武士仲村(シマグチ)

概要

昔、仲村ブサータンメーは、若いころに公儀勤めで馬の番ををなさっておられたが、あるとき御主加那志前が乗った馬が暴れ馬だったので、御主加那志前はもう上の鳥居にもたれて、「あい、仲村よう。」と、呼ばれたから、「なにかなあ。」と行って見ると、馬はもうずっと遠くに行っている。追いかけて行って、この馬の尻尾をつかんでとっつかまえて、括るほどの武士であったそうだ。それぐらいの武士だったから仲村タンメーのことが、「あの人は武士である。」と評判になったら、首里を夜歩かれておる場合に首里の若者たちに皆に襲われて、もう相手の人数にはかなわない。押さえられた後、四、五百キロになる大きな石を落として潰されてしまっている。そうしてもう、首里の若者たちは、「仲村は大変な武士というがなんでもないな。これはもう潰して片づけた。」とそう言っているが、そうではない。翌日、大きな石に潰されたはずの仲村タンメーは、公儀に大変な暴れ馬がいたというが、これをわざと引っ張って行って、後ずさりするヒンシ馬をイユクムイに押し入れて水を浴びせたそうだ。首里の人は、それを見てもう評判になって、「ああ、この人は石に潰されてもどうもない。大変頑丈な人だよ。」とこの話は噂になったから、「この人は本当の武士である。」との話になった。これを聞いた王様は、「こういう話があるが、これは本当であったのか。」「ああ、実はもう話はしたくはありませんが実はそうでした。」「ああ、そうか。さあ、それじゃあお前は今日から夜歩くときはこの提灯を持って歩きなさいよ。」と言って、渡した提灯がちょうど王様のご紋の入った提灯で、「これは御主の提灯だ。この人に手出ししたら許さんぞ。」という意味だからね、その後、仲村タンメーはその提灯を持って歩いたというね。この武士仲村といわれる人は、今も家の名が仲村という家の御先祖で、この武士仲村の女の子が私たちの昔の親先祖の嫁になって山内においでになられたから、私たちの母方の先祖になっています。この仲村タンメーのウナイが私たちの親元祖の妻になって山内においでになられたら、姑親があんまり働き者で、また婿は歌三味線に喰われてしまって仕事はまったくしない人だから、姑親はもう文句はみんな嫁にしていた。この嫁は、「こんなにされては、私はもうここにはいられない。」と言って、親の仲村に帰っていかれた。それで、この夫はまた、「私はお前と一緒だよ。」と山内の嫡子であれるんだが、もう妻を追ってここに来られて、ここで暮らしておったら、子も産まれたから、分家のときになったら武士タンメーが、「お前たちの屋敷は、ここにしなさいよ。」と仲村家のすぐ東に住まわせたって。それで、仲村の東になったので、今は屋号が東仲村の名になっている。また、それまでは女の方を追って来たので喜納姓であったが、この戦後になってから、「女の方の名字をもらってはいけない。」と言って中村になっています。

再生時間:4:10

民話詳細DATA

レコード番号 47O361682
CD番号 47O36C064
決定題名 武士仲村(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 中村亀一
話者名かな なかむらかめいち
生年月日 19040531
性別
出身地 沖縄県北中城村字島袋
記録日 19810925
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 北中城村字島袋調査2班T28A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 島袋のお父さんの機嫌のいい時に聞いた
文字化資料 北中城の民話 P167
キーワード 仲村ブサータンメー,馬,仲村,仲村タンメー,武士である,ヒンシ,イユクムイ,武士仲村といわれる人は、今も家の名が仲村という家の御先祖で、この武士仲村の女の子が私たちの昔の親先祖の嫁になって山内においでになられたから、私たちの母方の先祖になっています。この仲村タンメーのウナイが私たちの親元祖の妻になって山内においでになられたら、姑親があんまり働き者で、また婿は歌三味線に喰われてしまって仕事はまったくしない人だから、姑親はもう文句はみんな嫁にしていた。この嫁は、「こんなにされては、私はもうここにはいられない。」と言って、親の仲村に帰っていかれた。それで、この夫はまた、「私はお前と一緒だよ。」と山内の嫡子であれるんだが、もう妻を追ってここに来られて、ここで暮らしておったら、子も産まれたから、分家のときになったら武士タンメーが、「お前たちの屋敷は、ここにしなさいよ。」と仲村家のすぐ東に住まわせたって。それで、仲村の東になったので、今は屋号が東仲村の名になっている。また、それまでは女の方を追って来たので喜納姓であったが、この戦後になってから、「女の方の名字をもらってはいけない。」と言って中村になっています。
梗概(こうがい) 昔、仲村ブサータンメーは、若いころに公儀勤めで馬の番ををなさっておられたが、あるとき御主加那志前が乗った馬が暴れ馬だったので、御主加那志前はもう上の鳥居にもたれて、「あい、仲村よう。」と、呼ばれたから、「なにかなあ。」と行って見ると、馬はもうずっと遠くに行っている。追いかけて行って、この馬の尻尾をつかんでとっつかまえて、括るほどの武士であったそうだ。それぐらいの武士だったから仲村タンメーのことが、「あの人は武士である。」と評判になったら、首里を夜歩かれておる場合に首里の若者たちに皆に襲われて、もう相手の人数にはかなわない。押さえられた後、四、五百キロになる大きな石を落として潰されてしまっている。そうしてもう、首里の若者たちは、「仲村は大変な武士というがなんでもないな。これはもう潰して片づけた。」とそう言っているが、そうではない。翌日、大きな石に潰されたはずの仲村タンメーは、公儀に大変な暴れ馬がいたというが、これをわざと引っ張って行って、後ずさりするヒンシ馬をイユクムイに押し入れて水を浴びせたそうだ。首里の人は、それを見てもう評判になって、「ああ、この人は石に潰されてもどうもない。大変頑丈な人だよ。」とこの話は噂になったから、「この人は本当の武士である。」との話になった。これを聞いた王様は、「こういう話があるが、これは本当であったのか。」「ああ、実はもう話はしたくはありませんが実はそうでした。」「ああ、そうか。さあ、それじゃあお前は今日から夜歩くときはこの提灯を持って歩きなさいよ。」と言って、渡した提灯がちょうど王様のご紋の入った提灯で、「これは御主の提灯だ。この人に手出ししたら許さんぞ。」という意味だからね、その後、仲村タンメーはその提灯を持って歩いたというね。この武士仲村といわれる人は、今も家の名が仲村という家の御先祖で、この武士仲村の女の子が私たちの昔の親先祖の嫁になって山内においでになられたから、私たちの母方の先祖になっています。この仲村タンメーのウナイが私たちの親元祖の妻になって山内においでになられたら、姑親があんまり働き者で、また婿は歌三味線に喰われてしまって仕事はまったくしない人だから、姑親はもう文句はみんな嫁にしていた。この嫁は、「こんなにされては、私はもうここにはいられない。」と言って、親の仲村に帰っていかれた。それで、この夫はまた、「私はお前と一緒だよ。」と山内の嫡子であれるんだが、もう妻を追ってここに来られて、ここで暮らしておったら、子も産まれたから、分家のときになったら武士タンメーが、「お前たちの屋敷は、ここにしなさいよ。」と仲村家のすぐ東に住まわせたって。それで、仲村の東になったので、今は屋号が東仲村の名になっている。また、それまでは女の方を追って来たので喜納姓であったが、この戦後になってから、「女の方の名字をもらってはいけない。」と言って中村になっています。
全体の記録時間数 7:40
物語の時間数 4:10
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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