昔、王家には、いろいろ女の従業者もおれば、男の雇用者もいるでしょう。今はそんなことないが、昔は花当といってね、この花園を整理して花を作る役目の人夫がいたんです。これは、毎日のようにいつも掃除しながら花園の手入れをするのが役目なんです。幸地里之子は、その花当だったらしい。それで、花当安座間とも言われていたんです。どこの人かそこまでは分からないが、こっちの昔の人は、これが非常にそのハンサムな、立派な方だと話よった。首里城では、旧の正月の二日にね、筑登、親雲上という位の人以上がですね、今の首里城の広場ですね、御城の御庭と言っておったんですが、そこに行ったんです。そのとき、臣下の人たちが何百人と集まっりよったそうですよ。王様は、昔の旧城の御唐破風というて、首里城正殿の二階にね、王様はお座りになってね、チョウヌウンフェーというのがあったらしい。こうして、首里城の御唐破風の前でよ、朝賀があるんですが、その何百人という臣下が前の列も後の列もね、これ三列に座って、そして、前の人が拝むときにこうやったわけだね。そして、後ろはまたこうして拝んでね、大勢の人がそういう拝み方をしたから、それが前から中へ、中から後ろへと。ちょうど波がこんなに波うつように見事だったそうです。ある年、ちょうどその朝賀の日に、にわか雨が降ったらしいですよね。朝賀に来た人は、みんながそこに並んでいるんだが、もう雨が降ったからめいめい隠れていたら、そうして、この幸地里之子という方が、このお城の御唐破風の庇の下で、そこで雨をしのいでいたらしいが、すぐにこの御唐破風の下にその王家の人たちが雨を凌ぐための仮の屋根を掛けたらしいですがね。そうしたもんだから、この王女がね、 「あけじゅ羽御衣や 濡りぃらばんゆたさ〔秋津羽のような衣装は濡れてもかまわないが〕里ぬかたんちょんびぬ 濡りぃばちゃすが〔あなたのお頭が濡れるのは どうしょうか〕ということを言ってね、ハンケチを投げてね。そして、「これかぶりなさい。」と言ったらしいですよ。これは、「私の着物は濡れてもいいけれど、あなたのカンプーが濡れたらどうしましょう。」と言うことですからね、つまり幸地里之子の花当安座間と、王のウミングヮはですね、その以前から、恋仲だったんですよ。そうしたもんだから、幸地里之子は、「たまぬみしだりは 白雲にかかてぃ〔御殿の玉の御簾は 白い雲にかかって〕無蔵が御姿や御月めなち〔あなたの姿は月のようだ〕。」と歌って、「あなたの姿はお月様みたいに美しい。」と歌って、返歌したということですね。それまでは、知られなかったんだが、とにかく大勢の公の場所でこうした歌問答をしたもんだから、この話が広がってしまったからね、王様も気がつかれて、この里之子を捕らえて、「もうお前はここにはおけない。」と言って、幸地里之子は、打ち首の咎を受けることになったから、お城内から逃げて行かれて、こんどは読谷山ガマーというところに隠れていたんです。そして、その後、この島袋の部落に来たんだが、うちの前に安座間という家がありましたよ。その家で花当安座間とウミナイビとは、まあ当たり前の部落民になりすましてですね、生活しておったと。そして、昔、中村孟順さんという人が家の親の親類におったですが、その方を沖縄の有名な学者の島袋源一郎先生という方がですね、尋ねていらっしゃって、その安座間のことをいろいろ調査しに行きましたよ。そのときまではね、安座間の家に昔の黄金の御香炉があったという話があるんですがね。まあ、この御主は、世間には、「こんな者は生かしておけん。」と言っていたんだが、ウミナイビは自分の子でしょう。もう王女がね、この村に落ち着いて庶民の暮らしをしておるのを見兼ねていても、王様が自分からね、この家の生活を見るにはいかないさ。それで、こっちは幸地なに御殿とか言っていたが、勝連御殿がね、密かにそれらの生活を見ておったということですね。それは、王様も知っておったでしょうな。墓もね、勝連御墓という名義でね、勝連御殿が世話して、花当安座間だけを葬った墓がありましたよ。今でもその場所はありますけどもね、そこから今は喜舎場の上に移しています。この王女の墓は別にして首里に移したんですね。そして、花当安座間の御墓の骨を喜舎場に移したのは、もううちらが青年だったころからだね、「このお墓は必要ない。」と、その御墓を壊すのを見に行ったときにね、安座間の家が立派な石垣にやっておったのを覚えています。
| レコード番号 | 47O361871 |
|---|---|
| CD番号 | 47O36C070 |
| 決定題名 | 幸地里主(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 中村亀一 |
| 話者名かな | なかむらかめいち |
| 生年月日 | 19040531 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県沖縄市字山内 |
