仲村家の話 大歳の宝(シマグチ)

概要

あの中村家は、昔からの家でもう三百年になるでしょう。昔、ここの中村家の始めの世を仕立てた人は、崇元寺の寺に使われていたってね。そうしたら、もうこれは真面目な者でね、崇元寺では、人を二人使っていたというが、その崇元寺の主人は、毎年、稲を刈ったら奉公人に、「これは、お前たちの小遣いだよ。」と藁二束くれよったって。そしたらね、一人の者はね、「これだけでは何もできん。豆腐でも買おう。」とすぐに豆腐を買って食べてたらしいよ。この中村家の先祖の子は、二束くれたらね、この藁はみんな一束で一本の綱作って、二束で二本の綱作ってね、昔の四厘でこの綱を売っていたそうだ。そのころは貯金というのはないでしょう。だから、そうして貯めた金を布切れに包んで、自分の着物の内にたたんで隠しておいてね、また翌年になるとくれたから、またそれで綱を作って売って、お金を貯めて、「もう幾つになった。」と言って数えてまた隠したりして喜んでいたって。そうしたら、これを主人が見ておってね、「ああ、これは誠の者だな。」と言って、信用されたそうだ。昔は金を借りたらね、またこれを払うのは年期奉公で払わせたからね、もう一人の者は年期が明けて、「もうお前は帰っていいから。」と許されて先に帰しているんだよ。そしたら、この子はうらやましがりよったって。「私は真面目にしているが、私はいつまでもここに置かれて、あれは先に帰っている。」って。その主人が、「何月何日には、お前を帰してやるから。」と言ったから、その子は、「もう家に帰れるんだなあ。」って、もうたいへん喜んでいたって。そうしたら、もう家に帰れる日になったから、「もういつ行きなさいと言うかねえ。」と言って、大変待っているが、主人はみんな仕事をこの子に言いつけて、もう夜なっても人がいなくなるまで、家に帰りなさいと言わないって。それで、もう人の足がきれて、人もいなくなってからね、「もう帰りなさい。」って言ったからね、「人もいなくなった今時からは、もう私は今からでは行けません。」と思ったが、それでもやはり帰ることにしたそうです。今の中村家の先祖になるこの子がね、大城にある家に歩いて帰る途中、この近くの野嵩坂まで来ると、そこに子どもを抱いて座っている女の人がいたってよ。この人がその女の人に、「ハイ。」と挨拶したらね、その女の人が、「この子はもう亡くなっているがね、あんた抱いてくれないか。私は行って棺桶を借りてこよう。」って言うってよ。「それじゃあ、私が借りて来ますよ。あなたはここに座っていてください。」「それは出来ない。どうかあんたが抱いていてください。」と言うってよ。それで、その子どもの死体を抱いていたら、「それじゃあ、棺桶を借りに行くからね。」ともうこの女は行ったきりでいなくなったそうだ。だから、もう待てなくなってね、その死んだ子をずっと抱いてね、家に帰って来たからね、もう家でも、「今日帰って来るはずだが、今まで待っても来ないね。」と言って、待ちかねていたって。そうして、その子は、ようやく家に行ったからね、「これはなんでか私が抱かされておるが、もうこの子は葬らないといけないねえ。」って親に言ったらね、親たちも、「それじゃあ、どこに捨てるわけにもいかないな。」って言ってよ、そこの家の後ろは今は道なっているがね、昔は山であったよ。「向こうに立派に葬ってやろう。」と言って、穴を掘ったが、そこにその子どもの死体を下ろしたら、もう人ではなく黄金に変わっていたって。だから、その人は誠の人だったんだね。向こうの家はその時から金持ちになって、それで、家では、「またこれは人に見せてはいけないからね。」と隠しておってね、そして、畑に行かれるときはこの黄金に自分の着ている着物をかぶせてから、畑に行かれたらしいよ。だから、向こうだけは、黄金を持っていて、今でもなんの商売もしないでね、みんな金持ち継いでいるって。

再生時間:4:43

民話詳細DATA

レコード番号 47O361792
CD番号 47O36C068
決定題名 仲村家の話 大歳の宝(シマグチ)
話者がつけた題名 大城安里の話
話者名 大城カマド
話者名かな おおしろかまど
生年月日 19020620
性別
出身地 沖縄県北中城村字熱田
記録日 19811213
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 北中城調査字熱田調査13班T33A10
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 本格昔話
発句(ほっく)
伝承事情 おばあちゃんから糸を紡ぎながら聞いた
文字化資料 北中城の民話 P263
キーワード 中村家,崇元寺,奉公人,小遣い,藁二束,豆腐で,藁,綱,貯金,年期奉公,先祖,大城,野嵩坂,棺桶,黄金,金持ち
梗概(こうがい) あの中村家は、昔からの家でもう三百年になるでしょう。昔、ここの中村家の始めの世を仕立てた人は、崇元寺の寺に使われていたってね。そうしたら、もうこれは真面目な者でね、崇元寺では、人を二人使っていたというが、その崇元寺の主人は、毎年、稲を刈ったら奉公人に、「これは、お前たちの小遣いだよ。」と藁二束くれよったって。そしたらね、一人の者はね、「これだけでは何もできん。豆腐でも買おう。」とすぐに豆腐を買って食べてたらしいよ。この中村家の先祖の子は、二束くれたらね、この藁はみんな一束で一本の綱作って、二束で二本の綱作ってね、昔の四厘でこの綱を売っていたそうだ。そのころは貯金というのはないでしょう。だから、そうして貯めた金を布切れに包んで、自分の着物の内にたたんで隠しておいてね、また翌年になるとくれたから、またそれで綱を作って売って、お金を貯めて、「もう幾つになった。」と言って数えてまた隠したりして喜んでいたって。そうしたら、これを主人が見ておってね、「ああ、これは誠の者だな。」と言って、信用されたそうだ。昔は金を借りたらね、またこれを払うのは年期奉公で払わせたからね、もう一人の者は年期が明けて、「もうお前は帰っていいから。」と許されて先に帰しているんだよ。そしたら、この子はうらやましがりよったって。「私は真面目にしているが、私はいつまでもここに置かれて、あれは先に帰っている。」って。その主人が、「何月何日には、お前を帰してやるから。」と言ったから、その子は、「もう家に帰れるんだなあ。」って、もうたいへん喜んでいたって。そうしたら、もう家に帰れる日になったから、「もういつ行きなさいと言うかねえ。」と言って、大変待っているが、主人はみんな仕事をこの子に言いつけて、もう夜なっても人がいなくなるまで、家に帰りなさいと言わないって。それで、もう人の足がきれて、人もいなくなってからね、「もう帰りなさい。」って言ったからね、「人もいなくなった今時からは、もう私は今からでは行けません。」と思ったが、それでもやはり帰ることにしたそうです。今の中村家の先祖になるこの子がね、大城にある家に歩いて帰る途中、この近くの野嵩坂まで来ると、そこに子どもを抱いて座っている女の人がいたってよ。この人がその女の人に、「ハイ。」と挨拶したらね、その女の人が、「この子はもう亡くなっているがね、あんた抱いてくれないか。私は行って棺桶を借りてこよう。」って言うってよ。「それじゃあ、私が借りて来ますよ。あなたはここに座っていてください。」「それは出来ない。どうかあんたが抱いていてください。」と言うってよ。それで、その子どもの死体を抱いていたら、「それじゃあ、棺桶を借りに行くからね。」ともうこの女は行ったきりでいなくなったそうだ。だから、もう待てなくなってね、その死んだ子をずっと抱いてね、家に帰って来たからね、もう家でも、「今日帰って来るはずだが、今まで待っても来ないね。」と言って、待ちかねていたって。そうして、その子は、ようやく家に行ったからね、「これはなんでか私が抱かされておるが、もうこの子は葬らないといけないねえ。」って親に言ったらね、親たちも、「それじゃあ、どこに捨てるわけにもいかないな。」って言ってよ、そこの家の後ろは今は道なっているがね、昔は山であったよ。「向こうに立派に葬ってやろう。」と言って、穴を掘ったが、そこにその子どもの死体を下ろしたら、もう人ではなく黄金に変わっていたって。だから、その人は誠の人だったんだね。向こうの家はその時から金持ちになって、それで、家では、「またこれは人に見せてはいけないからね。」と隠しておってね、そして、畑に行かれるときはこの黄金に自分の着ている着物をかぶせてから、畑に行かれたらしいよ。だから、向こうだけは、黄金を持っていて、今でもなんの商売もしないでね、みんな金持ち継いでいるって。
全体の記録時間数 5:16
物語の時間数 4:43
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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