田港と根路銘の土地分け(シマグチ)

概要

昔、田港大主(たんなうふぬし)には田港主(たんなんすー)と根路銘主(みんにんすー)という二人の子どもがいた。田港大主は、首里から事情があって、大宜味間切に来て、塩屋からこの根路銘一帯を支配していた。この人が首里に帰るとき、根路銘で、田港大主は、「自分も年をとったから子供達に土地をゆずろう」ということで、二人の子供を田港嶽の上に連れて行って、「お父さんは首里に帰るんだが、支配している土地を二人に分けてやるから希望を言いなさい」と言った。長男の田港主に、「君はどこの土地が欲しいか」と言うと、「見える所は全部私が貰いたい」と。次男で根路銘の係りの根路銘主は、「兄さんが見える所を全部貰うんだったら、私は見えない所を全部貰いましょう」と言った。田港大主は、「二人それでいいか」と言った。見える所は段々畑と山だけだから、そこは全部田港主がもらった。海岸の平地と山の間の窪地、盆地は見えないもんだから、これはみんな根路銘主がもらった。ところが、この話は田港では違っている。違っているところは、嶽の上に登ってではない。田港大主が、田港主、根路銘主の子供二人を船に乗せて沖に漕ぎ出て、海の沖に連れて行って、沖から眺めて、「どこをもらうか」と言ったら、田港主は、やっぱり、「見えるところ」と言った。そしたら山と段畑しかない。平地は水平線の下だから見えないわけ。そしたら根路銘の根路銘主は、「見えないところ」と言って、平地をもらった。だから、違うところは、根路銘では山の上から見たと言っていて、田港では沖での話だという。これが田港主と根路銘主の土地分けの話です。明治三六年の土地を見たら、根路銘はちょうどそのとおりになっておったわけです。港から東に行くあの平地は全部根路銘のもの、それから田港のダチガーという所も全部、塩屋のウッカーという所も今のマシカジというあの病院の近辺、電電公社の所、宮城の突き出た所、そういう所のほとんどの平地、塩屋の港の周囲の平地がみんな、根路銘のものになっておった。明治、大正までこのへんの平地は全部根路銘のものだから、後であまり農地区が広いので、稲も青苅、草を生やしたままで牛の草にする。水も塞止めて田んぼをカラカラにして農業のじゃまするものだから、みんな後で売っているわけです。これがその事実を証明した話になっている。だから、明治三六年の土地の状況を元に誰かが話に作ったんじゃないかという人もおるわけです。しかし、宮里金一郎さんの話では、「これは我々の村のある田港間切ができたのは、今から三百二、三十年前の尚貞王のころだから、その間切ができる前で、北山が滅んだのが四百四、五十年前だから、三山が喧嘩しておるその前の話だ」と言っている。話は土地を分配したというそれだけの話で、根路銘主は平地を貰ったそうだという話です。

再生時間:8:45

民話詳細DATA

レコード番号 47O220379
CD番号 47O22C018
決定題名 田港と根路銘の土地分け(シマグチ)
話者がつけた題名 田港と根路銘の土地分け
話者名 宮城倉栄
話者名かな みやぎそうえい
生年月日 19071223
性別
出身地 沖縄県大宜味村根路銘
記録日 19830304
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 大宜味村根路銘T16B03
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 大宜味村史、その他自分で調べて
文字化資料
キーワード 田港大主,子供,田港主,根路銘主(みんにんすー),首里,大宜味間切,塩屋,根路銘,支配,土地をゆずろう,田港嶽の上,土地を分ける,希望,長男,見える所は全部,次男,見えない所,段畑,山,海岸,平地,山の間の窪地,盆地,田港,船に乗せて,沖に漕ぎ出る,海の沖,眺め,水平線の下,明治三六年,
梗概(こうがい) 昔、田港大主(たんなうふぬし)には田港主(たんなんすー)と根路銘主(みんにんすー)という二人の子どもがいた。田港大主は、首里から事情があって、大宜味間切に来て、塩屋からこの根路銘一帯を支配していた。この人が首里に帰るとき、根路銘で、田港大主は、「自分も年をとったから子供達に土地をゆずろう」ということで、二人の子供を田港嶽の上に連れて行って、「お父さんは首里に帰るんだが、支配している土地を二人に分けてやるから希望を言いなさい」と言った。長男の田港主に、「君はどこの土地が欲しいか」と言うと、「見える所は全部私が貰いたい」と。次男で根路銘の係りの根路銘主は、「兄さんが見える所を全部貰うんだったら、私は見えない所を全部貰いましょう」と言った。田港大主は、「二人それでいいか」と言った。見える所は段々畑と山だけだから、そこは全部田港主がもらった。海岸の平地と山の間の窪地、盆地は見えないもんだから、これはみんな根路銘主がもらった。ところが、この話は田港では違っている。違っているところは、嶽の上に登ってではない。田港大主が、田港主、根路銘主の子供二人を船に乗せて沖に漕ぎ出て、海の沖に連れて行って、沖から眺めて、「どこをもらうか」と言ったら、田港主は、やっぱり、「見えるところ」と言った。そしたら山と段畑しかない。平地は水平線の下だから見えないわけ。そしたら根路銘の根路銘主は、「見えないところ」と言って、平地をもらった。だから、違うところは、根路銘では山の上から見たと言っていて、田港では沖での話だという。これが田港主と根路銘主の土地分けの話です。明治三六年の土地を見たら、根路銘はちょうどそのとおりになっておったわけです。港から東に行くあの平地は全部根路銘のもの、それから田港のダチガーという所も全部、塩屋のウッカーという所も今のマシカジというあの病院の近辺、電電公社の所、宮城の突き出た所、そういう所のほとんどの平地、塩屋の港の周囲の平地がみんな、根路銘のものになっておった。明治、大正までこのへんの平地は全部根路銘のものだから、後であまり農地区が広いので、稲も青苅、草を生やしたままで牛の草にする。水も塞止めて田んぼをカラカラにして農業のじゃまするものだから、みんな後で売っているわけです。これがその事実を証明した話になっている。だから、明治三六年の土地の状況を元に誰かが話に作ったんじゃないかという人もおるわけです。しかし、宮里金一郎さんの話では、「これは我々の村のある田港間切ができたのは、今から三百二、三十年前の尚貞王のころだから、その間切ができる前で、北山が滅んだのが四百四、五十年前だから、三山が喧嘩しておるその前の話だ」と言っている。話は土地を分配したというそれだけの話で、根路銘主は平地を貰ったそうだという話です。
全体の記録時間数 8:54
物語の時間数 8:45
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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