| 記録日 | 19811213 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 北中城村字島袋調査9班T35B03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 父親から機嫌のいい時に聞いた |
| 文字化資料 | 北中城の民話 P162 |
| キーワード | 花当,花園,幸地里之子,花当安座間,筑登,親雲上と,首里城,御唐破風,首里城正殿,朝賀,ウミングヮ,読谷山ガマー,中村孟順,島袋源一郎,黄金の御香炉,勝連御殿,勝連御墓 |
| 梗概(こうがい) | 昔、王家には、いろいろ女の従業者もおれば、男の雇用者もいるでしょう。今はそんなことないが、昔は花当といってね、この花園を整理して花を作る役目の人夫がいたんです。これは、毎日のようにいつも掃除しながら花園の手入れをするのが役目なんです。幸地里之子は、その花当だったらしい。それで、花当安座間とも言われていたんです。どこの人かそこまでは分からないが、こっちの昔の人は、これが非常にそのハンサムな、立派な方だと話よった。首里城では、旧の正月の二日にね、筑登、親雲上という位の人以上がですね、今の首里城の広場ですね、御城の御庭と言っておったんですが、そこに行ったんです。そのとき、臣下の人たちが何百人と集まっりよったそうですよ。王様は、昔の旧城の御唐破風というて、首里城正殿の二階にね、王様はお座りになってね、チョウヌウンフェーというのがあったらしい。こうして、首里城の御唐破風の前でよ、朝賀があるんですが、その何百人という臣下が前の列も後の列もね、これ三列に座って、そして、前の人が拝むときにこうやったわけだね。そして、後ろはまたこうして拝んでね、大勢の人がそういう拝み方をしたから、それが前から中へ、中から後ろへと。ちょうど波がこんなに波うつように見事だったそうです。ある年、ちょうどその朝賀の日に、にわか雨が降ったらしいですよね。朝賀に来た人は、みんながそこに並んでいるんだが、もう雨が降ったからめいめい隠れていたら、そうして、この幸地里之子という方が、このお城の御唐破風の庇の下で、そこで雨をしのいでいたらしいが、すぐにこの御唐破風の下にその王家の人たちが雨を凌ぐための仮の屋根を掛けたらしいですがね。そうしたもんだから、この王女がね、 「あけじゅ羽御衣や 濡りぃらばんゆたさ〔秋津羽のような衣装は濡れてもかまわないが〕里ぬかたんちょんびぬ 濡りぃばちゃすが〔あなたのお頭が濡れるのは どうしょうか〕ということを言ってね、ハンケチを投げてね。そして、「これかぶりなさい。」と言ったらしいですよ。これは、「私の着物は濡れてもいいけれど、あなたのカンプーが濡れたらどうしましょう。」と言うことですからね、つまり幸地里之子の花当安座間と、王のウミングヮはですね、その以前から、恋仲だったんですよ。そうしたもんだから、幸地里之子は、「たまぬみしだりは 白雲にかかてぃ〔御殿の玉の御簾は 白い雲にかかって〕無蔵が御姿や御月めなち〔あなたの姿は月のようだ〕。」と歌って、「あなたの姿はお月様みたいに美しい。」と歌って、返歌したということですね。それまでは、知られなかったんだが、とにかく大勢の公の場所でこうした歌問答をしたもんだから、この話が広がってしまったからね、王様も気がつかれて、この里之子を捕らえて、「もうお前はここにはおけない。」と言って、幸地里之子は、打ち首の咎を受けることになったから、お城内から逃げて行かれて、こんどは読谷山ガマーというところに隠れていたんです。そして、その後、この島袋の部落に来たんだが、うちの前に安座間という家がありましたよ。その家で花当安座間とウミナイビとは、まあ当たり前の部落民になりすましてですね、生活しておったと。そして、昔、中村孟順さんという人が家の親の親類におったですが、その方を沖縄の有名な学者の島袋源一郎先生という方がですね、尋ねていらっしゃって、その安座間のことをいろいろ調査しに行きましたよ。そのときまではね、安座間の家に昔の黄金の御香炉があったという話があるんですがね。まあ、この御主は、世間には、「こんな者は生かしておけん。」と言っていたんだが、ウミナイビは自分の子でしょう。もう王女がね、この村に落ち着いて庶民の暮らしをしておるのを見兼ねていても、王様が自分からね、この家の生活を見るにはいかないさ。それで、こっちは幸地なに御殿とか言っていたが、勝連御殿がね、密かにそれらの生活を見ておったということですね。それは、王様も知っておったでしょうな。墓もね、勝連御墓という名義でね、勝連御殿が世話して、花当安座間だけを葬った墓がありましたよ。今でもその場所はありますけどもね、そこから今は喜舎場の上に移しています。この王女の墓は別にして首里に移したんですね。そして、花当安座間の御墓の骨を喜舎場に移したのは、もううちらが青年だったころからだね、「このお墓は必要ない。」と、その御墓を壊すのを見に行ったときにね、安座間の家が立派な石垣にやっておったのを覚えています。 |
| 全体の記録時間数 | 14:45 |
| 物語の時間数 | 14:45 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |