謝名城の始まりというと、年代的に何千年なるか分からないが、謝名城部落は、この大宜味村とか国頭村など周辺地域では一番古い部落である。そのために色々と研究もされている。だから、部落の始まりはというと何千年前ということも、はっきりはしませんけれどもね、私の先祖なんですけれどもね、アダンガー、ムブンガーという昔の最初の村づくりの神様の話が残っている。今、根謝銘大屋(ねざみうふやー)の神棚に祭られているアダンガー、ムブンガーというウッキー(兄)とウナイ(妹)がどこからやって来て、城村(ぐすくむら)に住みついた。その時、屋敷がないので、ウッキーの屋敷はアダン畑を切り開いて立派に整地して、家を建てた。ウナイは、「お前はもう女だから、アダンの畑よりは開けやすい麦畑あけてから家をつくれ」と言われ、妹は麦畑を開いて家を建てて、兄と妹がそれぞれ隣り合って家立ちしたそうです。根謝銘(いんじゃみ)は、それ以前は人もいたのかいなかったのか分からないけれども、これがもう根謝銘(いんじゃみ)という部落の立ち始めと伝えています。それで、兄が妹に、「お前はもうここの部落を造った根神になれよ」と言って、妹をこの部落作りの根神にしているわけ。この根神の家の名は利禰屋(とぅないやー)と言いました。〔うちは利禰(とぅない)という屋号だったが、今は大城屋に名前を変えた。そのわけは、利禰(とぅない)というのは隣近所によく間違えられるので、名前を変えようということで、うちの祖父が変えた。大城屋が最近の名前になっているが、利禰(とぅない)というのは、とねやという意味で、土地の根の屋という意味が含まれていることがわかった。あちらこちら、根神を持っている家は利禰(とぅない)と言っている。大宜味でも根神の出ている家を利禰(とぅない)という。奄美大島あたりでは利根屋。こういうふうに意味があっての名前だったのに、隣近所という意味のトゥナイではないかと直したらしい。姓をとって大城屋にしたが、本当は利禰(とぅない)が正しいわけです〕そういうことで自分の部落をつくり、それからうちの家は今、根謝銘にあるが、先祖のアダンガー、ムブンガーは、城に住み始めたそうだ。城のスーヌメーという所が、私達の先祖が最初に住んだ所。ナーガーといって、田嘉里にいつどんなに干ばつしても切れない井戸がある。その井戸のナーというのはよく判明しないが、私の先祖が住みついて、ここに井戸があって、根(ニー)がナーというふうになまったんじゃないかとも考えられる。ニーガー、ナーガー、トゥナイ。どっちかのナーをとってナーガーにしたんじゃないかということも言えると思うが。小さいとき、おばあさんに連れられて、このナーガーを拝みに行ったが、私達の時代になって拝みに行かないから、水の神様に失礼になっているかもしれない。それで、ウナイを根神にして、ウッキーが根人(ニーンチュ)にならなければならない。しかし、今はこの根人が切れている。根人は大屋から出ないといけないわけだが、今頃、この根人が亡くなったのか、また大屋がこちらにいないで移民したりフィリッピンに行かれたりで上の先祖からも根人というものを出していない。それでも、アダンガー、ムブンガーの神棚はちゃんとあるわけです。こういうことで部落づくりがなされたという。アダンガー、ムブンガー伝説といいます。このことは部落の人もあまりわかっていない。私は先祖や大屋のおじいさんが歴史に詳しく、忘れるなということ受け継いできた。それから、こういうふうにして最初はグスクで始まって、グスクから農耕時代になるとどうしても下の方が便利ということで、根謝銘に下りてきたわけです。そして、子孫が広がるにつれて一名代(てぃんなす)という部落もできる。そして根謝銘という部落が便利ということで中心になって栄えてきた。そして、昔はグスク村と根謝銘村、一名代(ティンナス)村という。明治36年の土地総合の時までは行政別であった。そして土地総合の時、謝名城という名をつけた。グスクは城、謝は根謝銘から、一名代(ティンナス)の名をとって、謝名城とつけた。それでだんだん子孫が増えるにしたがって、3つの部落が一つとなって今になる。昔の根謝銘城(ねざめぐしく)というのが出来たのは、推測ではいろいろ発掘をしたり、いろんな面から研究をしていらっしゃる先生方は、七百年以前にこのグスクが出来たんじゃないかと言われています。が、私は、それ以上古いんじゃないかと思います。七百年前ということは、按司とかそういう支配者が入ってきたのがその頃であって、その城の以前にも何かがあったんじゃないかといわれていますが、私はそれ以上に古いんじゃないかと思う。根謝銘グシクが中心になって国頭按司とか大宜味按司とかが住みつくようになって、グスクには3つの御嶽がある。大小数カ所にあるが、だいたい代表的なのは大城の御嶽、中城の御嶽、それに中の方に金城門中の拝む所と按司墓、それから田嘉里の裏に中村門中が拝む御嶽などがある。大城の御嶽、中城の御嶽、ここ拝みの3つは代表的なものと部落が支配しているようなものである。その他の小さい御嶽というのは、各門中、門中が集まってきて拝む御嶽があった。謝名城の部落づくりは、この御嶽をくさて(腰当て)にしてだんだんに栄えてきた。その背景にはノロ組織があり、この一帯、大宜味、大兼久、饒波、喜如嘉、田嘉里の一部である。田嘉里のこちら、アセランゼミといって、今は田嘉里となって、こちらの区域内に入って、セーラインザミという名がついている。そういうことがインザミの名がついていて、これだけのノロがこれだけ支配してきた。支配して、ここで、グスクアサギというのが城内にあって、いろんな祭事を神人組織があって行われ、この部落は謝名城という。昔は根謝銘グシクであった。根謝銘グシクを中心に大宜味村は栄えてきたといっても過言ではないと思う。
レコード番号 | 47O220248 |
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CD番号 | 47O22C012 |
決定題名 | 謝名城部落の始まり(共通語) |
話者がつけた題名 | 謝名城部落の始まり |
話者名 | 大城茂子 |
話者名かな | おおしろしげこ |
生年月日 | 19211219 |
性別 | 女 |
出身地 | 沖縄県大宜味村謝名城 |
記録日 | 19830303 |
記録者の所属組織 | 沖縄県口承文芸学術調査団 |
元テープ番号 | 大宜味村謝名城T11A03 |
元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
分類 | 伝説 |
発句(ほっく) | - |
伝承事情 | - |
文字化資料 | - |
キーワード | 謝名城,始まり,何千年,分からない,謝名城部落,大宜味村,国頭村,地域で一番古い部落,アダンガー、ムブンガー,村づくりの神様,根謝銘大屋(ねざみうふやー),神棚,祭られている,ウッキー(兄),ウナイ(妹),やって来る,城村(ぐすくむら),住みつく,屋敷,アダン畑,切り開く,家を建てた,麦畑,隣り合って,家立ち,根謝銘(いんじゃみ),部落の立ち始め,根神,トゥナイヤー(利禰屋),屋号,大城屋,隣近所,間違えられる,名前を変える,とねや,土地の根の屋,大宜味,奄美大島,利根屋,スーヌメー,先祖,最初に住んだ所,ナーガー,田嘉里,干ばつ,井戸,根(ニー),ナー,拝み,水の神様,根人(ニーンチュ),移民,フィリッピン,受け継いだ,農耕時代,子孫が広がる,一名代(てぃんなす),明治36年,土地総合,3つの部落が1つ,七百年以前,按司,支配者,根謝銘グシク,国頭按司,大宜味按司,3つの御嶽,数カ所,大城の御嶽,中城の御嶽,金城門中,拝む所,按司墓,中村門中,代表的なもの,部落が支配,門中,くさて(腰当て),栄えた,ノロ組織,大兼久,饒波,喜如嘉,アセランゼミ,セーラインザミ,インザミ,グスクアサギ,祭事,神人組織,根謝銘グシク |
梗概(こうがい) | 謝名城の始まりというと、年代的に何千年なるか分からないが、謝名城部落は、この大宜味村とか国頭村など周辺地域では一番古い部落である。そのために色々と研究もされている。だから、部落の始まりはというと何千年前ということも、はっきりはしませんけれどもね、私の先祖なんですけれどもね、アダンガー、ムブンガーという昔の最初の村づくりの神様の話が残っている。今、根謝銘大屋(ねざみうふやー)の神棚に祭られているアダンガー、ムブンガーというウッキー(兄)とウナイ(妹)がどこからやって来て、城村(ぐすくむら)に住みついた。その時、屋敷がないので、ウッキーの屋敷はアダン畑を切り開いて立派に整地して、家を建てた。ウナイは、「お前はもう女だから、アダンの畑よりは開けやすい麦畑あけてから家をつくれ」と言われ、妹は麦畑を開いて家を建てて、兄と妹がそれぞれ隣り合って家立ちしたそうです。根謝銘(いんじゃみ)は、それ以前は人もいたのかいなかったのか分からないけれども、これがもう根謝銘(いんじゃみ)という部落の立ち始めと伝えています。それで、兄が妹に、「お前はもうここの部落を造った根神になれよ」と言って、妹をこの部落作りの根神にしているわけ。この根神の家の名は利禰屋(とぅないやー)と言いました。〔うちは利禰(とぅない)という屋号だったが、今は大城屋に名前を変えた。そのわけは、利禰(とぅない)というのは隣近所によく間違えられるので、名前を変えようということで、うちの祖父が変えた。大城屋が最近の名前になっているが、利禰(とぅない)というのは、とねやという意味で、土地の根の屋という意味が含まれていることがわかった。あちらこちら、根神を持っている家は利禰(とぅない)と言っている。大宜味でも根神の出ている家を利禰(とぅない)という。奄美大島あたりでは利根屋。こういうふうに意味があっての名前だったのに、隣近所という意味のトゥナイではないかと直したらしい。姓をとって大城屋にしたが、本当は利禰(とぅない)が正しいわけです〕そういうことで自分の部落をつくり、それからうちの家は今、根謝銘にあるが、先祖のアダンガー、ムブンガーは、城に住み始めたそうだ。城のスーヌメーという所が、私達の先祖が最初に住んだ所。ナーガーといって、田嘉里にいつどんなに干ばつしても切れない井戸がある。その井戸のナーというのはよく判明しないが、私の先祖が住みついて、ここに井戸があって、根(ニー)がナーというふうになまったんじゃないかとも考えられる。ニーガー、ナーガー、トゥナイ。どっちかのナーをとってナーガーにしたんじゃないかということも言えると思うが。小さいとき、おばあさんに連れられて、このナーガーを拝みに行ったが、私達の時代になって拝みに行かないから、水の神様に失礼になっているかもしれない。それで、ウナイを根神にして、ウッキーが根人(ニーンチュ)にならなければならない。しかし、今はこの根人が切れている。根人は大屋から出ないといけないわけだが、今頃、この根人が亡くなったのか、また大屋がこちらにいないで移民したりフィリッピンに行かれたりで上の先祖からも根人というものを出していない。それでも、アダンガー、ムブンガーの神棚はちゃんとあるわけです。こういうことで部落づくりがなされたという。アダンガー、ムブンガー伝説といいます。このことは部落の人もあまりわかっていない。私は先祖や大屋のおじいさんが歴史に詳しく、忘れるなということ受け継いできた。それから、こういうふうにして最初はグスクで始まって、グスクから農耕時代になるとどうしても下の方が便利ということで、根謝銘に下りてきたわけです。そして、子孫が広がるにつれて一名代(てぃんなす)という部落もできる。そして根謝銘という部落が便利ということで中心になって栄えてきた。そして、昔はグスク村と根謝銘村、一名代(ティンナス)村という。明治36年の土地総合の時までは行政別であった。そして土地総合の時、謝名城という名をつけた。グスクは城、謝は根謝銘から、一名代(ティンナス)の名をとって、謝名城とつけた。それでだんだん子孫が増えるにしたがって、3つの部落が一つとなって今になる。昔の根謝銘城(ねざめぐしく)というのが出来たのは、推測ではいろいろ発掘をしたり、いろんな面から研究をしていらっしゃる先生方は、七百年以前にこのグスクが出来たんじゃないかと言われています。が、私は、それ以上古いんじゃないかと思います。七百年前ということは、按司とかそういう支配者が入ってきたのがその頃であって、その城の以前にも何かがあったんじゃないかといわれていますが、私はそれ以上に古いんじゃないかと思う。根謝銘グシクが中心になって国頭按司とか大宜味按司とかが住みつくようになって、グスクには3つの御嶽がある。大小数カ所にあるが、だいたい代表的なのは大城の御嶽、中城の御嶽、それに中の方に金城門中の拝む所と按司墓、それから田嘉里の裏に中村門中が拝む御嶽などがある。大城の御嶽、中城の御嶽、ここ拝みの3つは代表的なものと部落が支配しているようなものである。その他の小さい御嶽というのは、各門中、門中が集まってきて拝む御嶽があった。謝名城の部落づくりは、この御嶽をくさて(腰当て)にしてだんだんに栄えてきた。その背景にはノロ組織があり、この一帯、大宜味、大兼久、饒波、喜如嘉、田嘉里の一部である。田嘉里のこちら、アセランゼミといって、今は田嘉里となって、こちらの区域内に入って、セーラインザミという名がついている。そういうことがインザミの名がついていて、これだけのノロがこれだけ支配してきた。支配して、ここで、グスクアサギというのが城内にあって、いろんな祭事を神人組織があって行われ、この部落は謝名城という。昔は根謝銘グシクであった。根謝銘グシクを中心に大宜味村は栄えてきたといっても過言ではないと思う。 |
全体の記録時間数 | 11:50 |
物語の時間数 | 11:46 |
言語識別 | 共通語 |
音源の質 | 〇 |
テープ番号 | - |
予備項目1 | - |