瓦屋節(共通語)

概要

昔、沖縄は支那と貿易していた。昔、沖縄で家をカヤで造っていた時、強い風が来るとみんな飛ばされていたので、どうにかして唐から瓦を焼く人を連れてきて技術を習った。それから何年もたって、その人が唐に帰ると言うので、あなたが気に入った女は誰でもあなたにくれるから唐に帰らずにいてくれと頼んだ。瓦屋のところに女が通った。ある女は大変美人だったので、瓦屋はこの女を自分の奥さんにしてくれたら国に帰らなくてもいいと言った。その女には夫も子供もいたので、女は断ったが、それを無理やり瓦屋にやった。その女は百姓だから侍の命令には絶対服従だから、しかたなく瓦屋の妻になった。妻はおいしいご馳走を食べ、贅沢な暮らしをしたが、何年たっても夫や子供のことを忘れることはできなかった。この唐人が関係をせまると「待ってくれ、自分の心の納得がいるから待ってくれ」と言った。この女は絶対笑い顔も見せなかった。これをどうにか慰めようと8月15日の夜に月見に連れて行った。女は「デチャルタチャガ」とか「里ヤウガァ」と言って月を眺めた。今頃自分の里はどうしているかと歌った。この女はどうにかして自分の家に帰りたいと思い、その時期を待っていると、この女の子どもが大きくなって「私を生んだ人が山をはさんで向こうにいるが、この山を通り抜けて親の顔を見たい」という歌を歌った。この歌は女のところまで聞こえてきたが、自由にはならなかったので、歌を返した。確かに私の子供が歌っている。いつか子供が来たらと待っていた。この唐人は私が便所に行くのもついて来る。この唐人を殺さなければ、自分はお前を育てることはできない。お前のお父さんのところには帰れない。このことを聞いた子どもは忍んでやって来て、カマでこの唐人を殺した。王様から呼ばれ打ち首になるとこで、わけを話したら、王様は「人の愛をわからず、こんなになったのは自分が悪い」と言って許してくれた。親子はその後、幸せに暮らした。

再生時間:8:24

民話詳細DATA

レコード番号 47O380899
CD番号 47O38C046
決定題名 瓦屋節(共通語)
話者がつけた題名
話者名 仲里文蔵
話者名かな なかざとぶんぞう
生年月日 19101107
性別
出身地 沖縄県島尻郡伊平屋村字田名
記録日 19800907
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 島尻郡伊平屋村田名 T09 A03 
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、 歌
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 沖縄,支那,唐,瓦,瓦屋,侍,命令,絶対服従,贅沢,唐人,月見,歌,打ち首
梗概(こうがい) 昔、沖縄は支那と貿易していた。昔、沖縄で家をカヤで造っていた時、強い風が来るとみんな飛ばされていたので、どうにかして唐から瓦を焼く人を連れてきて技術を習った。それから何年もたって、その人が唐に帰ると言うので、あなたが気に入った女は誰でもあなたにくれるから唐に帰らずにいてくれと頼んだ。瓦屋のところに女が通った。ある女は大変美人だったので、瓦屋はこの女を自分の奥さんにしてくれたら国に帰らなくてもいいと言った。その女には夫も子供もいたので、女は断ったが、それを無理やり瓦屋にやった。その女は百姓だから侍の命令には絶対服従だから、しかたなく瓦屋の妻になった。妻はおいしいご馳走を食べ、贅沢な暮らしをしたが、何年たっても夫や子供のことを忘れることはできなかった。この唐人が関係をせまると「待ってくれ、自分の心の納得がいるから待ってくれ」と言った。この女は絶対笑い顔も見せなかった。これをどうにか慰めようと8月15日の夜に月見に連れて行った。女は「デチャルタチャガ」とか「里ヤウガァ」と言って月を眺めた。今頃自分の里はどうしているかと歌った。この女はどうにかして自分の家に帰りたいと思い、その時期を待っていると、この女の子どもが大きくなって「私を生んだ人が山をはさんで向こうにいるが、この山を通り抜けて親の顔を見たい」という歌を歌った。この歌は女のところまで聞こえてきたが、自由にはならなかったので、歌を返した。確かに私の子供が歌っている。いつか子供が来たらと待っていた。この唐人は私が便所に行くのもついて来る。この唐人を殺さなければ、自分はお前を育てることはできない。お前のお父さんのところには帰れない。このことを聞いた子どもは忍んでやって来て、カマでこの唐人を殺した。王様から呼ばれ打ち首になるとこで、わけを話したら、王様は「人の愛をわからず、こんなになったのは自分が悪い」と言って許してくれた。親子はその後、幸せに暮らした。
全体の記録時間数 8:44
物語の時間数 8:24
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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