佐久本さんは昭和19年10月26日 18才で護卿隊に召集、名護で訓練を受けた。護卿隊には国頭、大宜味、東の三村からは18才~20才までの人が集められ200人で大隊を編成した。東村から召集された人のうち高江出身者は13名だったが、佐久本さんはタマ188-14部隊、畑中隊に配属され、米軍上陸時には恩納村安富祖に配置された。13名中2名は機銃で戦死、2名が負傷した。負傷者の1名は野戦病院が撤退する時、他の重傷の負傷者と共に軍医にピストルで射殺された。他の1名は足を撃たれ歩けなかったが、佐久本さんが本部付きで武器を入手しやすかったので、佐久本さんに手榴弾を手に入れてくれと頼み、それを与えると、介抱していた友人を水汲みに行かせて、その間に手榴弾で自殺した。東村の護卿隊の人たちは1ヵ月ほどかかって有銘につき、そこで解散した。佐久本さんは、川田に米軍がいたので山伝いに高江についた。高江は家が全て焼け、家族はどこに行ったかわからなかったが、4,5日後、大宜味村の謝名城にいることを知り、その夜のうちに謝名城に行って家族と会うことができた。その後、高江に引き上げてきたが、14軒の家族でユイをして一軒ずつ家を建てた。一軒建てるのには4,5日程かかった。
| レコード番号 | 47O380035 |
|---|---|
| CD番号 | 47O38C002 |
| 決定題名 | 戦時記録(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 佐久本盛栄 |
| 話者名かな | さくもとせいえい |
| 生年月日 | 19271105 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県国頭郡東村字高江 |
| 記録日 | 19790802 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 東村字高江 T01 B06 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 昭和19年,護卿隊,召集,名護,国頭,大宜味,東,米軍,恩納村,安富祖,軍医,射殺,手榴弾,自殺,有銘,川田,謝名城,ユイ |
| 梗概(こうがい) | 佐久本さんは昭和19年10月26日 18才で護卿隊に召集、名護で訓練を受けた。護卿隊には国頭、大宜味、東の三村からは18才~20才までの人が集められ200人で大隊を編成した。東村から召集された人のうち高江出身者は13名だったが、佐久本さんはタマ188-14部隊、畑中隊に配属され、米軍上陸時には恩納村安富祖に配置された。13名中2名は機銃で戦死、2名が負傷した。負傷者の1名は野戦病院が撤退する時、他の重傷の負傷者と共に軍医にピストルで射殺された。他の1名は足を撃たれ歩けなかったが、佐久本さんが本部付きで武器を入手しやすかったので、佐久本さんに手榴弾を手に入れてくれと頼み、それを与えると、介抱していた友人を水汲みに行かせて、その間に手榴弾で自殺した。東村の護卿隊の人たちは1ヵ月ほどかかって有銘につき、そこで解散した。佐久本さんは、川田に米軍がいたので山伝いに高江についた。高江は家が全て焼け、家族はどこに行ったかわからなかったが、4,5日後、大宜味村の謝名城にいることを知り、その夜のうちに謝名城に行って家族と会うことができた。その後、高江に引き上げてきたが、14軒の家族でユイをして一軒ずつ家を建てた。一軒建てるのには4,5日程かかった。 |
| 全体の記録時間数 | 29:43:00 |
| 物語の時間数 | 27:49:00 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |