀のハンダーという人は、知恵は勝っているが、手下がたりないで、島流しされて犠牲になったんだよ。それで、西に六、七十坪ぐらいの土地があって、今でもその屋敷ぐわ ーはありますが、そこは与儀のハンダーの屋敷だったというんです。与儀のハンダーは、みんなのそういう考えで、与那国に渡るまでは手をこう後ろに縛られて、この屋敷小に置かれてあったというんですよ。それで、その隣にですね、前森(まえもり)という家があるわけですよ。前森の家(うち)のお爺さんが、縛られている与儀のハンダーを、可哀相に思ってさ。夜は水持って行って飲ましたというわけです。そうしたもんだから、この与儀のハンダーから、「ええ、前森(めーもり)。いゃぁや、後(あとー)、でぃきやん(ぐゎ)んさー生(な)すぐとぅ。ありがとーどー(なぁ、前森。あなたには将来、立派な子孫が、たくさん生まれるはずだ。ありがとうなぁ)。」と、こう言われてね。それで、その遺言どおり、前森家はみんな子供が出世しておるわけですよ。だから、平安座では昔から、「良(い)い事(くとー)しちん、悪事(やなくとー)すなよぁ(良いことはして、悪いことはするなよう)。」と言うんですよ。そいでこの与儀のハンダー事件ですね。過去のものでありますが、そうとう供養御願(うがん)をした家庭がたくさんあるわけですよ。この与儀のハンダーを縛って苦しめた家庭は不幸があったわけ。それで、「人(ちゅ)んかいや綱縄(ちななー)や掛(か)きんなよー〔人には縄をかけるなよう〕。」という言葉が平安座にはあるわけですよ。

再生時間:7:24

民話詳細DATA

レコード番号 47O411914
CD番号 47O37C073
決定題名 与儀のハンダー(シマグチ混)
話者がつけた題名
話者名 丑番清治
話者名かな うしばんせいじ
生年月日 19210504
性別
出身地 与那城村平安座
記録日 19870731
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 与那城村T15A12
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 祝女殿内,山城,池味祝女殿内,名護(なぐ),謝名,首里から仲田,地割,与儀のハンダー,上告,島流し,与那国,前森のお爺さん
梗概(こうがい) 私たちが聞いたのは、明治時代の話ですがね。ここ平安座では、祝女殿内(ぬるどぅんち)、山城、それから池(いち)味祝女殿内、名護(なぐ)、謝名。それが大きい家ですね。それらの家は割りふりが大きいわけですよ。それで、あんときはもう、首里から仲田が来られたときに、地割(じーわ)いがあったわけですよね。そんときに、自分らはいい所ばかり、二千から、三千坪ずつ取ったわけです。そうして、村人に地割いしたのはみんな悪い所ですよね。女は三十坪、男は六十坪。そうやって土地の分配があったので、これを与儀(ゆーじ)のハンダーという人は不服としたんだね。「これではいけない。なぜ、首里那覇から来たマギーター(役人)は何千坪も囲ってからに、僕等一般には、なぜ悪い所の、百坪、五十坪しかくれないか。これやり直しなさい。」と、上告したらしいですよ。そしたら、この上告が首里に行かない前に、平安座のマギーターが集まってね、「与儀(ゆーじ)や、やんださぁだから、くれぇただちや許(ゆる)ちやまらん(与儀は反逆者だから、こいつは野放しにはしておけない。」と言って、与儀のハンダーをとっ捕まえて与那国に島流ししたそうですよ。それで与儀のハンダーという人は、知恵は勝っているが、手下がたりないで、島流しされて犠牲になったんだよ。それで、西に六、七十坪ぐらいの土地があって、今でもその屋敷ぐわ ーはありますが、そこは与儀のハンダーの屋敷だったというんです。与儀のハンダーは、みんなのそういう考えで、与那国に渡るまでは手をこう後ろに縛られて、この屋敷小に置かれてあったというんですよ。それで、その隣にですね、前森(まえもり)という家があるわけですよ。前森の家(うち)のお爺さんが、縛られている与儀のハンダーを、可哀相に思ってさ。夜は水持って行って飲ましたというわけです。そうしたもんだから、この与儀のハンダーから、「ええ、前森(めーもり)。いゃぁや、後(あとー)、でぃきやん(ぐゎ)んさー生(な)すぐとぅ。ありがとーどー(なぁ、前森。あなたには将来、立派な子孫が、たくさん生まれるはずだ。ありがとうなぁ)。」と、こう言われてね。それで、その遺言どおり、前森家はみんな子供が出世しておるわけですよ。だから、平安座では昔から、「良(い)い事(くとー)しちん、悪事(やなくとー)すなよぁ(良いことはして、悪いことはするなよう)。」と言うんですよ。そいでこの与儀のハンダー事件ですね。過去のものでありますが、そうとう供養御願(うがん)をした家庭がたくさんあるわけですよ。この与儀のハンダーを縛って苦しめた家庭は不幸があったわけ。それで、「人(ちゅ)んかいや綱縄(ちななー)や掛(か)きんなよー〔人には縄をかけるなよう〕。」という言葉が平安座にはあるわけですよ。
全体の記録時間数 7:24
物語の時間数 7:24
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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