昔は、久志村へ抜ける道は海岸沿いの岸壁の道を行った。その道は人一人しか通れない道だったので、両方から人が来たときは、どちらかが戻らなければならないのでムドゥル道といった。現在は使われていない。川田へ行く途中の川は大きく、橋もなかったので、学校へ行くときなど本を風呂敷に包み手ぬぐいに芋を包んで川の中を渡った。困ったのは潮が満ちた時で、胸まで水に浸かって渡った。大雨が降ったときは 部落民がみんな出て生徒を渡すために船を出した。その渡し舟の代金は一人一銭だった。徴兵された人を見送るときなどは山道を降りたり上ったりして大宜味村の津波を越えて羽地の源河まで見送った。太鼓を叩いて行った。ここらは山村で山国だったので薪を切り出して山原船で運んだ。船持ちは平安座の人だった。この人たちは糸満を回って那覇まで持っていった。だから毎日の生活は薪で稼いでいた。ほとんど自給自足だったが、生活に必要なその他のもの、米とかメリケン、ソーメン、大豆、酒などは全て船に頼っていた。だから暴風が吹いて船が欠航すると大変だった。暴風が吹くと避難するために山原船が二十艘くらい入ってきた。帆船なので風が向かい風になると真っ直ぐ入ってこれないので曲がりくねって入って来る。そのことを「川田 平良 ンカイ カタチバイ」と言った。東村には橋などなかった。アヂザカという内地の人が設計して大きな松ノ木を丸太にしてハンマーで打ち込んだのが始まりである。
| レコード番号 | 47O380654 |
|---|---|
| CD番号 | 47O38C033 |
| 決定題名 | 民俗 交通 その他(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 金城蔵吉 比嘉政孝 |
| 話者名かな | きんじょうぞうきち ひがせいこう |
| 生年月日 | 19030117 19060315 |
| 性別 | 男 男 |
| 出身地 | 沖縄県国頭郡東村字平良 沖縄県国頭郡東村字平良 |
| 記録日 | 19790804 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 東村字平良 T23 B11 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 久志村,ムドゥル道,川田,大雨,渡し舟,徴兵,大宜味村,津波,羽地,源河,山村,薪,山原船,平安座,自給自足,暴風,カタチバイ |
| 梗概(こうがい) | 昔は、久志村へ抜ける道は海岸沿いの岸壁の道を行った。その道は人一人しか通れない道だったので、両方から人が来たときは、どちらかが戻らなければならないのでムドゥル道といった。現在は使われていない。川田へ行く途中の川は大きく、橋もなかったので、学校へ行くときなど本を風呂敷に包み手ぬぐいに芋を包んで川の中を渡った。困ったのは潮が満ちた時で、胸まで水に浸かって渡った。大雨が降ったときは 部落民がみんな出て生徒を渡すために船を出した。その渡し舟の代金は一人一銭だった。徴兵された人を見送るときなどは山道を降りたり上ったりして大宜味村の津波を越えて羽地の源河まで見送った。太鼓を叩いて行った。ここらは山村で山国だったので薪を切り出して山原船で運んだ。船持ちは平安座の人だった。この人たちは糸満を回って那覇まで持っていった。だから毎日の生活は薪で稼いでいた。ほとんど自給自足だったが、生活に必要なその他のもの、米とかメリケン、ソーメン、大豆、酒などは全て船に頼っていた。だから暴風が吹いて船が欠航すると大変だった。暴風が吹くと避難するために山原船が二十艘くらい入ってきた。帆船なので風が向かい風になると真っ直ぐ入ってこれないので曲がりくねって入って来る。そのことを「川田 平良 ンカイ カタチバイ」と言った。東村には橋などなかった。アヂザカという内地の人が設計して大きな松ノ木を丸太にしてハンマーで打ち込んだのが始まりである。 |
| 全体の記録時間数 | 10:42 |
| 物語の時間数 | 10:34 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |