我喜屋の始まり(共通語)

概要

我喜屋部落は一番最初、西側のサーフーというところから始まった。それは大和から攻められたのかどうかわからないが、人が全部殺されてしまって、男と女が残った。この二人は兄弟で、この二人からが部落は始まった。食べ物は魚や貝などを食べた時代で、今でもそこでは貝殻などが出る。これはギマクの畑です。ここから移ったのが上里。お宮の前です。「うぃーさと」と言っているが、これは親里のことだと思う。ヤマガーというハル名があるが、そこには新里と親里という畑があった。だから上里は親里のことではないかと思っている。この上里はヤグラ畑ともよばれて、ここで尚巴志の甥が育った。この側に谷間があって、ここにヤグラクラシチというのがある。クラシチというのは穀物などを納めるところである。ここが二番目。三番目はずっと後ろの方のウチムラというのですが、ここには70軒ほどの家があった。畑は5,6ヶ所ほどあった。ヤグラ時代の墓が今もある。このウチムラの70軒の家の人が全部今の学校の前に移った。それから分家などして広がった。山の手前は二メートルくらい掘ると白い砂浜になるので、そこまでは昔は海だったのではないか。トマィというところがあるが、ここは昔、船が泊ったところである。またウージというところがるが、ウージというのは海うなぎのことである。またシルハマというところもある。

再生時間:7:30

民話詳細DATA

レコード番号 47O380730
CD番号 47O38C037
決定題名 我喜屋の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 西江幸徳
話者名かな にしえこうとく
生年月日 19080612
性別
出身地 沖縄県島尻郡伊平屋村字我喜屋
記録日 19800908
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 島尻郡伊平屋村我喜屋 T02 A11-B01 
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、
発句(ほっく)
伝承事情 母から聞いた。
文字化資料
キーワード 我喜屋部落,サーフー,兄弟,貝殻,ギマクの畑,上里,うぃーさと,ヤマガー,新里,親里,ヤグラ畑,尚巴志,甥,ヤグラクラシチ,穀物,ウチムラ,トマィ,ウージ,海うなぎ,シルハマ
梗概(こうがい) 我喜屋部落は一番最初、西側のサーフーというところから始まった。それは大和から攻められたのかどうかわからないが、人が全部殺されてしまって、男と女が残った。この二人は兄弟で、この二人からが部落は始まった。食べ物は魚や貝などを食べた時代で、今でもそこでは貝殻などが出る。これはギマクの畑です。ここから移ったのが上里。お宮の前です。「うぃーさと」と言っているが、これは親里のことだと思う。ヤマガーというハル名があるが、そこには新里と親里という畑があった。だから上里は親里のことではないかと思っている。この上里はヤグラ畑ともよばれて、ここで尚巴志の甥が育った。この側に谷間があって、ここにヤグラクラシチというのがある。クラシチというのは穀物などを納めるところである。ここが二番目。三番目はずっと後ろの方のウチムラというのですが、ここには70軒ほどの家があった。畑は5,6ヶ所ほどあった。ヤグラ時代の墓が今もある。このウチムラの70軒の家の人が全部今の学校の前に移った。それから分家などして広がった。山の手前は二メートルくらい掘ると白い砂浜になるので、そこまでは昔は海だったのではないか。トマィというところがあるが、ここは昔、船が泊ったところである。またウージというところがるが、ウージというのは海うなぎのことである。またシルハマというところもある。
全体の記録時間数 9:17
物語の時間数 7:30
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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