清命の日の由来(共通語)

概要

昔、首里に貧乏者の墓と金持ちの墓が隣り合わせに並んでいた。貧乏者はご馳走を作れずに打ち紙だけを焼いて供養する。金持ちの墓ではご馳走をたくさん作り、打ち紙は焼いてあげなかった。その晩、夜中の2時頃、死んだ金持ちの人が貧乏の墓を訪ね、三百という金を借りて、金持ちの死んだ人は後生での小遣いにあてる。それから三日目に金持ちの子供が病気になる。家の人は驚いて、易学に見せる。清命の日に打ち紙を焼かなかったからだと言われる。そして、金持ちの死んだ後生の人達が、隣の貧乏者の後生の人達に三百貫ずつ借りてあるので、その金を隣の貧乏者の家に返すように言われる。金を返しに行くが、貧乏なので貸す金はなかったはずだと、金は受け取らなかった。リッ雄はよくよく話して、金は貧乏の家において家に帰ってみると、子供の病気はきれいに治っていた。それから、十二月二日には清命といって、みんなで墓に行き、それぞれご馳走も持って行き、また打ち紙もするようになった。沖縄の清命はこれから始まった。

再生時間:5:28

民話詳細DATA

レコード番号 47O410660
CD番号 47O41C018
決定題名 清命の日の由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 東江鉄造
話者名かな あがりえてつぞう
生年月日 不明
性別
出身地 与那城村上原
記録日 19720802
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 与那城村T19B07
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 首里,貧乏者の墓,金持ちの墓,ご馳走,打ち紙,後生での小遣い,金持ちの子供が病気,易学,清命の日,三百貫,十二月二日
梗概(こうがい) 昔、首里に貧乏者の墓と金持ちの墓が隣り合わせに並んでいた。貧乏者はご馳走を作れずに打ち紙だけを焼いて供養する。金持ちの墓ではご馳走をたくさん作り、打ち紙は焼いてあげなかった。その晩、夜中の2時頃、死んだ金持ちの人が貧乏の墓を訪ね、三百という金を借りて、金持ちの死んだ人は後生での小遣いにあてる。それから三日目に金持ちの子供が病気になる。家の人は驚いて、易学に見せる。清命の日に打ち紙を焼かなかったからだと言われる。そして、金持ちの死んだ後生の人達が、隣の貧乏者の後生の人達に三百貫ずつ借りてあるので、その金を隣の貧乏者の家に返すように言われる。金を返しに行くが、貧乏なので貸す金はなかったはずだと、金は受け取らなかった。リッ雄はよくよく話して、金は貧乏の家において家に帰ってみると、子供の病気はきれいに治っていた。それから、十二月二日には清命といって、みんなで墓に行き、それぞれご馳走も持って行き、また打ち紙もするようになった。沖縄の清命はこれから始まった。
全体の記録時間数 5:38
物語の時間数 5:28
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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