村には公有林があり、他の部落の人が入らないように専従の山係りを決め、年中、山を見張っていた。違反者からは斧や刀を取り上げ、罰金を払わせた。部落内の人に出会うのは平気だが、塩屋や津覇の人たちは山の中で出会うと何をされるかわからないので、話し方にも気をつけないと恐ろしかった。港川さんは防衛隊の身体検査で一度は合格したが、その後合格している人たちのところに海軍の若い兵隊が来て、このうちで自信のない者手を挙げなさいと言ったので、逃れたくて手を挙げた。そして「睾丸が悪い」と答え医務室に行って軍医に見せると、これは酷いからと不合格の印を押されて、二ヶ月で帰ってきた。それからすぐに沖縄戦が始まったので、睾丸のために命拾いした。戦争中、読谷あたりから逃げてきた人がたくさんいた。その人たちが来ても食料には困らなかった。山の中にずっと隠れていたが、アメリカ軍が平良から上陸すると山から下りて、アメリカ軍に家を焼かないでくれとお願いし、女、子どもは羽地の収容所、男は今帰仁にニ、三ヶ月いた。だから戦争で焼けた家は少ない。30軒くらいは残った。昔は人が多かった。だんだん少なくなり、最近は若者が帰ってきている。皆、パインを作っている。八割がたはパインである。現在は43戸くらいある。昔は那覇に行く時などは二日間歩いていくか、名護まで歩いて馬車に乗る。山原船で与那原か平安座か泡瀬まで行って、そこから軽便鉄道や馬車に乗って行った。結婚はほとんどが部落内の結婚だった。ブラジルへの移民は、最初の移民が大正一年に一人、大正六年に14,5人がいった。井戸は現在の公民館の前に一つあった。川の水は使わなかった。各家に井戸を掘るようになってからも、海が近くにあるせいであまりいい水は出ないので、飲み水は公民館の前の井戸水を使った。水は豊富だった。ユイマールは昔、家を造るときにやった。簡単なアナヤーは一日、本建築のヌチンジャーは三日くらいだった。茅葺のときは村人総出でやった。その他、田植えや砂糖を作るときもユイマールだった。今でもサトウキビの刈りだしはユイマールである。戦前は、お酒、煙草、ソーメン、マッチなどの生活品は売店で山の薪と物々交換していた。
| レコード番号 | 47O380274 |
|---|---|
| CD番号 | 47O38C014 |
| 決定題名 | 民俗 社会生活 生業(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 港川次郎 島袋松次郎 |
| 話者名かな | みなとがわじろう しまぶくろまつじろう |
| 生年月日 | 19030416 19130715 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県国頭郡東村字慶佐次 沖縄県国頭郡東村字慶佐次 |
| 記録日 | 19790803 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 東村字慶佐次 T10 A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 山係り,罰金,塩屋,津覇,防衛隊,身体検査,沖縄戦,読谷,アメリカ軍,平良,羽地,今帰仁,パイン,山原船,軽便鉄道,ブラジル,移民,井戸,ユイマール,アナヤー,ヌチンジャー,茅葺,田植え,サトウキビ,薪,物々交換 |
| 梗概(こうがい) | 村には公有林があり、他の部落の人が入らないように専従の山係りを決め、年中、山を見張っていた。違反者からは斧や刀を取り上げ、罰金を払わせた。部落内の人に出会うのは平気だが、塩屋や津覇の人たちは山の中で出会うと何をされるかわからないので、話し方にも気をつけないと恐ろしかった。港川さんは防衛隊の身体検査で一度は合格したが、その後合格している人たちのところに海軍の若い兵隊が来て、このうちで自信のない者手を挙げなさいと言ったので、逃れたくて手を挙げた。そして「睾丸が悪い」と答え医務室に行って軍医に見せると、これは酷いからと不合格の印を押されて、二ヶ月で帰ってきた。それからすぐに沖縄戦が始まったので、睾丸のために命拾いした。戦争中、読谷あたりから逃げてきた人がたくさんいた。その人たちが来ても食料には困らなかった。山の中にずっと隠れていたが、アメリカ軍が平良から上陸すると山から下りて、アメリカ軍に家を焼かないでくれとお願いし、女、子どもは羽地の収容所、男は今帰仁にニ、三ヶ月いた。だから戦争で焼けた家は少ない。30軒くらいは残った。昔は人が多かった。だんだん少なくなり、最近は若者が帰ってきている。皆、パインを作っている。八割がたはパインである。現在は43戸くらいある。昔は那覇に行く時などは二日間歩いていくか、名護まで歩いて馬車に乗る。山原船で与那原か平安座か泡瀬まで行って、そこから軽便鉄道や馬車に乗って行った。結婚はほとんどが部落内の結婚だった。ブラジルへの移民は、最初の移民が大正一年に一人、大正六年に14,5人がいった。井戸は現在の公民館の前に一つあった。川の水は使わなかった。各家に井戸を掘るようになってからも、海が近くにあるせいであまりいい水は出ないので、飲み水は公民館の前の井戸水を使った。水は豊富だった。ユイマールは昔、家を造るときにやった。簡単なアナヤーは一日、本建築のヌチンジャーは三日くらいだった。茅葺のときは村人総出でやった。その他、田植えや砂糖を作るときもユイマールだった。今でもサトウキビの刈りだしはユイマールである。戦前は、お酒、煙草、ソーメン、マッチなどの生活品は売店で山の薪と物々交換していた。 |
| 全体の記録時間数 | 18:00 |
| 物語の時間数 | 17:38 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |