大正三年頃有銘にあった学校は天銘小学校。有銘部落と天仁屋部落が校区だったことからその名がついた。大正七年に天銘尋常高等小学校に昇格した。翁長さんは名護の国頭高等女学校を卒業して教員免許をとった。小学校教員免許の受験科目は小学校の全教科の科目が対象だった。国語、算数、社会、作文、音楽、歴史、理科、地理、体育など。これは小学校正科教員の免許で、これをとると恩給がついた。この他に代用教員というのがいた。代用教員は女学校、中学校を卒業すると準教員免許状を取得することができた。翁長さんが勤めた天銘尋常高等小学校には校長が一名、次席(教頭とは言わなかった)、教員が男三名、女ニ名がいた。女の一名は本土出身者だった。先生方は小学校と高等科を兼任した。学校の先生方はよく教鞭で叩いたので怖かった。学校より家庭のしつけの方が厳しかった。言葉使い、礼儀作法などは特にしつけが厳しかった。翁長さんの家庭では首里の寄留民の祖父に厳しくしつけられた。父親は五歳のときにハワイに移住した。学用品は一年の時は石筆、石板、筆入れなど。二年になると鉛筆とノートになった。学用品は自分達で買わなければならなかった。学年進級時には出席優等、成績優秀者には学用品が褒美として与えられた。一年生の国語の教科書はハナハト。これはハナから始まってハト、マメ、マスと一ページごとに絵入りの文字が続いた。それに算数と修身の三つだった。お昼の食事は家に帰って食べた。芋とか菜っ葉の漬物とかカラスグァなどがあった。方言札は運動場で遊んでいる仲間から方言使用者を探し出して札を回した。札は首に吊るしたが恥ずかしくてかける人はいなかった。
| レコード番号 | 47O380408 |
|---|---|
| CD番号 | 47O38C020 |
| 決定題名 | 民俗 教育 知識(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 翁長ナヘ |
| 話者名かな | おながなえ |
| 生年月日 | 19070803 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 沖縄県国頭郡東村字有銘 |
| 記録日 | 19790803 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 東村字有銘 T15 A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 有銘,天銘小学校,天仁屋,天銘尋常高等小学校,名護,国頭高等女学校,教員免許,正科教員,代用教員,教鞭,しつけ,言葉使い,礼儀作法,首里,寄留民,石筆,石板,筆入れ,鉛筆,ノート,褒美,ハナハト,算数,修身,カラスグァ,方言札 |
| 梗概(こうがい) | 大正三年頃有銘にあった学校は天銘小学校。有銘部落と天仁屋部落が校区だったことからその名がついた。大正七年に天銘尋常高等小学校に昇格した。翁長さんは名護の国頭高等女学校を卒業して教員免許をとった。小学校教員免許の受験科目は小学校の全教科の科目が対象だった。国語、算数、社会、作文、音楽、歴史、理科、地理、体育など。これは小学校正科教員の免許で、これをとると恩給がついた。この他に代用教員というのがいた。代用教員は女学校、中学校を卒業すると準教員免許状を取得することができた。翁長さんが勤めた天銘尋常高等小学校には校長が一名、次席(教頭とは言わなかった)、教員が男三名、女ニ名がいた。女の一名は本土出身者だった。先生方は小学校と高等科を兼任した。学校の先生方はよく教鞭で叩いたので怖かった。学校より家庭のしつけの方が厳しかった。言葉使い、礼儀作法などは特にしつけが厳しかった。翁長さんの家庭では首里の寄留民の祖父に厳しくしつけられた。父親は五歳のときにハワイに移住した。学用品は一年の時は石筆、石板、筆入れなど。二年になると鉛筆とノートになった。学用品は自分達で買わなければならなかった。学年進級時には出席優等、成績優秀者には学用品が褒美として与えられた。一年生の国語の教科書はハナハト。これはハナから始まってハト、マメ、マスと一ページごとに絵入りの文字が続いた。それに算数と修身の三つだった。お昼の食事は家に帰って食べた。芋とか菜っ葉の漬物とかカラスグァなどがあった。方言札は運動場で遊んでいる仲間から方言使用者を探し出して札を回した。札は首に吊るしたが恥ずかしくてかける人はいなかった。 |
| 全体の記録時間数 | 20:34 |
| 物語の時間数 | 20:34 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |